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2011年11月

2011年11月30日 (水)

余命一ヶ月

紹介状の用意ができた事を伝える医師の電話は
とにかく、歯切れが悪く
何が言いたいのか解らなかった。

私が「午後取りに行く」
と、言って話を終わりにしようとしても
なかなか電話を切ろうとしなかった。

そして、夫のように末期の患者で
他の病院でここまで治療してきた人を
快く受け入れてくれる病院はない
と、言うような事も言っていた。

こちらとしては
「そんな事は前に聞いたよthink
とにかく、あなたから逃げたいんだsign01

と思う気持ちも強く
早く電話を切ってしまいたかった。

医師は最後に
「ご主人は
もうそれほど長くはないと思います。
多分、あと一ヶ月も生きられないでしょう」

と、付け加えた。

先日は、又抗ガン剤を変えるだとか言っていて
どんどん抗ガン剤を入れる話をしていたのに・・・
余命一ヶ月もないなんて言わなかったじゃないかannoy
と、怒りがこみ上げてきた。

そんな事なら
「これ以上、辛い抗ガン剤治療なんてしない」
と、言う選択だってあるんじゃないか?angry

なんだか納得できないまま
なげやりな言い方で電話を切った覚えがある。

夫に
「医師から電話があったから
帰りに病院へ寄ってもらってくる」

と、メールすると、夫から電話がかかってきた。

夫は
「なんでステッピーのところに電話がくるん?」
と、けげんそうに聞いてきた。
夫にしてみれば、もっともな事だった。

自分に連絡をよこすと言う事で
携帯の番号を書き
私の携帯の番号などは
その時、聞かれていなかった。

そして、この日の朝に
「今日、電話が来なかったら
こちらから電話してみるよ」

と、言って会社へ行ったのだ。

夫にしてみたら
一つ一つの出来事に不安を覚えていた。
「先生、何か言ってたのか?
何か問題あるのか?」
と聞いてきたが

「取りに行くのが私だから
私にしたほうが良いと思ったんじゃない?」

と、ごまかした。

とても、余命一ヶ月もない
などと言えるはずもなかった。
そして、この日の午後
私達は、ようやく紹介状を手にした。

それは、地獄の淵で見つけた
一筋の蜘蛛の糸のように思われた。

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2011年11月27日 (日)

医師からの電話

2010年1月20日(水)
夫は普通に会社へ行き
私は会議のため高速に乗ろうとしていた。

9時を少し回った頃
私の携帯に電話が入った。

イヤホンジャックをしていたので
電話に出てみると
それまでかかっていた病院の医師からだった。

医師は最後の診察の際
紹介状ができたら
夫の携帯に電話をすると言って
夫の携帯の番号を聞き書き留めた。

それなのに、私の携帯に電話をしてきた。
私の携帯番号は、その時には伝えていない。

調べたとすれば
入院の際に緊急の連絡先として
記入した事以外覚えはなかった。

私が電話に出ると、医師は
「紹介状ができたのでとりに来て下さい」
と、言った。

私が、午後にもらいに行くので
どこへ行ったら良いか聞くと
消化器外科の窓口で良いと言い
そのまま言葉を続けた。

「奥さん、ご主人の再発の際に
私は、余命は8ヶ月くらいだと告げましたよね?」

と言った。

私は、医師が何を言っているのか
意味がわからなかった。

私が覚えているのは
体調の悪さを再三訴え続けていた夫の言葉に
聞く耳を持たずに検査もしてくれないばかりか
夫が気にしている部分を診てもくれなかった事。

そして、いよいよ強く訴えて
やっと検査までこぎつけた結果
ガン細胞はどこからも見つかってはいないが
腹膜播種であると思うと言われた事。

余命はどのくらい?
との夫の問いかけに
「薬が効かなければ2~3年・・・」
と言ったように思った。

私は医師が何を言っているのかわからないまま
「はぁ・・・gawk
と、あいまいな返事をした。

医師は
「腹膜播種と言うものの治療方法は
今の医学ではTS-1を使う以外方法はないんです。
だから、どこの病院へ行っても
治療は同じはずなんです」
と、言った。

私達は治療方法の事だけで
転院したいと思った訳ではないのだ。

その事をまったく解っていないから
患者に対して、今までのような仕打ちなのだ・・・
と、思った。

医師はなんだかあわてているような
弁解をしているような・・・
電話の向こうは、そんな様子に思われた。

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2011年11月23日 (水)

メール

夫は男性のわりには
メールはきちんとよこすほうだと思う。
私のほうが家族に対してのメールは
いい加減で短文である。

夫の生前最後の
私の誕生日だった
この年の1月16日には

「誕生日おめでとうnotes
いつもお世話になってばかりで
本当に申し訳なく
また感謝の気持ちでいっぱいです。

早く良くなって楽しい日々が来るように
頑張ります。
これからもヨロチク面倒みてやってくださいhappy01
と、メールをよこした。

そして息子や娘にも
私の誕生日である事をメールして
子供達からも私へひとことかけるように
連絡していた。

転院の事も
とりあえず長男には連絡しようと思ったらしく

「今までの病院は
今日を最後に転院となりました。
紹介状でT病院で
治療を受けるようににると思いますので
よろしく。
とりあえず連絡までshine
と、メールしている。

長男から
「それは落ち着いてきたって事?
今までの病院が忙しいだけ?」
と返事がきて

「主治医が忙しいのもあるけど
薬ばっかし出すだけで
なかなか先の見透しが見えないし
いざという時、連絡がとれないなど
いろいろ」
と返信していた。

私は夫の母の手前
電話を自由にかけられなかった。

私が子供と連絡をとるために
夫より先に携帯を持ち
メールができるようになった頃には
夫は最初は冷ややかな目で見ていた。

私のほうは
何年も連絡がとれないで疎遠になっていた友達とも
メールができるようになり
みるみるうちに昔の友達と連絡がとれるようになった。

私が夫にデコメールや写真を送ったりすると
夫は興味を示して
「これって、どうやるん?」
と聞いてきた。

私が教えて少しづつ覚えるようになると
会社の女の子から来たメールや
飲み屋の女将から来たメールに
デコメールや動く絵文字をつけて返信していた。

時々、使いたいデコメールがない時などは
私に
「そういうのがあったら、ちょうだいshine
と、言って来る時もあった。

そして
「会社でも、俺くらいの歳になると
デコメールどころか
普通のメールもあんまりできない人が多くて

俺がデコメールで返信したりすると
女の子から『すごぉ~い』
って言われたりするんだ」
と、得意そうに話していた。

考えてみると
私のほうは素直になれなくて
突っ張っていて

あまのじゃくで
何事に対しても後ろ向きで
ひねくれている。

それとは対照的に
夫は本当に素直で
かわいい人だったと思う。
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2011年11月20日 (日)

T病院

紹介状を書いてもらう事になった
T病院のホームページには

当院は、厚生労働省より
地域がん診療拠点病院として
指定されました。

この制度は
地域におけるがん診療連携を推進し
地域住民が質の高いがん診療を
受けることができる体制を確保することを

目的として創設されました。

地域のがん診療連携を推進する中核病院として
質の高いがん医療を提供してまいります。


と、書いてあった。

かかる予定になっている外科のところには
1.診断から治療までスピーディー
2.インフォームドコンセントを最重視した治療法の選択
3.体に優しい低侵襲手術、低侵襲治療

とも書いてある。

インフォームドコンセントとは
医師が患者に対して、治療を開始する前に
これから始める治療内容について

「なぜこの治療が必要なのか」
「どのくらいの期間がかかるのか」
「この治療をする ことによる効果はどういったものか」
「治療にかかる費用」

等を、わかりやすく説明をし
その上で患者から同意を得ることである。


と、あるが、何よりありがたいのは
1.診断から治療までスピーディー
だと思った。

そこでガンの治療をした人の
ホームページを見たのだが
とにかく、合理的なようだった。

今までの病院は
仕事をしていようと遠くから通ってきていようと
何回でも病院に来るように言われ
待たされ、精神的にも体力的にも
いっぱいいっぱいだった。

T病院の外科の方針は
治療方針が決まるCTは
まずその日に実施します。

血液検査も多くのものは
1~2時間以内にでます。

CT,PET、血液検査で
ほぼ診断がつき
少しだけ疑問の残った人は
術中に迅速診断して確かめます。

これにより、患者さんの無駄な検査
無駄な治療にかかる莫大な時間と費用
そして苦悩時間を避けることができます。


と書いてあった。
とにかく何回も病院に足を運ぶのは大変だから・・・と
なるべく一回の来院で検査から結果までを出し
病院に行く回数を減らすようにしてくれるらしかった。

その人によれば
Sドクターはどんな人に対しても
全力で診察対処してくださるから心配ありません
との事だった。

結果はどうあれ
希望の光が見えてきた事と同時に
今までの病院に費やした無駄な時間と
精神的苦痛が悔やまれた。

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2011年11月16日 (水)

紹介状まで辿り着いた

医師に転院の希望を伝え
紹介状を書いてもらう事をお願いすると
私達は長い闘いが終わったような気持ちになった。

ガンと言う病気と闘っているのと同時に
医師とも闘ってきた・・・
と言う思いも強かった。

それでも、結局モルヒネは出た。
飲み方は、苦しかったり
痛かったりしたら飲むように
と言う事だった。

4時間くらいあける・・・とか
そんなくらいで、あまり制約がなかった。

飲んで効かなければ足しても良い・・・
そんな事も言われた気はしたが
夫もモルヒネを飲む事を望んでいなかった事もあり

これは飲まないでおいて
次の病院の指示に従おうと相談して
真面目に話は聞いてこなかった。

私は、本当に末期だから
モルヒネの使い方もこんな事なのか?と思った。

医師に
「紹介状はいつになりますか?」
と聞くと
「2~3日中には書いて連絡しますので
窓口にとりに来てください」

と言った。

ここまで辿りついたら
もう大丈夫・・・
遭難して救助を待っていて
ヘリコプターが見えた時って
こんな気持ちなんじゃないか?と思った。

話が終わって帰ろうとして立ちあがると
医師は
「次の診察の日はいつにしますか?」
と言った。

「えっcoldsweats02
と、夫も私も固まった。

私は、深呼吸して
「先生、とりあえず
もう診察には来ない予定なんですけど・・・」

と、落ち着いて言った。

「あっ・・・あぁ・・・そうでしたねcoldsweats01
そうだ、そうだ・・・
それじゃ、お大事にして下さいsweat01
なんだか、滑稽なような最後だった。

ここへきて、しどろもどろになって
うろたえている医師に最後の挨拶をして
私達は病院をあとにした。

もう、ここへ来る事はない。
そう思うと、どこか
すがすがしい気持ちになっていた。

長い間重くのしかかっていたものから
解放された気分だった。

T病院のS医師は
月曜と金曜が診察の日だった。

この医師とのやりとりは月曜日。
「T病院のS医師の
金曜日の診察に間に合うといいね」
と二人で話しながら帰ってきた。

でも、この日の医師の様子から
「紹介状が先延ばしにされるんじゃないか?」
と言う不安も生まれていたが
ここへきて、そんな事までする医師ではない事を
祈るしかなかった。

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2011年11月13日 (日)

転院の希望

2010年1月18日(月)
いつもの病院の日
医師から抗ガン剤をTS-1から変更する事と
モルヒネを出す事を提案された夫と私は
思いきって転院したいと医師に伝えた。

医師は、私達が戸惑うくらいうろたえていた。
言葉がしどろもどろになり
まとまりのない話をやたらしていた。

それは何故なのか?
患者は最期まで自分のもとにいると信じていて
自分のしてきた治療法は
患者が墓の中まで持っていくと思っていたんじゃないか?

たとえ、亡くなった後で
こんな治療をされてきたんだ・・・
って話をしたとしても
それは素人の話でしかない。

でも、こんな末期になってから転院されたりしたら
次に治療をした医師に
してきた治療や、状況を把握されてしまう。
それは困った事だったんじゃないか?

私は今でも、当時の事はそうだと思っている。

そして
「末期のガンの患者で
よその病院でここまで治療してきた患者を
他の病院が受け入れてくれるとは思えないんですよsweat01

そう言った。

私は
「そうかもしれません。
でも、夫は友達の母親がかかった医師に
どうしても診てもらいたいと希望しているんです」

と、言ってみた。

医師は
「どちらの病院の何と言う先生ですか?」
と聞いてきたので病院名と医師の名前を伝えた。

インターネットでも調べたのだが
その医師にかかってきた人のブログもあった。

残念ながら、その方は亡くなっていたが
医師の事は
「人間味のあるあたたかい人だ」
と、書いてあった。

その頃の私達にしてみたら
それだけで充分だった。
病院の大きさや治療や設備より
もっと違うものを求めていた。

医師は
「その先生は年配の方で
私なんかよりもずっと経験が豊富な先生です。
私は名前も顔も知っていますし
学会とかで見かけた事もあります。

でも、その先生は私の事などは知らないでしょうから
この状態の患者の紹介状を書いたからと言って
診てくれるかどうかはわかりませんcoldsweats02

と、言った。

私は
「もし、その先生に診ていただけなかった場合
もう一つ検討している病院があるのですが
そこはどうでしょう?」

と言って、もう一つの病院の名前を言うと

「そちらの病院なら
私の後輩の医師もいるので
紹介状は書きやすいのですが・・・」

と、言ってきた。

でも、ここへきて夫の意思は固かった。
「駄目でも良いですから
とりあえずT病院のS先生の紹介状を
お願いしたいんです」

と、あえて言った。

夫の様子から
「せっかくここまで話を持ってきたのだから
どうしても希望する医師に診てもらいたい」

と言う気持ちがひしひしと伝わってきた。

私達は、もう後にはひけなかった。

一応
「紹介状を書いていただいて
もしも先生がおっしゃるように
今の状態からでは受け入れられないと言われたら
又、診ていただけますか?」

とは言ってみた。

医師は
「大丈夫ですよ」
と言ったが、私達は駄目だったら
他を探す覚悟はできていた。

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2011年11月 9日 (水)

モルヒネ

夫は今のままでは苦しいので
腹水を抜いてもらいたいと切り出したが
医師の態度ははっきりしなかった。
抜きたくない・・・と言うのがみてとれた。

理由は
「抜くと体力が落ちるから・・・」
と説明したが

夫は
「このまま行ったら息も苦しくて
何も食べられなくなって
どっちみち体力は落ちてしまうと思うんですsweat02

と、反論した。

すると医師は
「そろそろ、モルヒネを出しましょうgawk
と、さらりと言った。

私は、背中に冷たいものが走ったのを感じた。
夫も固まっていた。

しばらくして、夫は
「先生、痛いんじゃなくて
腹水がたまって食べられなくて
肺もそんなだから息も苦しいんですよ
モルヒネって痛いから出すんじゃないんですか?sweat01

と、言った。

医師は
「ガンにとっては
痛いも苦しいも同じなんですよthink

と、冷たそうに言った。

つまり
もう末期で手のほどこしようがないから
モルヒネでも飲んで
おとなしく最期の日が来るのを待つんだな
と、言っているようなものだった。

そして
「次は抗ガン剤も変えましょう」
と何事もなかったように言った。

しばらく沈黙が続いた。
最期はそんな処置なんだ・・・
夫は私のほうを見た。
私は、夫を促すようにうなづいた。

夫は医師に
「先生、病院を変わりたいのですが
紹介状って書いてもらえますか?」

そう切り出した。

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2011年11月 6日 (日)

胸水

2011年1月16日(土)
夫と過ごした最後の私の誕生日だった。
この日も土曜日で自宅へ帰るのは
いつもと同じだった。

除雪は頼んだので
どんなに大雪が降っても
自宅に帰って除雪をしなくて良いと言うのは
ものすごくありがたかった。

除雪を頼んだ友達の旦那様は
私達が自宅に戻っている日に除雪をすると
ゆっくりできないだろうから・・・と
前日あたりに除雪をしてくれていた。

夫は私の誕生日を気にして
ケーキでも・・・と言ったのだが
私は夫が食事療法で
普通のケーキを食べられないのに
自分のために夫も食べられる高価なケーキを
買ってみる気にはならなかった。

それでも、久しぶりに除雪もなく
雪に埋もれて外の仕事もない自宅は
今までにないほどのんびりできて
今までに、こんなひとときがあっただろうか?
そんな事をぼんやり考えていた。

夫も新聞を見ながら携帯で競馬をして
私は、平和な休日って
こんな事を言うんだろうな・・・
って、ごく普通の結婚生活に憧れていた自分を発見した。

1月18日(月)この日は病院の日だった。
腹水を抜いてもらいたい。
転院をしたい。
二つの大きな課題を抱えて病院へ行った。

いつものように検査して診察
夫は胸の痛みも訴えていた。
医師は肺にも水がたまってきている
と、説明した。

医師は、腹水が増えすぎたので
あふれて肺のほうにも行った・・・
と、言うような説明をしたが
インターネットで調べると、そうではないらしく

腹膜播種と同様に、
胸膜播種という転移形式があります。

胸膜にガンが飛び火するときにも、
腹膜と同様、機械の目では捕まらない
米粒大のガン細胞のカタマリが
無数に種を播かれたように広がります。

胸膜にガン細胞が播種すると、
そこから水が滲み出てきます。
それが胸水です。

その水は、
隙間無くくっついていた、
壁側と臓側の両胸膜の間、
すなわち胸膜の袋に溜まります。

たくさん溜まってくれば、
その水が肺を圧迫して押し縮めますから、
肺の呼吸ができる面積が減少して、
呼吸が苦しくなります。


と、言うのが正しいんじゃないか?
と思った。
そして医師は2ヶ月前のレントゲンには
胸水はない・・・と説明した。

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2011年11月 3日 (木)

定年後の事

2010年1月・・・
夫はこの時、55歳だった。
会社は57歳で定年・・・
その1年前に関連会社へ出向となる。

関連会社はいくつかあって
本人の希望もあるのだろうが
夫の行き先は
ほぼ決まっていたようだった。

4月から出向になるのだが
上司からの話や
関連会社からの話で
本人もだいたいの事は把握していた。

私は
「夫の命はいつまであるのだろう?」
そう思いながら
関連会社の話をする夫を妙に冷静に見ていた。

夫の会社は、定年前に
定年後のライフスタイルについての研修があり
定年の1年前から夫婦で旅行へ行くための
休暇がとれる事になっていた。

定年前の研修も
夫婦で泊まりがけで行くと言う事だった。

研修は、夫の母がいた時には
妬きもちやきの母を置いて
二人で出掛けるのは無理だと言う判断で
夫だけが参加する事になるのだろう・・・・と
二人共考えていた。

定年前の旅行は
夫の母がいた頃に、夫の妹が母に
「その旅行に連れて行ってもらえるよbleah
などと言って母をその気にさせてしまったため
私達は旅行も諦めていた。

会社からの負担が出て
夫婦で・・・と言われているのに
母を連れて行くのは難しかったし
私のほうは、そこまで母と一緒で気を使うなら
旅行など行かなくても良いと判断したからだった。

皮肉な事に夫の母の死によって
研修も旅行も二人で参加できる事になり
今まで二人きりで泊まりに出掛けた事がなかったせいもあり
夫は、この二つをとても楽しみにしていた。

研修は前の年の10月に予定されていたが
夫の体調不良で逃してしまい
次は4月と言われていて
夫は体調の悪化を気にしていた。

そして、この頃には
「旅行は体力的に無理かなぁ~sweat02
と、言うようになっていた。

そして、1月半ばに家に帰ってくると
「なんだか出向の話がなくなりそうなんだ。
体力的に無理だろうから
定年まで同じ部署にいるように
って言う話になっちゃったみたいなんだshock

と、がっかりした様子で話をした。

私は
「そのほうが良いのではないか?」
と思ったが
夫は納得していなかった。

「上の人に掛け合ってくるdespair
と、言って次の日に車で
上の階層のある場所へ向かった。

そこでも却下されたらしく
夫は肩を落として帰ってきた。

「今、出向しておかないと
定年後に繋がらないかもしれないんだ・・・sad

そんな事を何回も何回も
呪文のように言っていた。

夫の、会社と仕事への執着がみてとれて
少しかわいそうになった。
それでも、私は立ち止まる訳にはいかなかった。

私が
「仕事なんか、もういいよ。
とにかく体を治す事が先決なんだから・・・
とりあえず私が働く方向で、どうにかなるよconfident
と、言うと仕方なく
「ありがとなsweat01
と返事をした。

そして夫は今までのポストから外され
今までの机の横に作られた席に移り
補助的な仕事をする事になった。

夫は、すごくガッカリしていたが、私が
「それで良かったじゃない
休んでもそんなに気にしなくても良いし
今度は部下からやたら電話も来なくて
ゆっくり休養できるじゃないhappy01

と言って笑うと
「そういう風に考える事にするかhappy01
と、言って少し明るい顔になった。

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