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2011年4月

2011年4月27日 (水)

覚悟

2009年8月28日(木)は、会社の健康診断だった。
夫は病院で治療しているから・・・
と、言って断ったのだが
きまりだから・・・と言う事で受ける事になってしまった。

夫は、仕事を休む事が多くなって
自分の仕事がたまって行く事が気がかりなようだった。
夫は、今までは、ほとんど夜中にならないと帰って来なかった。

飲む事も多かったせいか、朝7時前に駅まで送ると
夜は10時~12時までの間に帰宅して
飲んでいるせいで、ご飯もほとんど食べないで
お風呂に入って寝るだけだった。

4月に20日以上入院をした時
夫の携帯にはひっきりなしに
指示を仰ぐ電話がかかってきていた。

病院の中でも、携帯を使ってはいけない階もあったが
夫が入院している階では使用が認められていた。

携帯がかかってくると
同じ病室の人に迷惑にならないよう
廊下の端のほうへ行って
かかってきた電話にテキパキと指示を出していた。

私は家で飲んだくれて帰ってきた夫しか見た事がなかった。
こんなにカッコイイ夫だったら
惚れ直していたかもしれないのに・・・
電話をしている夫を見ながら、そんな事を考えていた。

夫は本当に仕事人間だった。
家庭を犠牲にしても
部下と飲んだり話をしたりしていたせいで
部下から慕われてもいたようだった。

そんな仕事人間の夫だったから
有給が終わってしまって
傷病休暇をとる事になってしまえば
定年の後の仕事に行けなくなる・・・
そんな事ばかりを、うわごとのように言っていた。

私は、そんな事ばっかり言っていないで
少しは楽をする事も考えてもらいたい・・・
と、夫とは温度差のある事を考えていた。

考えてみれば
夫と夫婦と呼べるような生活があったのだろうか?

夫の母がやっていた家業を継がされ
夫との間には、いつでも夫の母に割り込まれ
夫の4人の姉妹の家族が年に数回泊まりに来て
やっと夫の母を見送ったと思ったら
今度は夫が生命の危機に脅かされている。

私の結婚生活なんて
いったいなんだったんだろう?

食事療法をひたすら勉強したり
腹膜播種の事を調べたり
そんな事の合間に
ふと、覚めた気持ちが割り込んでくる。

人生が晴れる人なんて最初から決まってるんじゃないか?
もともと、あなたの人生には雨しか降りません・・・って
決められちゃってる人だっているんじゃないのか?

でも、逆に晴れなかった人生だから
たとえ夫が病気で大変な思いをしても
今までの人生を思えば

自分に辛くあたる人がいないだけでも
夫婦二人、水入らずでいられる事が
幸せなのかもしれない・・・
そう思う事によって前向きに生きようとしたりもしていた。

いつか、二人で旅行でもできる日がくるかもしれない
そんな淡い夢を見ながら耐えてきた30年弱の結婚生活
自分には永遠にそんな日が来る事はなかったのだ
・・・そんな覚悟をし始めた頃だった。

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2011年4月24日 (日)

前向きに・・・

2009年8月19日(水)から
夫は病院から出された胃腸薬を飲み始めた。
1週間前に病院に行った際に出されたのだが
すぐに飲み始めないで、この日から飲み始めた。
夫は、意味もなく我慢する事が多かった。

私のほうは、夫の母の手前
寝込んだり休んだりする事ができなかったせいで
むやみやたらと薬を飲む事が多かった。
お互い、我慢する場所が違っていた。

私は、こんな生活をしていたら
多分薬によって身体を壊してしまうんだろうな・・・
と、漠然と思っていたが
夫のほうが先に身体を壊すとは思わなかった。

毎日のように夜中までお酒を飲んでくる事も多く
「お酒によって身体を壊す事はあるかもしれない」
そう思う事はあっても
「私ほど精神的には追い詰められてはいないだろう」
と、思っていたから・・・

夫は胃腸薬を飲み始めたが
下痢が改善される事もなく
毎日体力が消耗して行くようだった。

8月26日(水)
朝9時から病院へ行き採血をした。
この頃になると採血はしてみるだけであり
したからと行って何か意味がある訳でもないようだった。

8月27日(木)
夫は、休暇をとって
「第1種電気工事士」の定期講習に行った。

講習のハガキが来た時
夫は、講習を受ける事を迷っていた。
夫の気持ちの中に「明日はないのかもしれない」
と言う気持ちが芽生えていたのが見受けられた。

私は、とにかく前向きにさせようと
「だって会社を定年になった時
その資格もっていれば何かの時に役に立つんでしょ?happy01

と言ってみた。

夫は
「それはそうだけどなぁ~sweat02
と、言ってしばらく考えていた。

そして数日後、申し込みの振替用紙に
自分の住所や名前を書いて
「これの申し込みしといてくれconfident
と言って渡してきた。

私は、夫が少しでも生きる事に対して
前向きであれば、それで良いと思った。
夫は講習が終わると鍼治療に行った。

鍼治療に行ってくると身体は楽になるらしく
夫は治療に行く事を楽しみにしていた。

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2011年4月20日 (水)

お盆

8月12日(水)から
TS-1の4クール目が始まったが
今回は熱はあまり上がらないで済んだ。

下痢、立ちくらみ
だるさは相変わらずだったが
熱は高くても37度前後というのは
ずいぶん体は楽そうに見えた。

8月13日(木)は迎え盆だったので
私だけ自宅へ帰り迎え盆をして
自宅で盆棚を作ったり掃除をしたりした。

いつまでたっても長男の嫁である。
夫の父親は
私が嫁いだ時にはすでに亡くなっていて
夫の母も3年前に亡くなっている。

でも、夫の4人の姉妹にとっては
いつまでたっても自分達の実家であり
私は、いつまでたっても実家の嫁なのだ。

夫の姉妹は1人だけは父親と同居のところへ嫁いたが
その家は兄弟と縁を切ったようになっていたので
他の姉妹と同じように
盆、暮れ、正月、彼岸は必ず家に来る。

さすがに泊まる回数は減ったが
姉妹が来るための準備をしなくてはならなかった。

私にとっては、夫の具合が悪いので
なんとなくお盆も簡単に済ませたいと言う思いもあったが
そういう訳にはいかないようだった。
8月15日(土)は夫と一緒に自宅に帰った。

姉妹が来るので、おはぎを作った。
夫には玄米のもち米を使って
あずきときび砂糖で作ったものと
きなこと、ごまのおはぎを作った。

夫は、これも普通のものと変わらないと言って
とても喜んでいた。
おはぎの説明はコチラをクリック

そして、姉や妹の
「そんな食事療法してるんじゃ
ロクなものが食べられないんじゃない?gawk

と言う突っ込みには

「そんな事ないよ。
いろいろ作ってくれるから
食事だけが楽しみなんだよhappy01

と嬉しそうに話していた。

姉妹は・・・と言うと
いつも私の粗さがしをしているため
夫が私を褒めるのは
とてもおもしろくないような顔をしていた。

あわただしく、お盆を済ませて
16日(日)には、送り盆をして
夫と二人で自宅をあとにして
レオパレスに帰ってきた。

思えば30年間、私のお盆は
こんなことの繰り返しだった。

それでも、姉妹の子供たちが大きくなって
泊まりに来なくなり
姉妹も日帰りすることが多くなったのはありがたかった。

レオパレスに帰ってくると
又、いつもの日常が始まった。
夫の副作用には
息切れと足のしびれが加わった。

180センチの身長で体重が50キロを切ってから
洋服のサイズも合わなくなった。
夫は
「ステッピーのジーンズがちょうど良いかもnote
と言いながら私のジーンズを履き始めた。

「そうじやなくても、少しゆるいんだから
のばしちゃ、嫌だよsad

と私が言うと
「あっ、ちょうど良いhappy02
と笑っていた。

で、二人して
「えっ・・・ステッピーと同じ脚の長さなん?sweat01
「ゲッ・・・オヤジ(夫)と同じウエストなん?sweat02
と言って大笑いした。

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2011年4月13日 (水)

薬を減らす

2009年7月28日(火)に
TS-1の3クール目が終了して
8月12日(水)の4クール目が始まるまで
夫は体調の悪さが回復しないままだった。

立ちくらみ、激しい下痢、だるさ
喉の痛み、息切れ、足のしびれ
そして38度台の熱も続いた。
でも、会社は休まないで行っていた。

見ているほうも辛かったが
一回寝込んでしまえば
二度と立ち上がれないんじゃないか?
と、言う気もしてしまって
黙って会社の送迎をした。

8月5日(水)は夫の誕生日だった。
でも、結局はそれどころじゃなく
夫が希望していたCTの検査だった。

医師はやっても意味がないという顔をしていたが
夫は、自分の体の事が
とにかく知りたかったのだと思う。

午前10時40分から検査をした。
体調の説明をすると胃腸の薬が出た。
夫は
「又、薬が増えちゃったsweat01
と、言って薬局で薬をもらってきた。

この日は誕生日のために
ケーキもどきを買っておいた。
カップに入ってフルーツがいっぱいのっていて
気持ちだけのお祝い程度だったが
夫は、ケーキだと言って大喜びしていた。

8月8日(土)は
私の実家のある市の花火大会だった。
夫はいつも通り自宅に帰ると言ったが
私は花火大会を理由に帰ることを断固拒否した。

花火を見に行くわけではない。
でも、頭の中にいろんな理由が渦巻いていて
意地でも自宅になんか帰りたくなかった。

結婚して30年近く
この花火の頃は、夫の4人の姉妹達が
夏休みの子供たちをウチへ預けることが恒例で
子供たちだけで5~10人がいつも滞在していた。

そして、子供たちを迎えに来ながら
お盆には4家族が泊まりに来る。
家業をしながら、全員の食事を作り
私はいつでもクタクタだった。

姉妹にとっては、お盆に実家へ帰ると言うことだろうが
私にだって実家はあるのだ。
でも、誰もその事に気づいていない・・・
あるいは気づいていないフリをしてたいた。

私は、お盆に実家に帰ったことがなかった。
正月も2回ほどしか帰らせてもらったことはなかったが・・・
そんな、いろんな思いが
看病をしていながらも沸いてきていた。

そのあげく、夫がこんな病気になってしまい
私の人生って何だったんだ・・・
夫がかわいそうでもあったが
私が今までされてきた事に対しての怒りも
今となっては、どこへもぶつける事ができなくなっていた。

そんな反動が花火を理由に
とにかく今回は自宅には帰らない
と、言う意固地という言葉に近い態度で出てしまった。

帰りたいなら、一人で帰ればいい。
私は、今まで全ての楽しみを奪われて
奴隷のように働かされてきたんだ。

意地悪のようだが
心の中ではそんな思いが
大きな炎のようになっていた。

夫は、帰ることをあきらめて
土日をほとんどベッドの上で過ごした。
花火は、少し雨も降っていたし
どっちみち隣の市にあるレオパレスからは見えなかった。

でも、音だけは聞こえてきた。
花火の音を聞きながら
地元のテレビで放送される画像で花火を見ていた。

夫は
「そんなふうにして見たって
楽しくも何ともないだろう?despair
と嫌味を言っていたが
私にとっては、ささやかな反抗だった。

冷静になると、帰らなかったたために
夫の身体は、相当休まったんじゃないか?
と、思った。

8月12日(水)から
TS-1の4クール目が始まった。

いつもは薬を3週間飲むのだが
今回は、医師にどうにかお願いして
2週間飲んで様子をみる
と言うパターンにしてもらった。

しかも、いつも途中でしていた点滴の抗ガン剤も
今回はしない・・・と言う事での2週間だった。
夫は、初めて自分の意見を聞き入れてもらったせいもあって
治療に対して前向きで少し明るい顔していた。

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2011年4月 9日 (土)

腹膜播種の実態

夫のたっての希望で
8月にCT検査をしてみる事になったが
医師の様子は
検査をしてもしなくても治療法は変わらないので
やっても無駄・・・と言うような雰囲気だった。

腹膜播種の治療って
手術をする以外はみんなこんな感じなのだろうか?
しかも手術ができる医師は日本に1人しかいない。
そして、手術をしても助かる確率は低い。

先日、いつもブログにきてくれて
コメントをしてくれていた方のお父様が
腹膜播種で亡くなった。

その方は手術をするところまでこぎつけたのに
その日までもたなかったと言う・・・
日1日と弱っていく人をみながら
家族はどれだけ焦ったろうと思う。

少しでも体力があるうちに何とかしてほしい・・・
手術を決意した人にはそういう思いもあるだろう。
本人だけでなく、周りにいる人間は本当に辛いのだ。
その方のお父様のご冥福をお祈りいたします。

そして、ここのブログに新たに来てくださっている方。
やはり旦那様が私の夫と同じ歳くらいで
腹膜播種になってしまい
私が経験したような事を味わっていることと思います。

暗いトンネルの中にいるような毎日
少しでも、一つでも明るい事をみつけて
旦那様を支えてあげてほしいと思います。

私は笑う事で免疫力があがる・・・
そう言う話をきいて
馬鹿な事ばかりを言って夫を笑わせていた。

夫は、最後までお笑いのテレビが好きだった。
私は、お笑い芸人の真似をしたり
夫がかけてくる電話のメロディーコールをお笑いのものにして
ちょくちょくそれを替えて夫をびっくりさせて
二人で大笑いしたりしていた。

サポートの方から
腹膜播種は例え手術をしても
その後もエンドレスに抗癌剤治療が続き
ほとんど再発してしまうから

治療出来ることが幸運
と言うのが腹膜播種の実態なんだ・・・
と言う事を言われた事がある。

悪く捉えると、どうせ短い期間だから・・・となるけれど、
経済的負担、体にかかる負担、精神的な負担・・・
リスクは小さくはないが、この負担を背負いながら
今の時間を得ているのだと思ってください。

そんな内容のメールも届いた。

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2011年4月 5日 (火)

納得できない

TS-1を服用すると
体調がひどく悪くなり副作用に悩まされるため
3クール目のTS-1の服用が終わった際に
夫は薬を減らしたいと医師に申し出た。

医師は、それに対して
精神的に圧力をかけるような言い方をした。
まるで、言う事を聞かないなら
もう、診てやらないぞ・・・と言わんばかりだった。

私が
「抗ガン剤の副作用で死ぬ人はいないんでしょうかsweat02
と、言う質問を医師にしてみたら
「たまには、そういう人もいますthink
と、言った。

だったら自分の意思で
薬を辞めようが減らそうが勝手じゃないか?annoy
と思った。
基本はそうなのだろうが
やはり医師からの言葉は違うのだ。

副作用で死ぬ人もいるのなら
「薬を辞めたり減らしたりしたら知らないからなangry
と言うような脅しめいた事を
医師から言われる筋合いはない気もした。

近くでみている家族にしてみれば
いつでも具合が悪いのならともかく
TS-1を服用していない時は
普通の状態に近くなるため

かえって治療で体力を失って
しかも貧血で倒れた時に
不慮の事故にでも遭えばそれまでなのかなぁ・・・
なんて事も考えてしまう。

もともと、腹膜播種と言われても
癌細胞がどこからも見つかっていなくて
納得できない気持ちもあった。

検査とかで証明する方法はないのか?
と、質問しても
「お腹の中に癌があるのは確実だから、しても仕方ない」
との回答だった。

実態はないけど、これは、そうだから・・・
と言うものと闘って
しかも、治療をしても
実態をきちんと把握できていないものだから

少しは良くなっているのか?
進行はしていないのか?
治療しても、どんどん悪くなっているのか?
そういう事自体も解らないんじゃないだろうか?
と言う疑問が大きくなるばかりだった。

腹膜播種はCTを撮っても写らない。
写るようであれば、それはかなり大きくなっている。
夫のように肛門が硬くなるという症状が出ている場合
腹膜播種であると断定して差し支えない・・・と言う。

画像診断が難しい上に
確定要素が乏しいことは事実だが間違いない
サポートの方から、そういうメールも届いた。

こういう治療って
何クールまてやれるものなのだろうか?
頭の中は腹膜播種に対する疑問が渦巻いていた。

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