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2011年1月

2011年1月31日 (月)

脅迫

夫が自分の母親に私が出て行くと言う事を話すと
夫に責められているように感じたようで
「母ちゃんが悪いって言うんかいangry
と、逆に怒鳴られたらしかった。

次男は私が一人で出て行くんじゃないかと
いつも不安そうに私を目で追うようになっていた。
夏物と冬物の服を入れ替えるため
夏物の服を大量に衣類袋に詰めたある日・・・

夜から次男の学校の会議だった。
途中で抜け出して夫を駅まで迎えに行き
夫を自宅に置いて又学校まで戻った。

こんな状況になると
さすがに夫も協力体制で
次男が夫と二人で同じフロアーにいられないのも理解していて
自分は部屋に行っているから・・・と言った。

しばらくすると夫の母から携帯に電話があった。
「どこにいるんだい?weep
と小さく消え入りそうな声だった。
「学校だよ。何?」
と聞くと

「私が何か悪い事でもしたんかねぇ~sweat01
○○(←夫)に聞いたら
ステッピーが出て行くって言ってるって言うし
私は、あの日は焼酎飲んで酔っ払ってて
何も覚えてないんだけど・・・

もしも、出ていかれるような事になったら
実家のお父さんに顔向けできないから
今、死のうと思って見たら
家には首を吊れるところがないんだよdespair

倉庫には梁があるから
倉庫で首吊って死のうと思って・・・sweat02

と言ってきた。

無性に腹が立ったannoy
今度は脅しだpunch

私が夏物と冬物の服を入れ替えるために
大量の服をタンスの前に積み上げていて
しかも、夜、家に帰ってこないと言う事で
もしや出て行くのでは?と思ったらしい。

夫に話し聞くと、夫が一人で帰ったために
私はどうしたのか聞いたらしい。

夫が
「知らないね。あんな事まで言われて
出て行くって言ってたから
出ていったんじゃねぇのthink
と答えたせいでの展開らしかった。

夫の母からすると
私が必要なのではなくて
実家への面子と
家政婦兼運転手がいなくなる事の
不便を避けたいだけだった。

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2011年1月28日 (金)

実家

そんな騒動があっても
私は実家の親には話せないでいた。
結婚の時、大反対されたのに
結婚してしまった。

あの時、夫の母は
「息子が、もしも駄目なら一生結婚しないsweat01
と言うからどうしても・・・」
と私の親に頭を下げた。

そんな事で出てきて
私の母親からは
「好きで嫁に行ったのだからthink
と言われて
今までの辛かった事は一切話してなかった。

行く場所をなくして母の妹のところへ行った。
今まであった事をいろいろ話した。
初めて涙が枯れるほど泣いた。
悲しいと言うよりは悔しかった。

我慢をするのは涙においてもそうだった。
涙もとことん我慢する。
踏ん張るだけ踏ん張って
自分の中で頑張って涙を見せないようにする。

相手に弱みも見せたくはないのだ。
だから、夫の前で泣いた事はなかった。
こんな事くらいどうって事ない・・・と強がって
陰では良く泣いた。

夫には、そんな私が我慢をしているのではなく
気が強い・・・と写っていたのかもしれない。
「お前は、かわいくないなぁ~think
と、良く言った。
「そんなに、かわいくないなら
結婚なんかしなくちゃ良かったのにangry

と、言い返した。

人前で泣く事がない分
一度崩れると手がつけられない。
自分自身が操縦不能に陥ってしまうのだ。

この日も、止めようと思っても
我慢しようと思っても
どうする事もできなかった。

私の母は、後日、自分の妹から
「姉ちゃん、いくら反対したのに結婚したからって
あれほどじゃあ、かわいそうだよ。
少しは話くらい聞いてやれよぉ~shock

と言われたそうだ。

私の母親は、その後初めて内容を知り絶句した。
「誰よりも素晴らしい娘だとは思ってはいないけど
そこまで言われるほど
他人様よりも劣ってるように育てたつもりはないけどねbearing

と言って肩を落とした。

そして
「悲しむから、お父さんには言わないよ。
あれだけ反対したのに連れて行って
こんな仕打ちしたんじゃ・・・」

と、言った。

家を出るにあたっては
次男がネックだった。
中学3年生で転校させたくなかったので
卒業まで待つしかなかった。

中学3年の秋・・・すでに受験モードに入っていた。
志望校は姉と同じ工業高校
姉は建築科だったが機械科希望だった。
と言っても勉強したいと言うよりは
部活がしたい・・・と言う理由だったのだが・・・

どっちみち自宅から学校までは
車と電車を乗り継いで自転車にも乗って1時間半。
もしも、そこへ行けたら
二人でアパートでも借りて住もうと思った。

滑り止めを予定している学校も
似たりよったりの場所だった。
自分もパートを辞めて本気で働かなくてはならない。

考える事はたくさんあった。
でも、すぐに家を出る訳にはいかなかったので
家の事は何事もなかったようにこなした。

今までと唯一違った事は
夫の母と会話をしなくなった事だけだった。

夫の母のほうは何もなかったように話しかけてきたが
私のほうは、我慢のあげく爆発したせいで
気持ち的に口をきく事ができなくなってしまっていた。

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2011年1月26日 (水)

ピリオド

酔いが覚めた夫と
自分の人生にあきれて
冷め切った私・・・

「あれだけ言われたら
もう家を出るしかないから・・・
いくら何でも、あんな風に思われてるなんて
思ってもみなかったよsweat02

好かれていないまでも
少しは解ってくれてて
なんだかんだ言っても
必要とされてるんだと思ってたgawk


と、私が口火を切った。
いつも
「お前だけが我慢すれば何とかなるんだから・・・」
としか言わなかった夫が
「今回ばかりは止められないなbearing
と小さくつぶやいた。

私は、もともと我慢強いほうだと自分でも思っている。
夫も、母親のほうの側につく事は多くても
それは見てきた訳だから
私がここまで言うのは限界であり
止める事はできないと思ったのだと思う。

怒る時もそうだ。
そんなに感情をあらわにするほうではないが
多分、怒った時には元には戻れないと思う。
だから、私が本気で怒った時には最期なのだ。

夫は姉妹の中でも
一人だけ話を解ってもらえる
すぐ上の姉に電話をした。
以前からの事も電話で話していた。

夫は自分や子供が何か悪い事をしても
全て私にとばっちりが行くことなどを話していた。
「ステッピーの事をいじめてしょうがないんだよshock
と、初めて、夫の口から聞いた。

これ以上、私に我慢を強いる事はできない。
でも、自分は母親を捨てる訳にはいかないから・・・
と言いながら電話口で涙をこぼしていた。

自分達夫婦は、最初から最後まで
夫の母に邪魔をされて
きちんと夫婦になれずに終わるのだ
・・・と思った。

私のほうは
なんだか、自分の晴れない人生にあきれて
涙の一つも出てこないのが不思議だった。

辛くて苦しくて
どこかでピリオドを打ちたかった・・・
そんな結婚生活だった。

自分がアクションを起こさなくても
相手が起こしてくれて
かえって幸いだ・・・とも思っていた。

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2011年1月23日 (日)

崩れた積み木

夫の母の怒鳴り声に
びっくりして夫と次男は静かになった。
何せ自分達が勝手に取っ組み合いの喧嘩をしたのに
何も関係のない私が怒鳴られているのだ。

次男は少し前まで夫の母と一緒に寝ていたのだが
中学生になって自分の部屋に寝るようになり
反抗期になったせいもあって
夫の母に逆らったりもするようになった。

夫の母は、今まで猫かわいがりしていた次男が
自分に逆らったり
口もロクにきかなくなった事を
私のせいだと思っていた。

だから夫と次男が喧嘩をするのも私のせいだと・・・
私のほうは
それまで夫の母親に逆らった事がなかった。

儲かりもしないような家業を押しつけられて
無償で働かされても
4人いる夫の姉妹が家族で泊まりに来て
まるで家政婦のように働かされても

夫の姉妹が長期の休みに
子供達だけを預けて行って
家が保育所のようになっても

土地にも家にも家業にも慣れなくて
病気がちになって
「弱い嫁をもらって損したpout
と、夫の母に嫌味を言われても

働き過ぎで、お腹の子供が危険な状況になったり
結婚前まで丈夫だったのに
二人目を産んでから腎臓の病気を患うようになって
救急車で運ばれても・・・

陰でさんざん泣いても、良い嫁を演じてきた。
でも、それはどこかで解ってくれているだろうと思っていた。
と、言うより、評価してくれて
当然だと思っていたのかもしれない。

そんな我慢を詰め込んで
高く積み上げられた積み木が
目の前でガラガラ崩れていった。

悪魔が
「お前の我慢なんか何の意味もないんだsign03
そう言って、あざ笑っているようだった。

気がついたら、自分も怒鳴り返していた。
「ここの家は
いつだって、そうやって悪い事は全部
私に押しつけるんだよpunch
もう、たくさんだよannoy


今まで逆らった事がなかった私が
同居20年目にして初めてキレた。
夫と次男は自分達が喧嘩していたのに
全て私がかぶってしまった事で呆然としていた。

夫の母は、
おもしろくなさそうな顔をして
二階に上がって行った。

次男も二階へあがり
喧嘩の後の散らかった部屋には
すっかり酔いが覚めた夫と
人生に冷め切った私だけが残された。

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2011年1月20日 (木)

爆発

3人いる子供達だが
次男が中学3年の時には
長男も長女も就職して
すでに家を出ていた。

いつものように酔って帰ってきた夫。
次男は和室でテレビを見ていたが
夫が酔って帰ってきたのをみると
部屋の襖を閉めた。

酔っていたせいもあるが
何年か次男との間が
重い雰囲気に包まれていたせいもあり
夫がキレた。

次男のいる和室の襖を開け
次男に文句を言った。
次男も小学生のままではない。
中学3年にもなっているから
腕力にも自信があったのだと思う。

夫と次男の取っ組み合いの喧嘩が始まった。
私は夫のご飯の支度をしていたのだが
止めに入った。

でも、とても止められるものではなかった。
そのうちに夫の母が階段を駆け下りてきた。
「何の騒ぎだいangry
と、こちらも、鬼のような形相をしている。

しばらく夫と次男の様子をみていたが
急に私のほうを向いた。

そして
「ここの家で起こる悪い事は
みんなお前のせいなんだよannoy

と、大声で怒鳴った。

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2011年1月18日 (火)

確執

夫がガンになる随分以前から・・・
次男が小学校6年の時から
夫と次男は、8年ほど口をきいていなかった。

毎晩のように飲んで帰ってきた夫は
子供達に、からむ事も多かった。

長男と長女は2つ違いなのだが
次男は長女と4歳違うので
次男が小学校高学年の時には
夫が酔ってからむような状況ではなくなっていた。

今まで分散していた子供達への状況が
次男一人にのしかかるようになった。
夫は帰った時に次男が起きていれば
文句を言ったり、抱きかかえるような事をしたりした。

長男などは、小さい頃、怖がって泣いては
夫の母のところへ逃げて行ったが
それが気に入らなくて、ますますかまったりしていた。

歳をとったせいか夫も酒に弱くなっていたのだろうが
今までと同じように飲んでいたせいか
余計に酒癖も悪くなり
虐待のような事もするようになった。

次男が小学校6年の夏休み
酔って帰った夫は
寝ている次男の耳をひっぱって起こし
泣いた次男をたたいた。

そして酔っていたせいで
足下にあった絵筆を洗う水をこぼし
次男が夏休みの宿題で書いた絵を台無しにした。
それから次男は夫と口をきかなくなってしまった。

口をきかないだけでなく
夫と同じ部屋にいられない
夫と同じフロアーにいない
夫と二人だけではいられなくなってしまった。

そのために、夫と次男が二人そろっていて
次男がお風呂に入る時や
ご飯を食べる時は
必ず私が一緒にいなければならなくなった。

私は、なにごともなかったように
つとめて明るく振る舞うようにした。
夫や次男がお互いの重苦しい状況について
深く考えなくても良いように配慮したつもりだった。

夫は、男なので自分から謝らなかったが
反省はしていたのだと思う・・・
私にとっては席をはずせないのは
思ったよりも苦痛だった。

行きたい時にトイレに行けずに
良く膀胱炎にもなった。
ずっと、険悪なムードが続いていたある日
事件は起こった・・・

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カシューナッツロースト

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2011年1月16日 (日)

愚痴

2009年5月31日(日)
近くに住んでいる鮎釣り仲間の結婚式があった。

「こんな時は遠慮させてもらえば?」
と、止めたのだが
「何も飲まなくても食べなくても
出席だけはしてくるよhappy01

そう言って出かけていった。

そういう機会がこれからは増えるのだろう・・・
そう思って、いろいろインターネットで調べた。
とりあえず、普段は「バナナ」を持たせたりしたが
食事的に満足できないらしく口寂しいような時が良くあった。

ゲルソン療法に反しないもので
お菓子も買ってみた。

「あれ?これは何?happy02
と子供のように見つけては喜ぶので
私も機会があるごとに調べたり
出先で原材料のところを吟味して買って帰った。

鮎釣り仲間の集まりにも出席した。
やはり何も食べられるものもなく
帰ってきたら、第一声が
「お腹が空いたsweat01・・・だった。

私達夫婦は、お互いあまり愚痴らないほうだと思う。
愚痴っても、どうにもならないと思ったり
愚痴る事によって周りを暗くするんじゃないか?
と思ってしまう。

そして何より、愚痴る事によって自分自身が暗くなる。
人に聞いてもらえば楽になるかも知れないのだが
自分の中に抱えて、しまい込んで
その場を楽しく乗り切ろうとする。

人に甘える事も下手なのだと思う。
私も、何かの時に質問されて初めて答えると
「え~・・・何の苦労もなくきた奥様かと思ったcoldsweats01
と、良く言われるが、多分それで損をしている。

苦労もなく幸せそうに見えるから
意地悪されてきた事もある。
トゲのある言葉をもらう事もある。
愚痴らないからツイてる・・・と思われてしまう事もある。

でも、自分の中にはいっぱい詰め込んだ思いがあるんだ。
いっぱい、いっぱいになって
おぼれてしまいそうな時だってあるんだ。

夫もそういう人だったのだと思う。
だから、退院して間もないのに
部下にごねられたり
飲む事も食べる事もできないのに
飲み会の幹事を押しつけられたり・・・

同窓会だって、監事でもないのに
頼りにされて、話し合いに呼ばれたりして
断れなくて、ふらふらな状態を立て直して
出かけて行ったりしたんだ。

辛い時、苦しい時、無理な時
できないって言えないんだ。
「今、こんな事だから無理なんだsweat01
・・・って言えないんだ。

でもね、笑ってなくちゃ、崩れちゃうんだよ。
走り続けなくちゃ、止まったら倒れちゃうんだ。
どこかに寄りかかったら
もう、頑張れなくなっちゃうんだよねsweat02

そして、現在の今日、夫を置いて
私だけが歳をとった・・・

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はとむぎスナック

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2011年1月13日 (木)

下血

2009年5月20日(水)
抗ガン剤TS-1の1クール目が終了した。
とりあえず、2週間は薬を飲まないでいられる。
その間に、体調を整えなければならない。

抗ガン剤はガン細胞だけでなく
普通の細胞にもダメージを与えているわけだから
抗ガン剤を休んでいる間に
少しでも体力を回復させたりして
体を立て直さなくてはならない。

その間に会社のほうでは
部下との面談が続いていたらしい。
部下と面談をして、言い分を聞く。

1日は、メンタル面に問題があって会社を休みがちな部下が
周りからの待遇に被害妄想して夫にくってかかったらしく
とても疲れた様子で迎えに行った私の車に乗り込み
珍しく私にくどいていた。

「俺は生命の危機と闘っているんだぜ・・・
って言ってやれば良かったのにangry

って言ってみたら、夫は
「そーだなcoldsweats01
と、笑っていた。

会社の後輩から「ノニジュース」が良いと聞いて
それを買ってほしい・・・と言うので
さっそくインターネットで注文した。

会社へ持って行って手軽に飲めるようにと
ボトルもあちこち探して注文した。

2009年5月25日(水)
退院後、初めての病院での採血があり
9時に病院へ行った。

夫は、病院へ行く事で休暇が減るので
気が気ではないようだった。
この日は半日休暇をとった。

この日の夜に夫は排便時に下血した。
病院に連絡したが医師はいないと言う事で
心配なら金曜日には医師が診察できるから
くるように・・・との事だった。

水曜日に下血しているのに
木曜日ではなく金曜日に来るように・・・と
しかも、その事について何のフォローもなかった。
不安や恐怖が襲ってきた。

もはや、病院に期待する事気持ちは薄れてきていた。
次の日の朝も、再度下血した。

2009年5月26日(木)
夫は普通に会社へ行った。
不安にかられた私は
ガンのサポートの人へメールしてみた。

腹膜の手術を受けないのだから
本来ならサポート違いの訳だが
藁にもすがる思いだった。

朝メールをすると
お昼頃にはメールがきた。
普通に主婦でもあり
他からのサポートにも追われていて
遅くなった事に対してお詫びの言葉もあった。
病院とは大違いだと思った。

メールには
鮮血であれば肛門から近い箇所での出血であり
胃癌でも血が混じった便が出る事がある。
体内の特定できない箇所からの出血は良くある症状で
だからと言って何もできない。

強いて言えば
抗ガン剤を中断しての経過観察だが
恐らく、それはしないだろう。

大量の出血でなければ
病院に言っても特にする事もなく
単に経過観察だと思われる。

まだ昨夜と今朝の事で量も少ないので
危険はないと思う。

同様の患者を知っているが
抗ガン剤治療もそのままで特に何もしなので
大量出血は危険だが
そうでなければ様子をみるしかない。


との事だった。
私は、そのメールを夫の携帯に転送した。

夫からは
「了解」
との返事だった。
又、仕事の事で頭がいっぱいなのだろう・・・と思った。

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2011年1月 9日 (日)

出勤

2009年5月17日(日)
午後からレオパレスに移動した。
夫は車の助手席で背もたれにもたれかかって
なすがまま・・・と言う感じだった。

レオパレスに入って
とりあえずテーブルのイスに座らせて
ベッドの用意をした。

「用意ができたから横になれば?」
と言ったがなかなか言う事をきかなかった。
しばらく起きてテレビを見ていたが
しんどくなったようで、やっと横になった。

私のほうはお風呂の用意をしたり
食事の用意をしたり
狭い部屋の中でも案外忙しかった。
自分にとっても初めてのレオパレスでの宿泊だった。

夫は移動したりしたせいもあって
眠っているようだった。
しばらくすると、なんとなく起きたようだったので
にんじんジュースを絞り飲ませてみた。

「やっぱり本物のにんじんを絞ったほうが
全然おいしいねhappy01

と、言って笑っていた。

夫は会社の仕事の他に
薬を飲む事と、にんじんジュースを飲むことが加わった。
私は夫の送迎と
今までと違う食事を作ることが加わった。

この時ほどインターネットが便利だと感じた事はなかった。
病気についてはもちろん
「ゲルソン療法」についても調べまくった。
同じような食事療法をしている人のブログを読み
料理を参考にした。

そして、近くでは手に入らないような食材も
全てインターネットで手に入れるようになった。

退院から3日目
2009年5月18日(月)
夫は会社に出勤した。

「もう少し休ませてもらえば?gawk
と言う私の言う事も聞かなかったが
この日は、とりあえず挨拶だけ
・・・と言う事で折り合いをつけた。

そのわりには
「何があるかわからないから
一応お昼を持っていくcoldsweats01

と言う夫の言葉もあり
玄米のおにぎりに海苔を巻いて持たせてみた。

「終わったらメールして。迎えに行くから」
と、会社の横で夫をおろした。
レオパレスから会社までは車だと10分はかからない。

レオパレスに帰って
メールが来るのを待っていたが
なかなか来なかった。
結局メールがきたのは夕方の5時半を過ぎていた。

会社に出てしまえばこんな事なんだ・・・
そんな思いと、酒が好きな夫は
仕事に対する気持ちと同じように
やめるはずのお酒にも手を出すのではないか?
と、不安もよぎっていた。

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2011年1月 2日 (日)

とりあえず退院して・・・

2009年5月15日(金)に退院となり
土日は自宅で過ごした。

日曜日は夫の母親の姉の
一年忌があったのだが
始まる前にお参りさせてもらって
一年忌は失礼した。

なにせ、何でも無理をする夫なので
ここでも出席する・・・と頑張るのではないか?
と、心配したが、さすがに私の言う事を聞いて
お参りするだけで帰ってきた。

夫は退院から3日後の月曜日には
会社へ行くと言ってきかなかった。

会社のほうでも、病み上がりで
ふらふらな状態のまま出社されても
困るのではないか?と思ったが
本人は仕事の事や
休暇の日数も気になっているようだった。

それなら日曜日の夕方から
レオパレスに移動しよう・・・と提案したが
夫は月曜の朝行けば良い・・・と
なかなか重い腰をあげなかった。

まるで、レオパレスに出る事が
長男としての責任を放棄するような
そんな思いがのしかかっているようだった。

月曜の朝自宅から会社へ行くには
車で行くため、いつもより早く出なければならない。
しかも、その日からレオパレスに泊まるのだから
そういう用意もあるし、食事の世話もある。

私のほうは
1日3回生のにんじんシュースを絞り
玄米ご飯を炊き
塩も醤油も化学調味料も使わずに
工夫して料理を作る事でせいいっぱいだった。

早くレオパレスでの生活に慣れなければ
自分自身の状態にも不安があった。
それなりに少しの仕事もしている
幸いな事に仕事はレオパレスからのほうが近かったが・・・

夫は自分の体の事だけを考えているかもしれないが
私には考えなくてはならない事がたくさんあった。
病院へ行くスケジュールと自分の仕事との調整
夫がもしも急に具合が悪くなった時の事も考えなくてはならない。

レオパレスから会社は近いと行っても
送迎をしなくてはならない。
一人暮らしの人が住むタイプのレオパレスのキッチンで
特殊な食事とお弁当も作らなければならない。

レオパレスの作り付けのベッドは夫のものとして
私はその下に折りたたみのベッドを用意した。
夫が少しでも快適に過ごせるように
レオパレスにはあらゆる工夫もした。

にんじんもスーパーで買うには不安もあった。
インターネットで無農薬のにんじんを
定期的に送ってもらうようにした。

自宅は田舎で何もないようなところだが
レオパレスのあたりでは
それなりにいろんなものが手に入る環境だった。
逆でなくて良かった・・・と思った。

どうしても手に入らないものは
インターネットで手に入れればなんとかなる・・・
前向きに考えながら毎日を生きていくしかないのだ
・・・後ろを振り返っている間はなかった。

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