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2010年8月

2010年8月27日 (金)

2008年秋

夏の間、鮎釣り三昧だった夫だったが
夏が終わる頃になると、少しづつ体調が悪くなった。

相変わらず、胃の切除手術の際
しばらくの間、お腹の中にたまった血液などを
排出するためのドレンがささっていた場所の
しこりは毎日のように気にしていた。

「なんだか、大きくなってような気がするんだよなぁ~
「だって、お医者様は異常なしって言うんでしょ?」
「そうなんだけど、そこの傷跡の回りのほうまで
堅くなってきてる気がするんだよ


「そんなに気になるのに
どうして検診の時に強引に診てもらわないの?

「・・・・・」

そんなやりとりも多かった。
9月も仕事と飲み会に追われていて
ほとんど家で食事をしなかった。

「みんなが痩せたって言うんだよね
「まったく、家で全然食事もしないで
飲んでばかりいて痩せたなんて・・・
それで私がロクな食事与えてないみたいに
思われたんじゃたまんないよ

そんな会話をしながら9月21日(日)は
姪っ子の結婚式でスピーチもして
みんなを笑わせていた。

夫は、あまり話す事が得意ではなかったのだが
いつから、こんなふうに人前で
スピーチができるようになったのか・・・
役職のせいでもあると思うのだが
自分の知らない夫の一面だった

そういえば会社での夫の事はほとんど知らない。
職場結婚ではあっても
仕事をしている時に一緒だった事はなかった。

私が支店で、夫が営業所であったために
交流会のようなところでしか会ったことがなかった。
なんだか、夫が仕事でスピーチをしている姿と重なって
不思議な気持ちだった。

9月29日(月)13時20分からCT検査。
10月3日(金)14時から、結果・・・異常なし。
夫は、さすがに医師に体調の悪さを訴えた。

昔から下痢気味であったのに、ずっと便秘が続いていた。
あまり経験のなかった事だったので
手術をして体調が変わったのかと最初は思っていたが
この頃になると、それも不快の度合いが限界だった。

しこりの事も話したが、医師は、やはり診る事もなく
「便秘しているなら、下剤を出しておきましょう
と言い、下剤が出た。

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2010年8月21日 (土)

2008年前半

2008年、夫は冬の除雪も普通にこなした。
夫は、術後しばらくドレンがささっていた場所の
しこりを相変わらず気にしていたが
医師からは毎回異常なしの診断だった。

2月15日(金)検診
4月7日(月) 午後2時、CT検査
4月11日(金) 午後2時、検査結果
異常なし。
しこりも診察してもらえず・・・

5月24日(土)夫の母の3年忌。
自宅にて・・・
3年忌なので夫の姉妹の家族のみで・・・

6月18日(水) 人間ドック
人間ドックは会社で一部を負担してもらって
毎年受けていた。

前の年までは1泊でしていたが
胃の検査は手術をした病院でするため
必要なくなったので、日帰りでする事にした。
前の年の人間ドックで胃ガンが見つかったのだった。

6月30日(月)9時から
手術した病院での胃カメラ、9時から。
7月4日(金)胃カメラの検査結果14時30分から。
異常なし。

この夏の夫は忙しかった。
会社の会議もびっしり入っていた。
地域の人足、夏祭り、鮎釣り・・・
相変わらず、飲み会も多かった。

鮎釣りは、前々年は母親が亡くなり
その年は殺生はしてはいけないと言うことで
鮎釣りをしなかった。

そして、前年は自分の胃ガンの手術で
鮎釣りはできなかった。
そのせいで、その2年を取り戻そうとするように
この年は良く鮎釣りに行っていた。

2年間おあずけされた趣味に
明け暮れていた夫だったが
私のほうは、水をさすように
「そんなに体を冷やしちゃ良くないんじゃないの?」
と毎回のように言っていた覚えがある。

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2010年8月18日 (水)

手帳

夫は、会社の手帳にいろんな事を細かく書いていた
会議の予定、飲み会の予定、釣りの予定・・・
携帯を忘れた時にも電話をかけられるように
私の電話番号も・・・

2008年の手帳には
医師から説明された事を書いていた

Photo_2

・せんがん(腺癌)→内視鏡で可能
・いんか細ぼうがん
(印環細胞癌)→スキルス性へ移行のおそれ
   ↓
  切除

2007年の胃ガンの手術の時にきいた事を
2008年の手帳にも写しておいたのだと思う
自分のガンはスキルス性へ移行のおそれがある・・・と
聞いていたのだと思う

この事については、私には何も言わなかった。

でも、切除した胃の説明を受けた時
表面には、ほんの数ミリしか出ていないのに
胃の壁の中にガンが広がっていたので
もしかしたら、そういう事なのかもしれない・・・と
思った記憶がある。

その次のページには

Photo_3

健康は最上の利益
満足は最上の財産
信頼は最上の縁者
心の安らぎこそは最上の幸せなり


と書いてあった。

健康は最上の利益・・・と自ら書いているのに
どうして健康を少しでも大切にする
努力ができなかったのか?

心の安らぎ・・・って
なんだったんだろう?
残された手帳をみて
夫に問いかけてみる・・・

先日は新盆だった。
仏様が帰ってくるって言ったって
来てくれる人達の接待や
身内の人達の食べる事に追われて
あっと言う間に送り盆になった。

お盆自体は、毎日が長くて
早く終わらないかな・・・
と思えてしまうような
バチあたりの状況だった。

夫の事を考える事も
語りかける事もなく
気づいたら送り盆の日になっていた。

送り盆は身内も帰り長男と二人だけだった。
やっと、気持ちに余裕が持てた時間だった。
「せっかく帰って来たのに何も話せなかったね
と、夫に語りかけた。

レオパレスに位牌と二人だけでいる時のほうが
どれだけたくさん話をしているかわからない
なんだか、お盆って、忙しいきりで
仏様に語りかける余裕もないんだな?
って、悲しかった

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2010年8月14日 (土)

送迎

以前のブログ(←良かったらクリックして読んでね)のコメントで
週に何日かは駅まで車で通勤すべきだったんじゃないか?
といただいた。

確かに、その通りだと思う。
私も結婚当初から、それを望み提案をしてきた。
結婚して25年以上・・・車で通勤できる勤務地以外は
駅まで必ず私が送り迎えをしていた

何回か自分で車で行ってほしいと交渉したが
義母の考え的には、自分の息子は楽をさせたい。
駅から駐車場まで歩くのはかわいそう
冬の雪の時は駐車場で車の除雪をさせるのはかわいそう・・・

嫁はたいしたことはしていないのだから
働いて給料を持ってくる人のために
夜中だろうとなんだろうと
送迎するのは当たり前の事なのだ・・・

そんな義母からの私への攻撃的な提案に
楽をしたい夫は、そういう時には
自分の母親を頼もしく思い、ひたすら、うなづき
2対1で勝てるはずもなく、ずっとそういう生活だった。

義母が亡くなって1年目にガンになった夫だったが
ガンになったとたんに送迎を辞めて
夫が自分で運転して駅になんか行こうものなら
今度は近所が放っておかないのもわかっていた。

昔から、男は何をしても良いけど女は・・・
という風習が残っているような田舎に
よそから来た嫁はいつまでも、よそもの扱いで
そんな嫁が、そんな事をしようものなら
何を言われるか、わかったものじゃない

それまでにも、よそから来た嫁というだけで
仕事をの事から、子供の事から嫁姑の事から
いろんな事を言われてきていたため
そういう事に対しても面倒だと思う気持ちが先にたってしまった

今から思うと、もっと違う方法でも
何か不摂生を阻止する方法があったんじゃないか・・・って
思わずにはいられないのだが

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2010年8月11日 (水)

高を括って・・・

不摂生してて再発なんかしたら
絶対離婚してやるんだから


と、お酒を飲んで遅く帰ってくる度に
息巻いていたが、夫としては
私がそんな事はしないだろう・・・と
高を括っていたに違いない

なんと言っても、結婚当初から同居し
義母は、とても強い人だった
そして、自分の子供には甘い人だった

自分の5人の子供の一番末っ子の娘よりも
2つ年下であった私にも容赦はなく
と、言うよりも、嫁だから他人の子供だから
苦労をさせなければ損と言うほどの扱いだった。

義母から、とんでもなく理不尽な事を
言われたり、されたりする度に

良く物語りなんかで出てくる
意地悪な継母
(ままはは)と言うのは
こういうような事なのだろう・・・
と思いながら

自分には実の母がいるのだから
それだけでもありがたい、我慢しよう・・・

思わずにはいられなかった
夫は、そんな中をひたすら耐えた私を見てきている。

しかも、見てて状況を理解していても
母親の事を私から言われれば
やはり、すごい剣幕で怒るので
結婚して20年くらいは夫には義母の事について
ほとんど言えなかったた。

20年を過ぎた頃からは、さすがに見かねて口を出したが
自分が私の見方をしようものなら
二倍にも三倍にも私に返ってくるから・・・と
あえて何もしない事を決め込んでいた

あらゆる事で義母からいろいろな事を言われ
義姉妹とも、いろいろあり、それを乗り越えてきた私が
再発をしたところで自分を放り出すとは思えない
と言う思いもあったろうし
自分が再発なんかするはずがない・・・と言う
思いもあったと思う。

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2010年8月 9日 (月)

お酒

お酒を解禁にしてしまうと
あっと言う間にお酒の量が増えた

仕事の帰りに飲んでくるのも
1週間に1回くらいから始まり
2回、3回と、どんどん回数が増えて行った。

手術後、それなりに症状が安定した頃
私は、初めてブログと言うものを始めた
何と言っても夫の帰りが遅い。

50年近くもチャンネル権がなく過ごしてきた私は
テレビをみる習慣がなく
夜中の12時の最終電車になってしまう事が多かった
夫を待つためにブログと言うものに手を出してみた。

夫はと言うと
電車で通勤しているため
必ず駅まで迎えに行かなければならない。

そして、電車は1時間に1本しかなく
帰りの電車の時間の連絡がきて駅まで行っても
電車に乗っていない事もあり
違う駅で降りてしまったり
とんでもない方向へ行ってしまった事もある。

夫のお酒での失敗は
このブログのサイドバーのところの
カテゴリーの家族のところの
2008年4月~10月あたりにあるので
良かったら読んでみて下さい

今となっては、懐かしい思い出ではあるけれど
当時は腹がたったり、くやしかったり・・・
しかも、胃ガンの手術をしたのに
毎晩のように飲んで遅く帰ってきて

お酒を飲んで失敗するたびに
私は腹をたてて
「そんなにお酒ばっかり飲んで
遅く帰ってきて、寝不足で
ガンが再発したって
もう面倒なんかみてやらないから

もしも、そんな不摂生してて
再発なんかしたら
絶対離婚してやるんだから

と、言うようになった。

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2010年8月 6日 (金)

検診

ダンピング症状も
どうにか食べ方を工夫したりして
乗り越えられるようになってきて
病院の検診も2ヶ月から3ヶ月になった

夫は一人で病院の検診に行くようになった。
毎回特に問題はない様子で
CTをとり、血液検査をして
医師の説明を受けて帰ってきた。

手術を6月にして12月くらいまでは
お酒を飲む事もなく
いくらか平和な毎日を過ごしていた。

義母がいた25年間は夫婦らしく過ごす事もなく
義母が亡くなり、葬儀・四十九日・新盆・一年忌
・・・と済ませたら夫の手術・・・

義姉妹からのいろいろな意地悪はあったものの
手術が終わって6ヶ月くらい過ぎた頃からは
自分達の結婚生活の中では平和な日々だった。

気になる事と言えば、術後しばらくの間
お腹の中にたまった血液などを排出するための
ドレンがささっていた場所がしこっていることだったが
夫は病院へ行くたびに医師に確認しているようだった。

医師は、CTの画像の説明はするが
夫が気になっているしこりを診る事はなかった。

「おなかのしこりが気になるんですが・・・
と言っても
「だんだん柔らかくなってくるから
心配はいりませんよ

と言われ

「なんだか、しこりが
大きくなったような気がするんですけど・・・

と言っても
「大丈夫です
と言うきりで、しこりをみてはくれなかった。

私は、その話を聞くたびにイラッとして
「シャツをあげて、先生ここを診て下さい
って言ってみなよ

と言うのだが、夫はなかなかできないようだった。

「でも、先生が心配ないって言うんだから
などと全面的に医師を信頼していた。
しかも、お酒も飲んでも良いと言われて
半年後くらいからはお酒を解禁にした

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2010年8月 3日 (火)

早期ダンピング症候群

早期ダンピング症候群の対策としては

胃の切除後には共通して言えることですが
1日の食事を5~6回に分けて
少量ずつゆっくり食べましょう。

胃の機能を口で肩代わりさせるつもりで
1口20~30回を目安によくかみ
消化作用のある唾液と混ぜ合わせ
少しずつ飲みこむのがコツ。

1度に腸に流れこまないように
次に飲み込むまでの時間を調節します。

食後の高血糖を防ぐため
ご飯、パン、うどんなどの
炭水化物や甘いものは控えめに。
食事中の水分も少なめにします。

脂肪の多い料理やアイスクリームなどを多くとると
胆汁や膵液とうまく混ざらず
下痢することがあるので
1回の量を加減しましょう。

消化酵素薬は、ご飯にふりかけたりして
食事と同時にとります。
食物はすぐに腸に落ちるので
食後に飲んでも追いつけません。

脂肪OKの人、牛乳を飲むと下痢をする人など
相性のよい食物も人それぞれですから
トライ&エラーで自分に合った食物や食べ方を探していきましょう。


と書いてあるが、夫は早く普通に仕事がしたい
今までと同じ日常生活に早く戻りたい
と言うタイプだったので
禁煙の舘ひろしのCMのように
「気合い」でなんとかなる
と言うように構えていた。

もともと、だましだまし・・・とか
いたわりながら・・・とか言うことはできない人だったので
今思うと、何につけても本当に急ぎ足で
人生を駆け抜けて行ったような気がしてならない

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2010年8月 1日 (日)

ダンピング症候群

手術後、食事の後に苦しむようになって
胃ガンの手術の後遺症として起こりやすい
ダンピング症状だと言うことがわかり
なんとなく安心はできた。

患者は、毎日毎日が不安なもの・・・
主治医は医師として
そんな事がわかりきっていると思うのに
説明したりする人ではなかった

心配になって電話をしても
「そういう症状が起こることもあります」
「心配なら来て下さい」

と言うのだが、病院へ行っても解決する事はなかった

こちらとすると、何故そんなふうになっているのか?
そうなっている事が異常なのか普通なのか?
それを回避する方法や
いくらかでも軽くする方法はあるのか?

そういう事を聞いて安心したいのに
そういう説明を一切しない人だった。
多分、患者が求めている事を
自分の中で感じたりする事が乏しい人だったのだと思う。

だから、ずっと不安でいっぱいだった
インターネットだけが頼りだった

でも、素人が調べるのだから
疑問に思ったことにうまくヒットしなければ
解らないまま時が過ぎてしまう

ダンピング症候群は
胃切除手術を受けた人の15~30%にみられる
胃切除後症候群との事なので
なんとなく安心する事ができた。

そして食事中や食事の直後に症状が現れる
早期ダンピング症候群と
食後2~3時間たってから現れる
後期ダンピング症候群に分けられるという事だった。

早期ダンピング症候群
胃を切除してしまうと、胃液の分泌量が低下し
貯留機能の失われるために
浸透圧の高い食べ物が胃の中に入ると
その一部はそのままあふれるように
腸内に急速に排出されてしまいます。

早期ダンピング症候群は
胃の排出調節機構が破綻していることが原因で起こります。

主症状は、冷や汗、動悸、めまい、顔面紅潮
全身倦怠感、全身脱力感、全身熱感などです。
腹痛、下痢、悪心、嘔吐などの
腹部症状を訴える場合もあります。
横になると、たいていは症状が治まります。


後期ダンピング症候群
主症状は、脱力感、倦怠感、頭痛、眠気などの全身症状です。
ひどくなると失神する場合もあります。
食後の高血糖に対応して
大量のインシュリンが分泌されて血糖値を下げるため
低血糖状態になることで起こります。

後期ダンピング症候群の対策としては
糖分を含む飴玉や氷砂糖、ビスケット
甘い飲み物などをとるとおさまります。
食後2時間を目安に食べると予防できます。
外出時は飴玉などを持参するか、ドリンクで補給するとよいでしょう。

と、あるが、夫の症状は早期のほうだった。

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