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2012年2月

2012年2月29日 (水)

写真

夫の姉妹が
葬儀に関係ない事でいろいろ言っている間にも
葬儀の内容についての相談は
どんどん進んでいた。

喪主をする事に立候補した長男だったが
周りの大人達はなかなか認めてはくれなかった。

何かと言うと私にいろいろ聞いてきた。
長男は
「俺が喪主なのに
やっぱり、お母さんに聞くんだなshock

と、困った顔をしていた。

それでも
葬儀やさんといろいろ打ち合わせをしたり
細かい手配をしたりして
忙しく動き回っていた。

近所の人に言われて
死亡診断書も役場に出しに行った。

葬儀も結婚式のように
一連の儀式のようなものだった。
葬儀やさんから
夫の衣装についても相談された。

夫の母の時は白い着物だったのだが
数年の間に少し違いがあった。
白い着物の上に紫色の羽織を着せて
旅立たせる事にした。

身長が180センチほどの夫は
棺桶も普通のものでは小さいとの提案があった。
「身長に合わせた窮屈でないものをお願いします」
と、言って、棺を布張りしたタイプのものを選んだ。

そして遺影・・・
なかなか納得のできる写真がなかった。
50歳を過ぎた頃から
いくらか病気の影でもあったのだろうか?
夫は痩せて貧相になった写真ばかりだった。

かと言ってあまり若い時の写真では
今と違い過ぎていた。

夫と私の二人きりでとった写真は
結婚前と新婚旅行を抜かせば
片手で数えられるほどしかなかったが

私は最初で最後の二人での旅行となった
ホテルのクリスマスツリーの前でとった
写真を使いたかった。
でも、その夫は、本当にやつれてしまっていた。

そんな中、パソコンに保存されていた写真の中から
夫のすぐ上の姉が見つけて
「これが良いんじゃない?」
と、言った写真があった。

夫のすぐ上の姉、その夫、孫
そして夫と私の5人で写したものだった。
姉は
「ここへ来ると、いつもこういう顔して笑ったよねconfident
と、言っていたが、私の前での夫は
もっと違う顔だった気がした。

やはり、私に見せる顔と
他の人に見せる顔は
違っていたのかもしれない。

そして、その写真を遺影にお願いし
他に小さい写真もお願いした。
私が飾っておくためにお願いしたのだが
娘もアパートにほしいと言う事で2枚頼んだ。

あと式の前にスライドとして流す写真を
何枚か選ぶように言われた。
一番上の姉の夫が写真を選んでいたが
「なんだか、みんな端っこに写ってるのばっかりだな」
と、言っていた。

夫は控えめな性格だったので
目立ったり、人よりも前へ出るタイプではなかった。
夫の母は逆の性格で
人よりも前へ出たり、目立つ事が大好きだった。

私は、そんな控えめな夫の性格が
なんとなく安心できて良かった。
逆に夫の母を見ていると
感性が違い過ぎていつも疲れていた。

夫の写真は
唯一の趣味だった鮎釣りの仲間とのもの
会社の旅行でおどけた表情のもの
高校時代の友達ととったもの
職場で仕事をしているもの・・

何枚か選んだが
会社で仕事をしている写真は
私は初めてみるものだった。

家で見る夫は
いつも酔っぱらっている事が多かったが
ワイシャツにネクタイをして
仕事をしている夫は
本当にカッコイイと思った。

一枚くらい家族で写った写真を・・・
と、言われてもそんな写真などなかった。
なんだか、家族はバラバラだったのかもしれないな
と、思うと悲しかった。

それでも、次男の七五三の時に夫と私
長男、長女、次男・・・と5人揃っている写真を
アルバムからはがしてきて使ってもらった。
15年以上も前の写真だった。

「そんな古いのしかないの?」
と、言われたが、夫の母と同居していたせいで
家族で行動できる事に限りがあったため
他にみつける事はできなかった。

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2012年2月26日 (日)

夫の姉妹

午後になると
夫の他の姉妹も集まってきた。

一番上の姉は、ケガをして
黒のマフラーで腕を吊った状態で来た。

私よりも一回り年上の姉は
玄関で私の顔を見ると
「良く頑張ったね。お疲れさま」
と、言ってくれた。

夫の姉妹からは
優しい言葉をかけてもらえる事は少なかったので
思わず涙が出てしまった。

意地悪言われたり
キツクあたられたり
辛い仕打ちをされる事には
立ち向かえても

優しい言葉には
からきし弱い私であるのは
相変わらずだと思った。

一番上の姉は信仰心が強く
他の姉妹がうるさい事を言っても
いつも傍観者のような立場でいた。

夫の母の事では
私もいくらか言われた事はあったが
どちらかと言うと、実家の事には
あまり関わりを持ちたくないと言う感じの人だった。

姉は
「緩和病棟に入ったって聞いて
びっくりして・・・それで転んで
ケガしちゃったんだよsweat01

と、言った。

それから妹が来た。

相変わらず
死に目に間に合わなかったとか
そんなに悪いなら
連絡してくれれば良かったのにとか

どうして、夫のすぐ上の姉だけが
夫の死に立ち合ったんだ・・・とか
ひたすら言っていた。

相変わらずのテンションの高さで
疲れ切っている私と夫のすぐ上の姉は
うんざりしていた。

そして上から2番目の姉が来ると
妹は再び私と夫のすぐ上の姉の事を
いろいろ言って、同意を求めていた。

2番目の姉は、夫の母が亡くなった時
理不尽な理由で私の事をとても責めて
それからは
顔を合わせてもほとんど話はしなかった。

2番目の姉と妹は
二人で集まってはヒソヒソ話をしていた。

夫のすぐ上の姉は
「又、二人で何か言ってるsad
どうせ私とステッピーちゃんの
悪口を言っているに決まってるんだからannoy
と、言って、なおさら疲れた表情をした。

そして、夫の4人姉妹は
2番目の姉と妹
夫のすぐ上の姉と私
一番上の姉・・・
その3つに別れて行動をするようになって行った。

2番目の姉は妹に引きずられながらも
長女である一番上の姉にもつきたいし
結局は私の家に泊まったりもするのに
私と相対しているのもキツイと言う感じでもあった。

それでも妹は強く
家の中を我が物顔で仕切り
まるで自分の家のように振る舞っていた。

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2012年2月22日 (水)

喪主

自宅へ着いても
夫のそばへは、なかなか行けなかった。

夫は私よりも1時間以上も先に自宅へ着き
私の友達が用意しておいてくれた布団に寝かされ
胸の上には短刀が
鞘から少し抜かれた状態で置いてあった。

布団の横には自宅用の小さな祭壇が作られ
すでに花も誰かから届けられていた。

夫のところへ行こうと思っても
いろいろな人に呼び止められ
遠くから夫の様子を見ただけだった。

車で自宅に向かっていた時
姉から連絡があって
近所の人達にお昼を出すようにと
近い親戚のおじさんが言っているけど
どうしたら良いか?と聞かれていた。

私は、そのおじさんに聞いて
手配をしてくれるように言ったのだが
そのお昼が来ていた。

葬儀の手配について聞いてくる人
お昼をとりあえず食べろ・・・と言う人

私は、とにかく
とりあえず夫のところへ行き
お線香をあげさせてもらいたかった。

夫のところで線香をあげて
夫の様子をみていると
又、すぐに呼ばれて
とにかく片付かないからお昼を食べてしまえ・・・と

「こんな時にお昼なんかいらないよannoy
そう思いながら、とりあえず言うとおりにした。
食べていてもなかなか喉を通らなかった。

それでも、不思議と涙も出ては来なかった。
とにかく、この現実に
一人で立ち向かわなければ
と言う、闘争心のようなもののほうが強かった。

お昼を食べていても
あっちからもこっちからも声がかかった。
そのたびに動いていたら
もう食べる気にもならなくなって片付けてもらった。

そのうちに長男がきた。
とりあえず葬儀の相談になり
「喪主はステッピーちゃんで良いな」
と、言われた時

遠巻きに見ていた長男が
「喪主は、俺がやります」
と、言って話に入ってきた。

近所の人は
「ステッピーちゃんが
年寄りでできないんなら何だけど
まだ若いから喪主もつとまるだろ?」
と、言ったのだが
長男は自分がすると言って話し合いに加わった。

長男は当時27歳だった。
それでも、この時の決断はあとあと正解だった。

自宅のある場所は封建的な地域のため
女が前に出る事を極端に嫌うので
私が喪主になって取り仕切ったりしたら
それこそいろいろな事を言われたり
後でたたかれたりしたに違いなかったからだ。

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2012年2月19日 (日)

自宅へ・・・

病院を出て、高速に乗り
自宅まで帰る途中の半分くらいの場所に
夫と最期の時を過ごしたレオパレスがあった。

私は、そこで高速を降り
レオパレスに向かった。

頭の中は真っ白で
自分が何をするために
レオパレスに寄るのか
あまり整理ができていなかった。

レオパレスは高速を降りて
10分くらいのところにあった。

夫のすぐ上の姉が何回か電話をよこす中
まっすぐ自宅へ来られないのか?
と聞かれたのだが

早く自宅に行かなければ・・・
と言う思いとは裏腹に
通り道でもあり
何か忘れものをしているような気がして
私は、とにかく寄って行きたかった。

レオパレスに着いて
まとまらない考えの中
いろいろなものを用意していた。

夫の身の周りのもの
私の外泊のもの・・・
とにかく夫が毎日身につけていたものや
会社へ持って行っていたものは
全て持った覚えがある。

そして、自宅へ向かい
自宅に入ると家の中は
近所の人でいっぱいだった。

とにかく頼りにできるのは
すぐ上の姉と自宅の近所の親友・・・

近所の人達は、お悔やみを言うのと同時に
こんなに悪いと思わなかった・・・
と、口々に言っていた。

そんな事だから、夫は
自宅から離れて
レオパレスに住みながら
やっと仕事に行っているのに
自分が参加もできない事の役員を
代わってももらえずにやっていたのだ。

と、悲しくなった。

中には、連絡を聞いて来てみたら
組の人でもない私の友達が家の中にいて・・・
などと言う人もいた。

本当に、田舎はうんざりだと思った。
私だって田舎が嫌いな訳ではない。

自分で、もっとのんびりした
隣近所で助け合うような
ほんわかした田舎を想像していたのに

待っていたのは、よそ者を拒み
隣近所のあら探しをするような
ピリピリした雰囲気がただよう現実だったから
どんどん馴染めずに
気持ちが離れるようになってしまった。

そして、私が来るのが遅いとか
何がどこにあるかわからなくて
何もしてやれなかったとか

夫は、とっくに到着しているのに・・・とか
とにかく、いろいろな事を言われた。

4年前に夫の母が亡くなった時には
朝、病院から急変したと言う連絡が来て
病院へ行くと、すでに亡くなっていた。

母の顔をみて、しばらくは横についていたが
私は、家に帰って家の中で準備をするように言われ
夫は病院に残って葬儀やさんや親戚に連絡をし
母を乗せた車に乗って帰ってきた。

私は、それを一人でしているのだから
そんなにいろいろな事ができるはずはないのだ。
いろいろな事を又私一人に押しつけて
一人で逝ってしまった夫が恨めしかった。

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2012年2月15日 (水)

病院をあとに・・・

しばらく3人で待っていると
病室から
亡くなった夫を
きれいにしてくれていた人が出てきた。

「準備ができました。
下に葬儀やさんの車がみえていますので・・・」

と、言い夫をストレッチャーに乗せた。

私達は、ストレッチャーに乗せられた夫のあとについて
エレベーターに乗った。
エレベーターは
普段使うエレベーターではないようだった。

エレベーターから出ると
すぐのところが
緩和病棟の裏の出口だった。

緩和病棟だから
亡くなって帰る方が多い。
きっと、その方達専用の
出口なのだろうと思った。

出口のところには
そこにもストレッチャーを用意した
葬儀やさんが二人で夫を待っていた。

「よろしくお願いします」
と、私が言うと
「ご愁傷様です」
と、手を合わせ頭を下げた。

夫は病院のストレッチャーから
葬儀屋さんのストレッチャーに移され
そのまま車の中へ移動していった。

葬儀やさんは
「一緒に乗って行かれますか?」
と、聞いてきたが
「3人ともそれぞれ車なので・・・」
と、答えて夫だけをお願いした。

葬儀屋さんは
「高速に乗って
まっすぐにご自宅に向かいます」

と、言い車に乗り込んだ。

私達は手を合わせて夫を見送った。

夫を乗せた車が出る時
横に人の気配を感じたので
見送ってから目をやると
S医師が車に向かって手を合わせていた。

診察の時間なのに
わざわざ夫を見送るために
出てきてくれたようだった。

何から何まで
本当にありがたい事だった。

夫が最期となった病院は
先日までイヤな思いをしていた病院でなくて良かった。
そんな思いでいっぱいだった。

S医師は
「良く頑張りましたよ」
と言って頭を下げた。

私達はS医師にていねいに挨拶をし
長女と次男はそれぞれ車に乗って
葬儀のしたくをするためにアパートに帰った。

私は、夫がいた病室に戻り
荷物を片付けた。

ついさっきまで生きていたのに
夫が使っていたものがこんなにあるのに
夫だけがいなくなっていた。

でも、感傷にひたっている間はなかった。
夫の最期に立ち合ってくれた
夫のすぐ上の姉から電話も入っていた。

もう、私達の自宅に向かって高速に乗っている事。
着いたら、何をしたら良いか?
他の姉妹がいろいろうるさいだろうが
その対処をどうしたら良いか?

夫のすぐ上の姉は
私をかばってくれるために
いろいろな事を気にかけてくれていた。

そして、私も夫の荷物を全て片付け
車に乗り込み、レオパレスに向かった。

その車の中でイヤホンジャックをして
自宅の近くのかかりつけの医師と
漢方でお世話になった医師に
電話で連絡をし、お礼を言った。

夫が最初にいた病院では
治療を丸投げされる事が多かったので
その二人の医師には大変お世話になったから
お礼を言っておきたかった。

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かかりつけの医師の話
かかりつけの医師
腹痛

漢方の医師の話
漢方

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2012年2月12日 (日)

浴衣

私があちこちに連絡をしていると
病院で亡くなった人をきれいにしてくださる人がきた。

「ご家族の方も外でお待ちください。
浴衣に着替えますので用意をお願いします」

と、言われ、どうして良いか解らなかったので
「浴衣は、どうしたら良いですか?」
と、聞いてみた。

「用意がなければ売店で売っていますので・・・」
と言われて売店に行くと
Mサイズの浴衣しかなかった。

売店の人は
「病院から帰るのに着るだけで
後は又きちんとした衣装に着替えますから・・・」

と言ったのだが

夫は180センチの身長だし
いくら痩せていると言っても
つんつるてんの浴衣はかわいそうな気がした。

私もそうだが夫もいつも
洋服や着物の丈が足りなくて
我慢する事が多かったので
最期まで我慢させたくはなかった。

私が困っていると売店の人が
「手配をして、急いで入るようにしますから」
と、言ってくれた。

病室に戻ってその事を伝えると
「それでは、できる事をやっています」
と、言ってもらえたので
私達は部屋を出た。

それから、友達に電話をしたり
私の実家に電話をしたりして
時間を見計らって自宅の近所に連絡をした。

誰もいない留守の家に
近所の人達が集まってくる事になる。
先に連絡をして家の中を片付けてもらった友達に
いろいろお願いをした。

後から聞いた事だが
近所の人達は自分達よりも
私の友達のほうが先に知っていて
家の中に入っていた事がおもしろくなかったらしくて
いろいろイヤミを言ったらしかった。

友達にはイヤな思いをさせてしまって
本当に申し訳ない事をしてしまった。

しばらくすると浴衣が届いたと言う連絡がきて
売店で買ってきた。
わがままを聞いてもらって嬉しかった。

中で夫をきれいにしてくださっている人に
浴衣を届けて、私と長女と次男は廊下で待っていた。

長女と次男に夫を送り出したら
一度自分のアパートに帰って
葬儀の用意をして自宅へ行くように伝えた。

二人とも、呆然としていて
「何を持っていくの?」
と、聞くので、礼服や靴やネクタイや
何日か自宅に泊まる用意をするように話した。

二人共、4年前には
夫の母である祖母の葬儀があったので
なんとなく思い出したようだった。

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2012年2月 8日 (水)

会社への連絡

葬儀さやんに電話したあと
「会社に電話しなくちゃsweat01
と、思ったのだが
夫の詳しい部署の名前がわからなかった。

夫の上司って、誰になるのだろう?
夫の立場で直属の上司っているのだろうか?
混乱してきた私は
とりあえず夫の友達に電話をかけた。

夫の一つ下の後輩で私も知っている人
そして、結婚前は良くグループで遊んだ人だった。
その人の母親はガンになり他の病院で見捨てられたのに
夫が亡くなった病院で回復し、もう何年も生きていた。

夫は、その人から話を聞いて
最期となった病院に
どうしても転院したいと望んでいた。

電話をかけて相手が私だとわかると
「あれ?なんだステッピーちゃんかい?
どうしたんだい○さん(←夫)の携帯で・・・coldsweats01
と、元気な声だった。

「あの・・・今朝亡くなったんですweep
と、私が言うと
「えっ?誰?
誰が亡くなったの?
俺、今日出張で新幹線の中なんだ」

と言った。

「今朝、7時22分に夫が亡くなったんですsweat02
と、もう一回言うと、しばらく沈黙が続いた。
「あのさ、良く解らないんだけど
○さんが亡くなったの?」

と、聞きかえしてきた。

「はい・・・」
と言う私の答えに
「だって、金曜まで会社にきてたんだよ。
土日が休みで昨日会社を休んだのは知ってたけど」

と、言って
「会社来てたけど、そんなに悪かったんかい?」
と、聞いた。

「ずっと悪かったんですけど
昨日、急変したんです。
会社に電話しなくちゃと思ったんですけど
誰に電話して良いかわからなくて・・・」

と、言うのか精一杯だった。

その人は

「わかった。
会社のほうは俺が連絡して全部手配するから
ステッピーちゃんは心配しないで」

と、言って電話を切った。

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2012年2月 5日 (日)

現実

平成22年2月2日(火)7時22分
長いガンとの闘いを終えて
夫が天国へ旅立って間もなく
次男が病院へ到着した。

「間に合わなかったんだよ。
お父さん、ちょっと前に逝ったんだweep

と、言うと血の気が失せたような顔でうなづいた。

父親と10年ほど長い断絶をしていて
和解をしてから1年も経っていないのに
父親に旅立たれてしまった次男は
病室の夫のもとへ行きベッドの横で泣いていた。

みんな、何をして良いかわからず
しばらくは、呆然と夫の横に立っていたのだが
現実は、いろいろな事をしなくてはならなかった。

4年ほど前に夫の母が亡くなったのだが
その時はどうしたろうか?

私は、病院から一足先に帰って
家のほうで部屋を片付けたり
布団の用意とかをするように言われた。

あの時は、最期となった病院も
一般道で40分くらいだったのだが
夫の病院は高速を使っても
1時間以上かかる。

しかも、途中でレオパレスに寄っていかなければ
多分葬儀が終わるまでは
足りないものがあっても
外出できないのは解っていた。

いったい、何から手をつけたら・・・
整理しきれない気持ちの中で
考える事が多すぎて
頭の中は混乱していた。

夫の姉が
「一回帰って、喪服とかの用意をして
家のほうへ向かうから・・・」

と、言って帰って行った。

私は姉に
「お姉さんのほうが先に着くと思うので
家のほうはよろしくお願いします」
と、言って見送った。

夫の他の姉妹には私から連絡をした。
他の姉妹達は
夫のすぐ上の姉だけが
夫の死に立ち合った事を
又、いろいろ言うのだろうが
そんな事はかまってはいられなかった。

夫の母が亡くなった時は
夫と二人だったから
夫が病院に残って
親戚や近所や葬儀やさんに電話をしていた。

家のほうも用意しなくちゃならないし
夫にもついていなければならない・・・
いったい、どうしたら良いのだろう

と、途方にくれていた。
長男は、寮に帰って用意をして
自宅に向かうから・・・
と言って病院を出た。

自宅は、田舎なので
どこかの家で誰かが亡くなると
他人が家の中へ入って
部屋を片付けたりお茶を出したり
食事の用意をしたりもする。

夫の母が亡くなった時も
あとで何がどこに行ったか
わからなくなってしまって
未だになくなったままのものも多かった。

私は自宅の近くの友達に電話をして
鍵のある場所を教えた。

自宅に入って和室にあるものを
夫と私の寝室に運んで
夫の布団を用意してくれるよう頼んだ。

近所にわかると
どんどん人が家の中に入ってしまうので
とりあえずの事ができるまでは
近所に連絡しなかった。

病院の人に
「病院から自宅までは
みなさんどうやって帰るのでしょうか?」

と聞くと
「みなさん、葬儀屋さんの車で帰られます」
との事だった。

そう言えば夫の母の時もそうだった。
夫の母の時にお世話になった葬儀やさんには
3回忌までお世話になっていたので
つい1年少し前まで連絡をとっていた。

私は、夫の携帯電話から
電話番号をみつけて
葬儀屋さんに電話をした。
1時間ほどで迎えに来ると言う。

こんな一番何も考えたくない時に
頭をフル回転しなければならない現実に
私は翻弄されていた。

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2012年2月 2日 (木)

天国へ・・・

夜中になると夫は
訳もなく起き上がるようになった。
話しかけても訳のわからない事を言うきりで
会話にならなかった。

長男が病院に着いて声をかけると
「○○(←長男の名前)かい?」
と、長男の事は解ったらしかった。

夫は、まるで夢遊病者のようでもあり
酔っぱらっているようでもあった。
モルヒネを使うと言うことは
こういう事なのか・・・と、思った。

ベッドの上に座り込んで
体を左右に揺らしたり
動くのもままならないのに
ベッドから降りようとする。

みんなが声をかけると
焦点の合わない目で
訳のわからないことを言うようにもなった。

やっと横にならせても
又起き上がって何かをしようとしている。

トイレに行くようなそぶりも見せるので
看護師さんが付き添って
部屋にあるトイレに行ったりもした。

あまりにも変な行動をするようになってしまい
もう、普通には戻らないのでは・・・
と、思うと悲しくなってしまって
みんな泣き始めてしまった。

すると、泥酔しているようになっていた夫は
泣いているみんなを見つめて
「どうしたん?」
と、聞いてきた。

2月2日(火)の朝方までそんな行動が続き
みんなに促されてやっと横になった夫の呼吸は
しばらくすると、いびきのような呼吸に変わった。

病院に来ていなかった次男は
電話をして様子を話すと
急いで来ると言う事なので
あせらないで良いから
気をつけてくるように伝えた。

長女は
「会社のお金を預かっているので
一回会社へ行ってきたいけど、大丈夫かな?」

と言うので会社も近い事だし
今、落ち着いているから・・・と言う事で会社へ行った。

しばらくすると、呼吸の間隔は長くなり
30秒に1回大きく呼吸するようになった。

長男が「お父さん」と呼びかけると
呼吸をするが
放っておくと呼吸が止まるようになった。

夫の目からは涙があふれた。
そして、まるで
「もういいから、もう呼ばないで
このまま休ませてくれ」
と言っているように首を左右に振った。

私は、あわてて長女に電話をした。
長女は、もう病院の近くまで戻ってきていた。

夫の姉が夫の足をさわっていて
「あっ・・・足のほうが冷たくなってきた」
と、言うので

長男が
「お父さん○○(←娘の名前)
もう来るから来るまで頑張ってよ」

と、言いながら夫の手をにぎっていた。

夫の姉は
「ステッピーちゃんに
ありがとうって言ってあげて。
いっぱい苦労させたんだからcrying

と、言って号泣していた。

本来なら、緩和以外の事はしないと言う事なのだが
長女の到着まで何とかと言う思いを汲み取って
酸素吸入をしてくれた。

呼吸が止まったようだったが
最期を看取った医師は
娘の到着を待って
「7時22分、ご臨終です」
と、頭を下げた。

夫は2年前の今日
平成22年2月2日(火)7時22分
長いガンとの闘いを終えて
天国へ旅立った。

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2012年2月 1日 (水)

恐怖

個室に移された夫は
「個室なんて高いんじやないか?」
と、声もロクに出ないのに話しかけてきた。

「そんなじゃないみたいだよ」
と、私が答えると
「そうなんだ・・・」
と、言って目をつむった。

月曜日でみんな仕事だろうけど
連絡したほうが良いかな?どうしよう・・・
そんな事を思いながら、夫の顔をみていた。
夕方になったので夫の姉に電話をして
状況を話した。

姉は危ないようなら行ってみる・・・
と、言ってくれたが
自分としては希望的観測もあって
又、持ち直すんじゃないかと思っていた。

姉には、まだ大丈夫そうだから
と、話し自宅で待機してもらった。

もう外は暗くなっていた。
部屋に戻ると電気がついているので
夫がまぶしいだろうと思い電気を消した。

夫は、寝ていたようだったのに急に目を開けて
「電気、消さないでよweep
恐いよsweat02

と、子供のように言った。

私は、夫があの世と、この世の境を
さまよっているような気がして
恐くなった。

看護師さんが
「今夜は、お泊まりになりますか?」
と聞いてきた。
一つ一つの言葉にギクッとする自分がいた。

「泊まったほうが良いんでしょうか?」
「それは、わかりませんが
お泊まりになるようでしたら
簡易ベッドを用意します」

そう答えた。

こんな時は経験者の言葉が
一番確かなような気がした。

夫は苦しそうでもなく
静かに眠ったり起きたりしているようだったが
泊まる事にした。

しかし、泊まるには私の準備がなさすぎた。
夫も苦しそうでもないので
泊まる用意をしてくる事にした。

夫にその事を話すと
「泊まってくれるん?」
と、言って笑った。

夫のもとに長くいたり泊まったりする事によって
夫は自分の命が長くない事を悟るのではないか?
と言う不安もあって自分の行動も慎重になっていた。

それでも、夫の嬉しそうな様子を見て
夫の恐怖心が少しでも薄れれば
それだけでも泊まる意味はあるのだと思った。

長女は会社が終わって病院にきた。
私は長女が来たので
一回家へ帰って
泊まる用意をしてくる事を伝えて

「お父さんの傍にいてね」
と、言うと長女は
「えっ・・・無理だよ
恐いよ・・・何かあったら恐いよsweat01

と私の後を追いかけてきた。

そう言われて無理もないと思った。
長女一人の時に何かあったらと思うと
かわいそうになった。

長女だけではなく、私だって同じだった。
一人で夫についているのは恐かった。
涙でも流しているのを見られたりしたら・・・
そんな事にも細心の注意を払った。

私が行ってくる間は看護師さんに頼んで
長女は自分のアパートで待機する事にした。

車に乗って、自宅の近くの友達に電話をした。
私よりも先に友達のほうが
電話口で泣き始めてしまった。

ずっと、ずっと我慢していたものがこみ上げてきて
私のほうも涙が止まらなかった。
親や親戚に頼れる人がいない分
甘えられて、涙を見せられるのは友達しかいなかった。

この日は運悪く雪だった。
自分はスタッドレスでもあり
自宅では雪に慣れていても
周りの車が雪に慣れていなかったり
ノーマルタイヤだったりするために
とんでもない渋滞がおきていた。

私は下道で帰って泊まる用意をしたのだが
病院へ行くには高速を選んだ。
危険かもしれないし、かえって安全かもしれない。
結果は高速を選んで正解だった。

長女と夫のベッドの下の簡易ベッドと
ソファーに泊まる事にして
用意してきた毛布をかけたりして
寒くないように準備した。

夜、10時を過ぎた頃から
夫が変な行動をするようになってきた。

点滴もしていて
モルヒネも入れているようだったので
意識もはっきりしていなかった。

看護師さんに
「他の人にも連絡したほうが良いでしょうか?」
と、聞いてみると

「それは、はっきりと判断はできませんが
まだ大丈夫だったらそれで良いんですから
後悔しないためにも呼んだほうが良いかもしれません」

と、言われて
夜遅くなってしまったが
夫の姉と長男に連絡した。

長男の車はスタッドレスを履いていなかったので
かえって心配事が増えてしまったが
長男も無事に病院に着いてホッとした。

次男は明日の朝行くからと言う返事だった。
前日に元気そうな夫をみて帰ったので
危機感がなかったのだと思った。

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