2012年5月23日 (水)

方向性

夫は、平成四年に家を建てた際
自分の通勤や子供達の将来の事を考えて
違うところに土地を買って建てる事も考えたのだが
夫の母親の意向も強く逆らえなかった。

しかも、夫の母親は、家を建て直すなら
4人の娘達が家族を連れてきても
全員泊まれるような家でないと
作らせないと言って譲らなかった。

もともと
土地も家も夫の名義なのだが
夫の母親は、そういうところも
強く主張する人だった。

そのため、最近になって他の人から
「家って、どのくらいの大きさなの?」
と、聞かれて、あらためて数えてみたら
9LDKもあった。

せっかく夫が建てた家が
もったいないとは思うのだが
私が又そこへ住めば
離れて暮らしている子供達の
気持ちの負担になる事も解っていた。

夫は結婚までは
会社の独身寮にいたのだが
結婚して家に入るまで
冬の週末は除雪のために毎週自宅へ帰っていた。

父親を早くに亡くして
母親だけでの除雪は無理だったし
商売もしていたし

家の前だけの除雪ではなく
道路に出るまでの道の除雪をするために
週の途中で夜中に帰ったりする事もあった。

だから、結婚するまで
冬に夫と会う事はめったになかった。

夫がそうしてきたように
私一人がそこへ住む事によって
そういう面でも
子供達に負担をかける事になってしまう・・・

自宅の近所に馴染めなかった事
冬の除雪の事、仕事の事
子供達への負担の事

そして、そんなに残り多くない自分の余生を
夫ができなかった分
自分らしく、少しでも楽しく過ごしたい・・・
そう思って自宅に住まない事を決めた。

ブログランキングに参加しています!
クリックしてくれたら嬉しいなぁ・・・heart01
↓↓↓
にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月20日 (日)

非合理的

とにかく子供達の重荷にならないように
と、言う事を心がけながら
就職を探し
アパートを探す事となった。

自分一人で生きて行くのだから
仕事をする事はもちろんだけど
自分が住みやくて
子供達に負担をかけないところに
住むことを優先したいと思った。

自分はどちらかと言うと
合理主義なのだと思うのだが
自宅での生活は
私の感覚と折り合いをつけるのには
無理な事が多かった。

そういう家庭は
都会のほうだってたくさんあるだろう
と、思われる通勤・通学も

自宅から駅まで片道5キロほどを
毎日私が駅まで車で送迎をし
夫も子供も1時間半ほどかけて
通勤・通学をしてきた。

「バスがあるだろう?」
と、良く言われるのだが
朝7時前に家を出なければならなくて

夜は7時過ぎでなければ
最寄り駅に着けない場所に自宅があるので
そんな時間に動いているバスは
田舎にはなかった。

例えあったとしても
バスの定期を買えば
一月、一人分が2万円ほどにもなる。
経済的にも無理な事だった。

自宅のある町では
中学まではバスでどうにか通えたが
20キロ圏内に高校がなかった。

夫は、その通勤・通学に間に合うように
冬は庭の駐車場と
道路までの道を1時間以上もかけて
除雪をしていた。

雪が多い時は
前日、会社から帰ってから
翌朝に備えて除雪をした。

6人家族のうち
人数の多い時は
3人が電車で通っていた。

しかも、電車の都合で
行きは最高でも2回の往復で済むのだが
帰りは3回になる事もたびたびだった。
とにかく、そんな事に追われる毎日だった。

夫の職場も子供達の学校も
電車で行き着いた先は
それぞれが、さほど遠いところではなく
同じような場所に点在していた。

そのあたりに住めば
子供達の電車賃とガソリン代だけでも
アパートくらい借りられるよね
と、夫と良く話をしていた。

ブログランキングに参加しています!
クリックしてくれたら嬉しいなぁ・・・heart01
↓↓↓
にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月16日 (水)

健康

2月に夫が亡くなり
少しづつ気持ちも落ち着いてきて
いろいろな事を考え始めるようになった。

同級生のAちゃんに誘われて
筋トレにも行くようになった。

一人で生きて行くには
病気をしない健康な身体と
体力が必要だと言う事を
ひしひしと感じ始めていた。

同居をしていた夫の母は
運転もできなくて
田舎に住んでいたので
とにかくタクシー代わりになる
息子や嫁が必要だった。

そして、自分で努力をしてみる事なく
「私にはできないから・・・」
と、言って全て押しつけてくる人だった。

そうしているうちに
どんどんいろいろな事ができなくなって
まだ、それほどの歳でもないのに
電車やバスに乗る事も
食事を作る事さえもできなくなっていった。

私の事を
「弱い嫁をもらって損をしたthink
と、言っていたわりには
自分は病院通いが多くて

その度に当たり前のように
こちらの都合も考えずに
仕事を休ませて
タクシー代わりに私を使う人だった。

病気の時はしかたないが
血圧の薬をもらいに行く時や
眼科や歯科の定期検診などは
私の仕事の都合に合わせてくれたら良いのに
と、良く思ったものだった。

自分が大変な思いをしてきたから
私は、歳をとっても
自分の都合で子供達の生活に
支障を与えないようにしたいと思っていた。

これから先はどうなるかわからないが
できるだけ最期の時まで
自分の事は自分でしたいと思うし

夫婦二人でいれば
どちらかが具合が悪くなった時は
病院に連れて行ったり
看病をしたりもできるけど

私には夫がいないのだから
夫が迎えに来てくれるまでは
なるべく丈夫でいなければ
子供達に迷惑がかかってしまうのだ。

そんな事を思いながら
食事は、あいかわらず
ゲルソン療法に近いものを食べていたし

筋トレもするようになって
更年期と呼ばれる時期に突入したのに
病気らしい病気をする事がなくなっていた。

ブログランキングに参加しています!
クリックしてくれたら嬉しいなぁ・・・heart01
↓↓↓
にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

【送料無料】30分健康カーブス体操

【送料無料】30分健康カーブス体操
価格:1,000円(税込、送料別)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年5月13日 (日)

友達

夫が亡くなってから
いろいろな人があちこち誘ってくれた。

最初は、喪に服している時に
どうなんだろう?と、思ったりもしたが

例えば私が一人で家に閉じこもって
毎日毎日泣いていたとして
果たして夫が喜ぶだろうか?

そんな気持ちもあって出掛けられる時は
なるべく出掛ける事にした。

高校時代の同級生の
Aちゃんの家には
近所だと言う事もあって
2~3日に1回は行っていた。

そして、高校時代の同級生も
ひんぱんにレオパレスのある市へ
出掛けてきてくれて
Aちゃんの家で、いつもの4人が集まった。

中学、高校の男の同級生は
何かと心配してくれて電話やメールをくれた。
そして、困った事があると
力も貸してくれた。

18歳で高校を卒業して
夫と同じ会社に就職した私は
4年で会社を退職して夫と結婚した。

夫の葬儀には
その時の仲間も来てくれていた。

自宅にいた時は
友達と会うにも高速を使って
1時間かけていかなければならなかったし
自営業をしていて夫の母と同居をしている私には
到底外出などできなかった。

私が、自宅に戻らず
そのままレオパレスにいる事を知った
会社の同僚からも誘いがあった。

久しぶりにランチをして
楽しい時間を過ごした。

中学時代の親友は
お互い夫の親との同居生活で
長年電話もできなくて
疎遠になっていた。

それでも、5年ほど前から
携帯電話のメールで
連絡がとれるようになった。

彼女はまだ、義母と同居の生活だったが
自分で仕事を持ち自立していた。

そして義母のボケが始まったせいもあって
旦那様に義母をみてもらって
外出もできるようになっていたので

彼女の仕事が終わってから
私が住んでいる市まで彼女が来て
二人でディナーをする事ができた。

久しぶりに二人で会ったせいで
何から話をして良いか解らなかったが
今は何回も会う事で
昔のような会話ができるようになった。

当時、私がしていた仕事も
任期がきて辞める事になり
その時の友達には
自宅に泊まりに来てもらったりもした。

高校時代の同級生は
私が泣いている訳でもなく
あちこち出掛けている姿を見て

空元気なんじゃないか?とか
あとで反動がくるんじゃないか?とか
一人になったら落ち込んでいるんじゃないか?とか
逆に心配してくれていたようだった。

本当に持つべきものは友達
と言う言葉は
こういう時に使うものなのだろう
と思わずにはいられなかった。

私は、今まで自分の事はほとんどできずに来て
初めて、自分の事だけをして過ごした。

歯医者に行ったり
マッサージにかかったり
友達に会ったり
ランチをしたりディナーをしたり
泊まりで出掛けたりもした。

私にとっては
傍に夫がいない・・・と言う
心の中にあいた穴がある以外は
何不自由のない生活となった。

ブログランキングに参加しています!
クリックしてくれたら嬉しいなぁ・・・heart01
↓↓↓
にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年5月 9日 (水)

車の名義変更

車の保険は夫の会社に
お世話になっていたが
車の名義も長男のものを抜かして
全て夫の名義になっていた。

決まり事は良く解らなかったのだが
車の保険を会社のものから変更するにあたって
車の名義をそれぞれ乗っている人の名義に
変更する事にした。

車を修理してくれているところで
代行してくれるような事は言われたのだが
3台となると2万円近くかかるようだったので
自分でする事にした。

インターネットで調べると
その事も相続にあたると言う事だった。

揃える書類は発行されてから3ヶ月以内のもの
と言うのが多かったので
余分に数枚とってあったものが
無駄にならないように
急いでする必要があった。

インターネットには
自動車のオーナーが亡くなった場合に
自動車の名義変更の手続きをするには
相続の手続きが必要になります。

次の所有者を単独の名義にするには
遺産分割協議書を用意しなければいけません。
また共同相続での相続人全員で
自動車の所有とすることもできます。

必要なものは
発行されてから3ヶ月以内の除籍謄本
被相続人(死亡者)のもので
相続人全員の記載が必要。

発行されてから3ヶ月以内の
単独相続する人の印鑑証明。

単独相続人の実印を押印した委任状。
必ず実印で押印する必要があります。

自動車検査証(検査有効期限のあるもの)
申請書(OCRシート1号)
手数料納付書(登録印紙500円貼付)
車庫証明書(使用の本拠が変わる場合)
自動車税申告書

と、書いてあった。
そして、いろいろ調べながら書類を揃えた。

車庫証明を娘のアパートのあるところの
警察にもらいに行ったり
カードを借りて役場に印鑑証明をもらいに行ったり
書類を書いてもらいに行ったりして
娘のアパートにも何回も行った。

私と次男は自宅の住所のままだったので
夫と同じ住所だったため
いくらかしなければならない事は少なかった。

相続と言う事で
自分名義の車を持っている長男にも
印鑑証明を用意してもらったり
書類に記入してもらう事になった。

陸運局の窓口では
やり慣れている方達に混じって
もたついて迷惑をかけないように
物事をこなすのに大変だった。

しかも、一回できた次男の車検証は
むこうの手違いで間違えていた箇所があって
その場で直してもらう事になった。

それでも、どうにか無事に
済ます事ができた。

ブログランキングに参加しています!
クリックしてくれたら嬉しいなぁ・・・heart01
↓↓↓
にほんブログ村 病気ブログへ
にほんブログ村

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«四十九日