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2011年7月

2011年7月30日 (土)

夫の宿命

叔母から余命を指摘されて
私は、だんだん
あせりを感じるようになってきた。
何よりもゲルソン療法に対してあせっていた。

叔母の言うように
もう、あと少ししか生きられないのなら
夫が食べたいものを
何でも食べさせてあげたい。

私は、ここでも
夫が仕事を続けると言う事で
悩んだのと同じような悩みにぶちあたった。

ガンの人達はみんなそうだと思うが
病院の薬だけでいる人は少ない。

健康食品であったり
何かしらの器具であったり
食事療法であったり
他に何かよりどころを求めている。

夫にとってはゲルソン療法がそれだった。

私はインターネットで調べたり
本も読んだりしたので
ゲルソン療法は腹膜播種には難しいらしい・・・
と言うのがわかっていた。

例えば、ガンの手術をして
悪いところを取り切って
再発をしないように・・・とか

ガンの進行を少しでも遅らせるとか
そういう事には
絶大な効果があるのだろう。

夫にとっても
最初に胃ガンの手術をした時に
ゲルソン療法をやっていたら

たとえ腹膜にガン細胞が
こぼれ落ちていたとしても
再発するまで時間はかせげたのだと思う。

そこで再発までの時間がかせげて
再発してからの進行が遅かったとすれば
5年やそこらは長く生きられたのかもしれない。

体調不良を最初に訴えてから
腹膜播種を医師に告げられるまでの
7ヶ月ほどの間も
夫はガンに対して悪い事ばかりをしていた。

毎日酒を飲み、肉を食べ
遅く帰ってきては睡眠時間も短く
夏は鮎釣りに行って体を冷やし
冬は除雪をして体を冷やし・・・

これでは、ガン細胞に
住みやすくて成長しやすい環境を与えて
どんどん栄養も与えているようなものだ。

夫にとっては、これが宿命なのか?
そう思った。

もう何ヶ月も生きられないなら
ゲルソン療法をやめさせようか?
私はそんな事ばかりを考えるようになった。

夫は相変わらず
「これは食べられる?
食べても良いもの?」
と子供のように聞きながら物を食べていた。

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2011年7月27日 (水)

宿命

叔母は
「ステッピーが治したくて
一生懸命やってるのはわかるけど
話を聞いた限りでは
もうあと1~2ヶ月だと思うよsad
そう言った。

医師からは余命の事は
何も言われていなかった。

今になると、ガンの人の状態を聞いて
自分にも余命がわかってしまう事もあり
そうい事なんだな・・・と思うが
この時は納得がいかなかった。

腹水がたまって
いろいろなところも具合が悪くなっていたが
会社にも行っている。

なんと言っても
ガンは痛いと言うが
痛みと言うものを夫が訴える事は
あまりなかった。

このあたりになって
排便痛や排尿痛はあったが
それは腹水がたまってきて
圧迫されているせいであるらしかった。

叔母から余命を言われて
パソコンで年賀状を作りながら
私はぼんやりと考えていた。

だって、そんなのってひどいじゃない
今までだって実家でも楽しい思いをする事もなく
わがままで自分勝手な父親のもとを離れたくて
少しでも自由になりたくて22歳で結婚して

結婚したら、もっと不自由になってしまって
25年間、わがままな放題な夫の母親と同居して
寝る間もないような家業をしながら
地獄のような毎日の中

こんな事ばっかりの人生なら
もう死んじゃったっていいよ
そんな事も思いながら
やっと夫とふたりきりになれたのに
3年しかたたないで結末はこんな事なんだ。

私は、何のために生きているんだろう?
幸せとか楽しいとか
そういう事は望んじゃダメなんだな。

今までだって、下ばっかり向いて生きてきた。
結婚してからの毎日だって
妻だとか嫁だとか家族だとか思うから
頑張れないんだ。

例えば昔で言えば奉公に来ているとか
家政婦だと思えば
感情がない分、楽なんだ。

そう思って乗り越えてきた分
夫に対しても
気持ちが冷めていたところもあった。

私だって太陽の下を
前だけを見て歩いてみたい・・・
でも、きっとそういう事とは
縁のない宿命なのかもしれないな

そんな事を考えていた。
でも、叔母に比べたら
まだましなのかもしれない・・・
そう思って涙を飲み込んだ。

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2011年7月24日 (日)

腹水を抜くという事

毎年12月になると
私がパソコンを使って
実家の母親の妹達の年賀状を作ってあげるのが
恒例になっていていた。

たいていは土日に叔母達の家に
おじゃますることが多かったのだが
叔母達も気を使って
夫が会社へ行っている時間に
年賀はがきを作りにきた。

叔母は3人いて
その中の一人は
私が離婚したいと言った時に
相談に乗ってくれた叔母だった。

そして、この人は2度目の旦那様を
胃ガンからの腹膜播種で亡くしていた。

最初の旦那様を20歳代で亡くし
50歳を過ぎてから2度目の結婚をした
そして10年もしないうちに
又、亡くしてしまった。

叔母が夫の具合を聞くので
腹水の事を説明した。
そして私は、どうにかして
病院を変わりたいと思っている事を話した。

夫は腹水を抜いたら
体調が良くなると思っていた。
インターネットでもたくさん調べたのだが
大抵は抜かないほうが良いと書いてあった。

インターネットによると
腹水は溜まるとお腹が張って苦しいので
抜く処置をしますが
腹水にはアルブミンなどの栄養成分も多いので
抜くと体力もなくなります。

なので初めは利尿剤などで
腹水を減らす治療をする事が多いです。

腹水を抜く事がよいかと言うと
本当は体の水分としても失われますし
栄養分も失うので
体としても負担があります。

しかし、お腹の張りによる苦痛や
腹水で肺が圧迫され
呼吸困難になることもあるので
苦痛緩和のために抜かざるを得ない事も多いのです。

そして腹水が3~4Lも抜けると言う事は
腹膜播種や全身状態が
すでに良くないのではと思います。

こういった腹水は抜いた直後は
楽になりますが、すぐにたまり
リバウンドのように抜く間隔が短くなり
量は多くなっていく傾向があります。

そう書いてあった。

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2011年7月20日 (水)

予防接種

2009年12月13日(日)
友達夫婦と一泊して
旅行帰りには自宅に寄って少し用をして
レオパレスに帰ってきた。

夫は疲れた様子ではあったが
満足そうだった。
私は無事に行って来られてホッとした。

行く前に具合が悪くならないだろうか?
行ってから具合が悪くなったら
どうやって病院に行ったら良いだろうか?

私は旅行に行く前から
そんな事ばかりを考えていた。

結婚してから
最初で最後になってしまうだろうと言う
二人きりの旅行は
心配の中、終わってしまった。

私にとっては
ゆっくりと何の心配もなく旅を楽しむ人生など
結局、用意はされてはいなかったんだ
・・・そんな思いが押し寄せてきた。

この日は
TS-1の8クール目が終わった日でもあった。
12月11日(金)に病院から利尿剤をもらった時
私はいろいろな質問をした。

腹水については医師は当然起こる事
と言うような態度だった。
とにかく、こちらが質問したり要請しない限りは
何も動いてはくれないのだ。

冬になってインフルエンザも流行っていた。
体力が落ちているところに
インフルエンザにかかったら
命とりになってしまうのではないか?
そんな心配もあった。

インフルエンザの予防接種は
ガン患者にとってどうなのだろう?
そんな質問をすると
「それじゃ注射をしときますか?」
と、又、相変わらずの受け答えだった。

インフルエンザにかかると困るから
注射をする事を勧めますが・・・
そんな提案はしないものなのだろうか?
と、又、疑問に思った。

夫のインフルエンザの注射の予約をして
私は、自分もしたほうが良いな
・・・と思っていた。

いつもは、自分はした事などないのだが
今回ばかりは
私がインフルエンザになって
夫にうつる心配をする訳にはいかなかった。

それに私が寝込んでしまっては
夫の世話もできなくなる。
とにかく、食事療法をしているのだから
私が食事を作らない訳にはいかないのだ。

12月18日(金)
夫は午後から休暇をとって
インフルエンザの注射をしに行った。
私は、近くの内科で注射をしてもらった。

夫はこの日は鍼治療に行った。
腹水がたまってきて足もむくんでいたが
鍼に行ってくると
とても楽になると言って喜んでいた。

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2011年7月16日 (土)

写真

夫を大浴場に送り出し
私と友達も大浴場へ行った。
お風呂から帰ってみると
夫は部屋にいた。

「どうだった?」
と聞くと
「良いお風呂だったよconfident
と、言うので
「ねぇ~・・・行って良かったでしょ?smile
と、言ったら笑っていた。

食事の時間になり
ホテルの中の郷土料理のレストランへ4人で行った。
私も以前は毎晩のように晩酌をしていたのだが
夫に合わせてお酒はやめていた。

夫が
「ステッピーは飲めば良いよhappy01
と言うので、この日は飲む事にした。
夫はオレンジジュースを飲んでいた。

さすがにプロが作る料理と言うのは
見た目にも楽しませてくれるが
味も良くて、夫は料理が出てくる度に
とても喜んでいた。

ゲルソン療法は始めてから半年くらいすると
白身の魚も食べられるようになる。
夫は、魚が好きだったので
12月になるのを指折り数えて待っていた。

料理には白身の魚も出た。
雰囲気も彩りも味にも満足して
夫が料理にあまりに感動していたので
それだけでも思い切って来て良かったと思った。

食事が終わってから
私と友達はホテルの中のみやげもの屋に行ったのだが
夫は部屋で休んでいるから・・・と部屋へ戻った。

私が買い物を終えて部屋へ行くと
ベッドの上で横になっていた。
さすがに久しぶりの外出で疲れたのだろう。

次の日の朝は
近隣のブナの林を見に行くツアーを提案された。

途中までバスで行き、いくらか歩くと言う事だった。
夫は、自宅が山の中のせいもあり
どうでも良いような感じであったが
せっかくだから参加しようと誘ってみた。

寒い中少し歩いて疲れたせいもあって
夫の口数は少なくなっていた。
少し心配だったが
帰りは車の中で寝ていれば良いから・・・
と、話しながら散策をした。

ホテルに帰ってから
友達とホテルの中と外で写真を撮った。

Dscn0263

後で思ったのだが
二人きりでと撮った写真は25年ぶりくらいだった。
そして、夫にとっては最後の写真となった。

私は
もっと何枚も撮ってもらえば良かった
・・・と、少し後悔した。

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2011年7月12日 (火)

お風呂

2009年12月
腹膜播種が発覚してから7ヶ月余り・・・

夫が体調の悪い中、旅行の話に乗ったのは
私にとっては意外だった。
友達にオッケーのメールをして
泊まる予定のホテルに電話をした。

夫は食事療法をしているから
料理によっては何も食べられない事もある。
でも、そんなワガママ聞いてくれるだろうか?
おそるおそる電話をすると料理長さんに代わってくれた。

野菜と白身の魚しか食べられない事。
野菜でも、食べられないものはあるが
それは私がとってあげれば良いと思った。

油ものがダメな事。
出汁も、動物性のものはダメである事を伝えた。
朝食は、バイキングなので
自分で選んで食べられそうだった。

家では塩や醤油や味噌も使っていないが
そこまでの事は言えなかった。
それでも、薄味にしてほしいと言う事は伝えた。

今のホテルはたいしたもので
アレルギーとかの人でも泊まれるように
内容を詳しく聞いて対処してくれる。
本当にありがたいものだと思った。

そして、夫の体調がイマイチな中
私達は旅行に出掛けた。
友達夫婦とは現地で会う事にした。

レオパレスから
旅行に行くのとは反対方向の
漢方の病院へ行き

病院が終わると
高速に乗り100キロほど走り
そこからは山道になる。
もちろん私の運転だった。

途中のパーキングでお昼ご飯の
玄米のおにぎりを二人で食べた。
夫が病気になるまでは
二人きりでいられた事などはなく

夫が病気になってから
二人で車に乗る事は良くあっても
だいたい自宅へ帰るか病院へ行くかだったので
二人共なんとなく、ウキウキしていた。

ホテルには私達のほうが先に着いた。
夫は、お風呂の心配をしていた。
「腹水がたまっているお腹を
他の人が見たらどんなふうに思うだろうか?」

そんな事を何回も繰り返し言っていた。

私は
「だって、お腹の出てるおじさん達って
いっぱいいるじゃんhappy01
痩せてたって、ビール腹で出てるのかな?
くらいにしか思わないよsmile

そう言って、笑ってみた。

おしやべりをしているうちに
友達夫婦もホテルに着いた。
たちまち、女同士は話に花が咲く。

チェックインして、部屋へ行き
お風呂に行った。

夫は
「やっぱり部屋のお風呂に入ろうかなぁsweat01
と、言っていたが
「せっかく来たんだからconfident
と言って、大浴場へ送り出した。

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2011年7月 9日 (土)

負のスパイラル

最近になって実家の母が
私に良く言う事がある。

「お母さんの年代だったら
ステッピーくらいの苦労をしている人は
普通だったけど

ステッピーの年代で、そんな扱いされてきて
育てた親としては本当に腹が立つannoy

・・・と・・・・

でも、最近になって思った事がある。
自分で好きで苦労をした訳じゃない。
したかった訳でもない。

我慢をする事には慣れると言う事。
そして我慢をし始めると
自分の領地が減ってくると言う事。

そして我慢をする事によって
我慢はつきまとうようになると言う事。

今もまだ健在だが実家の父親は
子供から見て
「ふざけているのか?punch
と、思うほどのワガママな人だ。

そして、私達にとっては良い祖母であったが
母親には厳しい祖母と両親と弟の五人家族の中
私は育ってきた。

とにかく、子供の頃から
何も思いどおりにはならなかった。
テレビのチャンネル権も
嫁ぎ先以前に、実家でもなかった。

父親は私が友達と出かけるのを嫌がり
とにかく家の中にいろと言う。
いたからと言って特に理由もなく
ただ籠の鳥にしておきたかっただけのようだった。

友達が恋しくて電話をしていると
「いつまで電話をしているんだangry
と、電話口で友達に聞こえるように言うのが
とてつもなく悲しかった。

母親は私に
「女の子なんだから・・・」
と、言って私が苦手な女としての仕事をさせたがり

父親は白いものでも黒だと言えば後にひかないため
そのワガママを通すために
「ステッピーが我慢してくれれば・・・」
と、母は私に良く言っていた。

私は、心の中ではいつでも憤っていた。
どうして間違っている事を
間違えていると指摘してはいけないのだangry

そして、反動もあってか
今だに料理も掃除も裁縫も
女の人がする仕事は
全て苦手だ。

包丁よりも、ペンチやドライバーを持っているほうが
自分にはよほど似合っていると思う。

母親は祖母に対しても
いらないような事まで私にさせて
自分の株をあげようとした。

いつだったかテレビで占いの人が言っていた。
うろ覚えではあるのだが

女の人は家庭の中で太陽なのだから
その女の人が明るく楽しくいられる事が
家庭にとっては重要な事である。

だから、女の人は少しくらいワガママで良いし
小さい時から少しわがままくらいに育てて
ちょうど良いのだ。

たしか、そんなような事を言っていた。
私は、自分につきまとっている事はこれなのだ
そう思った。

我慢ができなければ
そんな嫁ぎ先は選ばないのだ。
そして間違えて行ってしまっても
頑張れなくて出てきたのだ。

「神 は人に乗り越えられる試練しか与えない」
最近のテレビの「JIN」で言っていたが
妙に心に突き刺さる言葉だった。

子供の頃から人の役に立てなければ
存在していてはいけないのだ・・・
そういうふうに育てられてきた気がする。

だから、いつでも自分の存在価値が見いだせない。
そして、相手のワガママには目をつぶって我慢する。
そうする事によって丸く収まると思うから・・・

同じ姉弟でも3歳違いの弟のほうは
天真爛漫に育った。
母親から、いらない事を言われる事もなく
父親や祖母に対しても自由だった。

最近になって周りが弟の事を
「ステッピーのお兄さん・・・」
と良く言うのだが
「態度はでかいけど、弟なんですcoldsweats01
と答える事にしている。

制約されていないで育ったものは
のびのひ育つのだ・・・と思った。
私にとっては、人生そのものが
「負のスパイラル」としか言いようがない。

夫を亡くし、嫁ぎ先からも自由になった今
「いつか晴れる」に先駆けて
「負のスパイラル」から抜け出したいと思っている。

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2011年7月 6日 (水)

ささやかな反抗

旅行をあきらめてきた私達だったが
11月の中ば過ぎに
私の高校時代の友達からメールがきた。

その友達の旦那様も夫と同じ会社だった。
と、言うより、私が入った会社の先輩で
私が間に入り知り合って結婚した。
そして、夫と私も社内結婚だった。

メールの内容は
12月に一緒に泊まりに行かないか?
と、言うものだった。

私は夫に伝えるのを躊躇した。
腹水がたまり初めて体調も悪くなっていたし
夫がそんな中旅行に行きたいと思うのだろうか?

行き先は、会社の定年前の研修旅行で
行くはずだったホテルだった。
私は悩んだあげく夫に伝えた。

夫は
「それ、行こうよhappy01
と、嬉しそうに行った。

夫は、腹膜播種になるまで
毎晩飲んで遅く帰ってきて
夏は鮎釣りに一人で出掛け

冬は若い時にはスキーの愛好会に入り
家の除雪をしない時にはスキーに出掛け
私を一人ぽっちにしてばかりだった。

私は、家で家業をしながら
夫の母親と顔をつきあわせて
針のムシロに座らされているような毎日だった。

夫は私と一緒にいる事など望んではいない
・・・そうとしか思えないような日々だった。

夫は、2006年に夫の母が亡くなって
私と二人きりの生活になっても
2007年に胃ガンの手術をしてからの半年以外は
私の傍にいてくれる事はなかった。

そんな淋しい日々の中、このブログを始めたため
左側のサイドバーの「プロフィール」の中には

【好きな人】  私一人だけを見てくれる人・よそ見をしない人
【嫌いな人】  大事な時に傍にいてくれない人
         無責任な人・人の和を乱す人
【今欲しいもの】淋しい時に傍にいてくれる人

なんて書いてある。
次に生まれ変わったら絶対そういう人を選ぶんだ
・・・そんな事を思いながら書いた覚えがある。
夫に対しての、ささやかな反抗だった。

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2011年7月 2日 (土)

旅行

漢方薬は様子をみるために
1週間分が出た。
会社では飲みにくいため
朝、晩飲むように処方された。

2009年12月11日(金)は
ガンでかかっている病院へ行った。
この1週間は腹水による腹痛
頻尿・口内炎・軟便に苦しんでいた。

もはや、病院は
行く事に何か意味があるのだろうか?
そう思えるような対処しかしなかった。

夫は、そけい部に、しこりのようなものを感じる
と、言って、しきりに担当の医師に訴えていたが
担当の医師はまるで聞こえていないようなふりをしていた。

12月12日(土)は
漢方の医師のところへ行った。
とりあえず、体調を話し
先日出してもらった漢方をしばらく飲む事にした。

この日は、結婚して28年目にして
新婚旅行以来初めて夫婦で旅行に行った。

結婚した当時
未亡人だった夫の母と同居をしていたため
ヤキモチ妬きだった母の手前
二人で出掛ける事はタブーだった。

買い物も別々に車で出掛けて
現地集合、現地解散
まるで不倫をしているような状態だった。

夫は、母が亡くなってから
「いつか二人で旅行に行こうconfident
と、言っていたが
母の1年忌の時にはガンの手術をし
3年忌の時には腹膜播種の前兆があり
旅行に行ける状態ではなくなっていた。

会社も定年前に定年後の説明会があり
その時には夫婦で1泊の研修に行く機会がある。
そして、定年の1年前には
旅行へ行くだけの休暇がもらえる。

夫の妹の旦那様とは会社の同期だったため
定年が近づくにつれて妹が夫の母に

「おばあちゃん、お兄さんが定年になる前の年に
旅行に行く休暇がもらえるんだよhappy01
良かったね~・・・連れて行ってもらうと良いよgood


と、さかんに言っていたため
夫の母は、自分も行く気でいた。

夫は
「そんな馬鹿な事する奴いないよweep
○○(←妹)のところだって
旦那さん亡くした母親がいるくせして
自分達は年中二人きりで旅行に行っているのに
こんな時くらい預かるとかって言えないのかねshock

と、言っていた。

私は
「いいよ、旅行なんて・・・
もう一生行けないものだって
思って過ごしてきたんだものhappy01
今更、どうって事ないよ。
休暇がもらえたら家でのんびりしようよnotes
そう言ってあきらめてきた。

2009年は、その年に当たっていたが
夫は体調が悪かったたため
7月に声がかかった時、研修旅行に行けなかった。

会社に聞くと次の機会は
2010年の4月の予定と言う事だった。
夫は、よっぽど行きたかったらしく
会社のほうに何回か確認していた。

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