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2011年5月

2011年5月29日 (日)

太極拳

通勤を徒歩でするようになり
体力も筋力もついてくる事が実感できると
夫は何かスポーツをしてみたい
と、言うようになった。

昔から、私もスポーツジムとかに通ってはみたい
そうは思っていたが、自宅は山の中で
そういう事ができるところまでは
車で40分はかかった。

ましてや、夫は
毎日のように飲んで帰ってきていたので
スポーツなど考えてみた事もなかった。

でも、レオパレスに出てからは
そういう事ができる環境にもあった。
近所にそういう設備もある
そして夫の帰りも早い。

でも、肝心な夫がそんなには動けない。
夫は筋トレでもしたいようだったが
私はインターネットで探して
「太極拳」をしてみよう・・・と夫に持ちかけた。

教えている方もガンを患って
とても痩せてしまっていて
インターネットに載っている顔とは全然違う
と近所に住む私の友達が教えてくれた。

私達は11月から太極拳に通う事にした。
「10月のうちに1回見学にきてください
そう言われて、見学に行った。

夫は、本当に人見知りだった。
私も初対面の人と話す事は苦手だった。

仕事をしているところでも私がそういうと
「え~・・・そんなふうには見えない
と良く言われるが
それは無理をしているだけだった。

私のほうこそ
夫の陰に隠れていたいようなのに
夫がほとんど話をしないので
私が他の方と話をした。

夫は、興味があるんだか、ないんだか
やる気もあるんだかどうかも
わからない態度だったが
家に帰って聞いてみると、やる気はあるようだった。

教えて下さる方は、ガンを患っている先生と
そのお弟子さんらしい夫婦だった。
でも、やはり先生のほうは体調がイマイチらしく
休み休み参加していた。

お弟子さんの夫婦の奥さんのほうは
自分が何か病気をしたらしくて
観察力が鋭かった。

夫の手が冷たかったり
顔色が悪かったりするのを
さかんに心配していた。

「太極拳すると丈夫になりますからね
と、言ってもらったが
私は、いつか、夫の体調の事は
話しておいたほうが良いと思った。

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2011年5月26日 (木)

夫の言葉

2009年10月24日(土)
この日は結婚記念日ではあったが
私は高校時代の同級生と泊まりで出掛けた。

夫を置いて出掛ける事に迷いもあったが
夫のほうも数日前に自分の同窓会にも出てきて
「体調も良くなっているから行ってくればいいよ
と言ってくれたので、思い切って出掛ける事にした。

夫の母がいた頃は
どんなにか夫が好き勝手な事をしようと
私だけが他の人のしわ寄せを一手に引き受けようと
私が楽しんでもいい・・・と言う法則はなかった。

思えば、夫の体調は悪くても
平和で幸せなのだ・・・そう思った。

が・・・それも束の間
夫の妹が同窓会で実家のほうに帰るから
寄ろうと思っている・・・
と、携帯にメールが入った。

「どうしよう・・・行くのやめたほうがいいよね
と言うと
「どうしてさ。行ってくればいいよ
と、夫は言った。

「だって、病気のオヤジ(旦那)置いて
私が遊びに行ってるなんて
又、姉妹みんなに電話して
何言われるかわからないじゃない


今までの経験から
私のほうはビビリまくっていた。
それに、夫一人のところにきても
夫が上手に接待できるとは到底思えなかった。

「大丈夫だよ。
だいいち、俺の姉妹だってお母さんと同じで
人が病気だからって遊ぶの我慢してる奴なんかいないんだ。
ステッピーだけが、そんな風に思わなくていいさ


あ~・・・その言葉を結婚当初から聞きたかった
・・・そう思った。

私は、結局泊まりで出掛け
夫は妹が来て、相手をした。
夫のところに帰ってから
「○○ちゃん(←義妹)大丈夫だった?
と聞くと

「大丈夫だよ。
こんなに元気でいるとは思わなかった・・・って
びっくりしてたよ

と言って夫は笑っていた。

夫が亡くなってしばらくしてから義妹に聞いたのだが
この時、夫といろいろ話をして
私の話になった時、夫は

「本当に良く面倒みてくれるんだよ
ステッピーが、あんなにも
尽くしてくれるとは思わなかったよ
だから、良くならないと申し訳ないんだ。」


そう言って笑っていた・・・と言った。
義妹も、夫の母が亡くなってから
私の事を敵視してきたせいで
すぐには私に伝えられなかったのだと思った。

私は、夫が亡くなってから半年後くらいに
夫の、この言葉を聞いた。
後で聞いた夫の言葉は
その時に聞くよりも、胸にささった。

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2011年5月23日 (月)

通勤

2009年10月16日(金)
2日前に腹痛を起こし
ガンでかかっていた病院からは
何の処置もしてもらえなかった夫だったが

翌日に以前からのかかりつけの医師の所へ行き
そこでは治らなかったものの
家に帰ってきてから素人考えで下剤を飲んで
苦しみからは逃れられた。

それでも、金曜日なら医師がいるから来るように
と、言われていたので病院に行った。
そこでは、採血と直腸診をして
点滴もしたが、何の説明はなかった。

せめて、腹痛の原因とか
又なった時の処置とか
そういう事の説明がほしかった。
そして、ここからTS-1の6クール目が始まった。

夫は、抗ガン剤を減らしたせいか
本当に体調が良くなった。
自分で体力をつけたいと思うようになり
会社への通勤を歩いてみると言い出した。

10月19日(月)
この日から、夫は自分の足で歩いて通勤を始めた。
会社までは、行きは下り坂、帰りは上り坂だ。

行きは良いかもしれないが
疲れた体で帰りの上り坂は
キツイだろうと思った。

でも、とりあえず途中で無理なようなら
電話するからと、言う事で
私は自宅で待機をした。

会社までは、1.5キロほど
元気な頃の夫だったら
早足なので10分くらいのものだろうが

夫の体力でとのくらい時間がかかるのか?
ましてや、会社にまでたどりつけるのか?
そういう心配があった。

体調が悪くなって倒れる事もあるんじゃないか・・・
倒れた時に車にでもひかれてしまったら・・・
昔から悪い事が起こる事が多かったせいか
相変わらず悪い事ばかりが頭をよぎった。

夫を送り出してから携帯とにらめっこする日々
帰りも夫からの帰るコールから
家にたどりつくまで同じだった。

そういえば、子供達が小学校に行き始めは
こんな感じだったかもしれない・・・
そんな事を思い出したりもしていた。

実際、私にとっては送り迎えをするほうが
精神的にも楽なのだ・・・そうは思ったが
体力をつけるために努力をしている夫をみると
応援する以外、方法はなかった。

最初は帰ってくるなり
ベッドの上に倒れ込み
夕食ができるまで動けなかった夫だったが

だんだん歩く事に慣れてくると
帰ってきてから
バナナを食べたりお菓子を食べたりして
テレビをみながら過ごせるようになった。

歩く事によって、足に筋肉が戻ってきた
そう言って嬉しそうだった。
張り合いが良くなってくると
夫は、もう少し体を動かしたいと思うようになった。

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2011年5月18日 (水)

腹痛

2009年10月頃には
手足の感覚も麻痺し始めていた。
でも5クール目は2週間だったので
嵐も過ぎるのが早かった。

胃腸薬も同時に服用したのだが
立ちくらみ、手足のだるさは相変わらずでも
前回、長く薬を休んで体調が回復したせいか
下痢の兆候があったのは10日目くらいだった。

でも10日目となれば
5クールの終了まであと4日と言う事で
なんとか頑張れる・・・と思うだけでも
気持ち的にも違った気がした。

しかも、下痢をしなかったせいで
体重は推移しながらも
なんとか53キロを保っていた。

10月に入ると、少し涼しくなってきたせいか
手足が冷えるようになった。
そのせいで手足がしびれているのか
薬の副作用でしびれているのか解らなかった。

夫の爪は
少し前から色が悪くなって茶色がかり
割れやすくボロボロになっていたのだが
この頃になると隆起するようになってきた。

体のあちこちで
細胞がいろいろな変化を起こしている。
正常なものが減っていく・・・

10月11日(日)に
TS-1の5クール目が終了した。
このあたりから
今度は口内炎に悩まされるようになった。

2009年10月14(水)
夫は夜中に激しい腹痛に襲われた。

体調が少し良くなって
体力も回復してきたせいで
食欲も旺盛だったせいか
食べ過ぎたのかもしれなかった。

吐き気もあり冷や汗をかいて
ベッドの上で転げ回っていたので
病院に電話をした。

電話での応対は
「今夜は先生はいないので何もできません。
明日も先生は診察の日ではないので
来てもらっても何もできないと思います。
金曜日には先生がいますので金曜日に来てください」


「はぁ?
これって、もしも生きるか死ぬかの状況だとしても
こんな事を言うのかよ?
そう思った。

「わかりました
そう言って電話を切るしかなかった。
夜中じゅう夫は苦しんでいた。
次の日の朝も苦しんでいて会社を休んだ。

私は今までのかかりつけの医師のところへ行くことを提案した。
夫は、戸惑っていたが
「診てくれるかな?
と、行く気になったので電話をしてみた。

かかりつけの医師は
血圧の薬を長くもらっていたところだった。
電話をすると受付から医師に電話をつないでくれ
「何ができるかわからないけど来てください」
そう言ってくれた。

こんなに苦しんでいるのに
何もしないで放ってはおけない・・・
そう思って、とにかく行ってみるしかなかった。
病院までは車で40分ほどのところだった。

かかりつけの医師は診断をして
ぶどう糖と吐き気止めの点滴をしてくれた。

夫の状態は良くならず気休めに終わったが
受け入れて話を聞いてくれて
対処をしてくれただけでも、ありがたかった。

レオパレスに戻り、苦しむ夫の横で
しばらく途方に暮れていたが
夫に症状を聞いてみた。

いろいろ聞いてみると
下痢はしていないが、その逆で
便が出ていないようだった。

「もしかしたら、いつもの逆で便秘ではないのか?」
そう思った。
少し迷いはあったが
便秘薬を飲む事を提案した。

かと言って、強いような薬を使うのは恐かった。
漢方の便秘薬を恐る恐る飲ませてみた。
夫は、素直に私の言う事に従った。

3時間ほどたった頃
夫はトイレに行った。
下痢でもなく久しぶりに普通に用を足したようだった。

それから、しばらくすると腹痛も治まり
夫は
「今までの苦しみは何だったんだろう?
そう言って笑っていた。

「医者よりもステッピーの言う事を聞く方が確かだ
などと冗談も言っていた。
夫は、この頃から時々便が出にくくなると
漢方の便秘薬を使うようになった。

思えは、このあたりから
腸が圧迫され始めて
便が出にくくなっていたのかもしれなかった。

私は、漢方と言うのも手かもしれない・・・
と、思うようになった。

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2011年5月15日 (日)

同窓会

2009年9月28日(月)から
TS-1の5クール目が始まった。

9月25日(金)に治療相談があったのだが
そこで、医師に何と言われても
夫は薬の量を減らす方向で譲らなかった。

1~3クール目までは
TS-1を3錠づつ
3週間飲んで2週間休み
途中で点滴の抗ガン剤をしたのだが

TS-1を2錠に減らし
2週間飲んで1週間休みにしてもらった。
点滴の抗ガン剤もしない事にした。

9月30日(水)
夫は、初めてゲルマニウム温浴に行った。
私は以前、数回経験しているのだが
有機ゲルマ二ウム粉末を溶かした42~43℃のお湯に
20分間ほど手と足を浸すと言うものだ。

なんでも身体に溜まっている老廃物を汗と一緒に排出して
体内の毒素を出すので、血液をサラサラにして
知らず知らずに体内に溜め込んでいる化学物質や塩素等を
代謝のよくなった身体が汗・尿・便と一緒に排出する
・・・と言う事だった。

それが良いか悪いかは別として
ただ何もせずに止まってはいられなかった。
良いとされる事は時間とお金が許される限りは
やってみよう・・・と、ただ走り続けた覚えがある。

10月3日(土)
夫は、小学校の同窓会に出席した。
予定通り、出掛ける前に軽く食事を済ませ
出席だけして飲みも食べもせずに
夜中に家に帰ってきて私の作った夕飯を食べた。

でも、夫は満足そうな顔をしていた。
先生にも会えたと言っていた。
夫の髪は、若い時から白髪が交ざっていた。

若い頃は、良く私が染めてあげていたが
半分近く白髪になった時点で
黒く染めるとおかしいので
グレーのものを使ったりして
自然とぼかすようにしてきた。

40代後半からは
ほぼ全部が白くなってしまったので
染めるのをやめた。
この頃から良く私の父親に間違えられるようになった。

どんなにかイヤなんだろうな・・・と、思うと
「又、親子に間違えられちゃった
と、まんざらでもないような顔をしていたから
私が気をつかうほどイヤではなかったのかもしれない。

夫は
「先生の髪は多くて白髪もそんなになかったから
一緒にいたら、どっちが先生だかわからない
って、みんなにからかわれた

と言って笑っていた。

でも、この集まりに出る事ができて良かった・・・
そう思ったのは夫も私も同じ気持ちだったと思う。

先生も同級生も
「絶対に負けるな
癌でなんか死ぬなよ
そう言って、励ましてくれた・・・
と、私に話してくれた。

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2011年5月10日 (火)

体力の回復

2009年9月1日(火)に
TS-1の4クール目が終了して
9月28日(月)まで薬を休む事ができた。

休む事ができた・・・と言うのは
夫と私からの見方であって
医師からしたら
あきれた方向だったのかも知れない。

むしろ
「好きにすればいい
と言う見捨てた方向だったのかもしれなかった。

でも、私達は内心
「なんだ、そんな事もできるんじゃないか?」
と、思っていた。

夫の体力の回復はめざましかった。
下痢や息切れは改善され
だるさや立ちくらみはあるものの
見た目も随分楽そうに思えた。

48キロまで落ちていた体重が
1ヶ月弱の間に52キロまで戻り
食欲もあって、食事の量も増えた。

いつも、お腹が空いたと言うようになり
ゲルソン療法をしているために
やたらのものは食べられなかったので
夫が休みの日などは
私が食事を作る回数も多くなった。

夫は腹膜播種になる前に
胃癌の手術で胃を3分の2とってしまっていた。

会社へ持っていくお弁当も
足りないと言っていたが
いっぺんに量をたくさん採るのは無理だと思い
バナナや、玄米でできたお菓子を持たせたりした。

夫は、朝食を食べて会社へ行き
昼食までの間と昼食から帰宅までの間に
それを食べるのが日課になった。

食事をおいしく食べられると言うのは
人を明るくさせるようで
気持ちも前向きになるし
何よりも毎日が楽しそうだった。

このまま薬を飲まないでいられたら良いのに・・・
そう思った。
夫は、会社まで歩く事を考え始めていた。
体力をつける事も大事だと思ったようだった。

体調が良くなると言う事は
いろんな気持ちの変化が生まれる。
夫は、クラス会の出席も考えていた。

クラス会の監事でもないのに
計画を立てる話し合いの時に
夫がいると、まとめ役に便利だから・・・
と、具合が悪いのにひっぱり出されたのが
2ヶ月ほど前。

その時は
話し合いの席についているのも大変だったようで
クラス会への出席は無理だ・・・と言っていた。

でも、薬を休んで調子が良くなってくると
「食べられなくても飲めなくても
みんなの顔を見て話をしてこよう」
そんな思いに変わってきたようだった。

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2011年5月 6日 (金)

いつまで・・・

2009年9月14日(月)
この日は検診だった。

夫は、今まで薬の飲み方が
3週間飲んで2週間休みだったのを
2週間飲んで休む事にしたために
副作用が随分軽減した事を医師に伝えた。

医師は、それに対しておもしろくないような顔をした。
とにかくマニュアル通りに薬を飲ませたいようだった。
夫は、薬は少しづつ減らしていって
いつか辞められるものだと信じていた。

医師に
「薬はいつまで飲むんでしょうか?
お腹のしこりも解らなくなって
薬を飲まないほうが調子が良いのですが
いつになったら辞められるんでしょうか?」

と訪ねた。

私は、イヤな予感がした。
医師は
「腹膜播種と言うのは
今の治療ではこういう形しかないんです

と、言った。

そして
「いつかはTS-1も効かなくなる。
そうしたら、次は違う薬に切り替える。
そして、その薬も効かなくなったら
又、違う薬に変えていく。」

そう、つけ加えた。

夫は、けげんそうな顔をして聞いていた。
「薬の種類はそんなにあるんですか?」
と聞くと

「今はTS-1が一番効く薬とされています。
でも、ガン細胞がいつかはTS-1に慣れてしまって
薬が効かなくなってしまうんです。

そうしたら、その前に使っていた薬とかに切り替えるんです。
その薬も、いずれは効かなくなるから
又、違う薬を考えてみるんです。」

そう答えた。

「つまり、死ぬまでって事なんですね?」
と夫が聞くと
「そうです
と答えた。

夫は、暗い顔になった。
たとえ死ぬまで薬を飲むとしても
飲める期間は10年も20年もあれば、それもいい。
でも、どれだけ薬を飲める期間があるのだろう?

薬の副作用によって体力を奪われ
できない事が増えていく。
頭痛薬なんかも、あまり回数を飲むと効かなくなると言うが
抗ガン剤も同じなのだ。

とにかく薬が効かなくなったら
とりあえず効くかどうかは解らなくても
次から次へと違う抗ガン剤に変えて
様子をみると言う事なのだ。

もう未来などは何もない・・・
そう宣告されたようなものだった。
そこで、どうにか命をつないでいるうちに
もっと良い治療方法ができるのを待つしかないのだ。

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2011年5月 2日 (月)

副作用の改善

2009年8月29日(金)
このあたりから、夫は足の裏を痛がるようになった。
病院で出された胃腸の薬も全くきかなくて
ひどい下痢に悩まされ、我慢ができなくなり
いよいよ自分の判断で正露丸を飲んだ。

8月30日(土)は村の人足があった。
体力的にも無理だから止めたのだが
聞かずに出て行った。

帰ってくると、青い顔をしてぐったりしていた。
人足に出れば、誰も気をつかってなどくれない。
大丈夫だから出てきたんだろう
・・・そう思われるだけだった。

過疎化が進みお年寄りばかりになってきた中では
夫は若いほうだった。
案の定、キツイ人足に回されて
帰ってくるなりソファーに倒れ込んで動けなかった。

もう、こんな場所には帰ってきたくはない。
そんな思いが私の頭の中でぐるぐる回っていた。

冬の雪に加えて、不便で、周り近所がうるさくて
田舎なのに、のどかでも何でもない
人間関係も大変で・・・
子供達には、そんな思いは絶対にさせたくなかった。

9月1日(火)の朝TS-1を飲んで
4クール目が終了した。

9月2日(水)は病院の採血の日だった。
この日は輸血もしてくれると言う事だったので
夫は1日休暇をとった。

採血をして輸血をすると
次の日には立ちくらみが随分改善したようだった。

夫は、医師にその旨を伝え
輸血の回数を増やしてもらいたい
と伝えたが、キマリがあるようで
度々はできないと言う話で、ガッカリしていた。

9月8日(火)
この頃から手足の爪が変化してきた。

手の色自体がどす黒いような
黒紫のような色になっていたのだが
爪の色も茶色と言うか黄土色のようになり
もろくなって、ちよっとの事でポロポロと崩れるようになった。

夫は気にして、いつも爪をいじっているようになった。
点滴の抗ガン剤をしなくなり
TS-1の休薬期間も長くとってもらうと
夫の体力はみるみるうちに回復した。

だるさ、立ちくらみ、息切れ
爪の変化はあるものの
下痢も随分改善され
自分で体力をつけたいと思うようになった。

夫は暑がりで汗っかきであったのだが
この夏は、ほとんど暑いと思う事はなかったようだ。
しかも、1回も蚊にさされなかった。

いつもは夫は蚊に刺される事が多く
もともと私に比べて体温も高いせいもあるのだが
私の血液型はA型で、夫はO型と言うのも多少あるのか
一緒にいても夫ばかりが蚊にさされていた。

それが、この夏は私ばかりが刺されていた。
「今年は蚊がいないな
と言うので
「私はたくさん刺されたよ
と言うと

「蚊も利口だな。
俺の血には抗ガン剤がいっぱい含まれてて
毒なのが解ってるんだ
と、さかんに感心していた。

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