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2012年2月 1日 (水)

恐怖

個室に移された夫は
「個室なんて高いんじやないか?」
と、声もロクに出ないのに話しかけてきた。

「そんなじゃないみたいだよ」
と、私が答えると
「そうなんだ・・・」
と、言って目をつむった。

月曜日でみんな仕事だろうけど
連絡したほうが良いかな?どうしよう・・・
そんな事を思いながら、夫の顔をみていた。
夕方になったので夫の姉に電話をして
状況を話した。

姉は危ないようなら行ってみる・・・
と、言ってくれたが
自分としては希望的観測もあって
又、持ち直すんじゃないかと思っていた。

姉には、まだ大丈夫そうだから
と、話し自宅で待機してもらった。

もう外は暗くなっていた。
部屋に戻ると電気がついているので
夫がまぶしいだろうと思い電気を消した。

夫は、寝ていたようだったのに急に目を開けて
「電気、消さないでよ
恐いよ

と、子供のように言った。

私は、夫があの世と、この世の境を
さまよっているような気がして
恐くなった。

看護師さんが
「今夜は、お泊まりになりますか?」
と聞いてきた。
一つ一つの言葉にギクッとする自分がいた。

「泊まったほうが良いんでしょうか?」
「それは、わかりませんが
お泊まりになるようでしたら
簡易ベッドを用意します」

そう答えた。

こんな時は経験者の言葉が
一番確かなような気がした。

夫は苦しそうでもなく
静かに眠ったり起きたりしているようだったが
泊まる事にした。

しかし、泊まるには私の準備がなさすぎた。
夫も苦しそうでもないので
泊まる用意をしてくる事にした。

夫にその事を話すと
「泊まってくれるん?」
と、言って笑った。

夫のもとに長くいたり泊まったりする事によって
夫は自分の命が長くない事を悟るのではないか?
と言う不安もあって自分の行動も慎重になっていた。

それでも、夫の嬉しそうな様子を見て
夫の恐怖心が少しでも薄れれば
それだけでも泊まる意味はあるのだと思った。

長女は会社が終わって病院にきた。
私は長女が来たので
一回家へ帰って
泊まる用意をしてくる事を伝えて

「お父さんの傍にいてね」
と、言うと長女は
「えっ・・・無理だよ
恐いよ・・・何かあったら恐いよ

と私の後を追いかけてきた。

そう言われて無理もないと思った。
長女一人の時に何かあったらと思うと
かわいそうになった。

長女だけではなく、私だって同じだった。
一人で夫についているのは恐かった。
涙でも流しているのを見られたりしたら・・・
そんな事にも細心の注意を払った。

私が行ってくる間は看護師さんに頼んで
長女は自分のアパートで待機する事にした。

車に乗って、自宅の近くの友達に電話をした。
私よりも先に友達のほうが
電話口で泣き始めてしまった。

ずっと、ずっと我慢していたものがこみ上げてきて
私のほうも涙が止まらなかった。
親や親戚に頼れる人がいない分
甘えられて、涙を見せられるのは友達しかいなかった。

この日は運悪く雪だった。
自分はスタッドレスでもあり
自宅では雪に慣れていても
周りの車が雪に慣れていなかったり
ノーマルタイヤだったりするために
とんでもない渋滞がおきていた。

私は下道で帰って泊まる用意をしたのだが
病院へ行くには高速を選んだ。
危険かもしれないし、かえって安全かもしれない。
結果は高速を選んで正解だった。

長女と夫のベッドの下の簡易ベッドと
ソファーに泊まる事にして
用意してきた毛布をかけたりして
寒くないように準備した。

夜、10時を過ぎた頃から
夫が変な行動をするようになってきた。

点滴もしていて
モルヒネも入れているようだったので
意識もはっきりしていなかった。

看護師さんに
「他の人にも連絡したほうが良いでしょうか?」
と、聞いてみると

「それは、はっきりと判断はできませんが
まだ大丈夫だったらそれで良いんですから
後悔しないためにも呼んだほうが良いかもしれません」

と、言われて
夜遅くなってしまったが
夫の姉と長男に連絡した。

長男の車はスタッドレスを履いていなかったので
かえって心配事が増えてしまったが
長男も無事に病院に着いてホッとした。

次男は明日の朝行くからと言う返事だった。
前日に元気そうな夫をみて帰ったので
危機感がなかったのだと思った。

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コメント

正しく うちの 父親も そうでした 入院 初日は 夜まで 意識の ない 父親を 診て その後は 近くの ホテルに 母親と 泊まりました 次の 朝 病院へ 行き 夕方まで 意識の ない 父親を 診て いましたが 医師が 巡回して くる ワケでも なく 週末に また くるね と 父親に 言い 病院を 出て 京都駅から 新幹線に 乗りました 乗って 10分後 病院から 電話 新幹線では 電波が 悪く 言われる ままに 次の 駅 米原で 下車し 公衆電話で 病院に かけ直したら 危篤だと 医師も 私たちが 病院を 出てから 大事な 話しを したかったのに 言う 時間が なく 知らない 間に 帰られたので…と 言われました だったら 看護士さんにでも 伝言して いて 欲しかったです 病院に 急いで 戻り その日 個室に 意識の ない 父親と 荷物を 持って 変わりました その後 簡易ベッドを 持って 来られ 3日間 寝る時間も 恐ろしく ただ ただ 父親を 診てましたよ 本当に 辛い 日々でした 医師は ここまでくると 何日 持つかは わからないけど もう そんなに 長くは ないでしょう 会わせて おきたい 人が いたら 連絡して ください と 言われ 父親の 唯一の 妹 九州から 車で 一昼夜 かけて きて もらいました 何も 話して くれない ただただ 意識の ない 苦しんで きた 姿 今までの 姿を 思い出しなから 本当に 寂しい個室で みんなで 診て いるだけしか できない 自分を 情けなく思って
いました もう 亡くなる 前日は ほとんど 医師も わかって いるのか 心電図やら 諸々の 機械も 個室に 入って きました まるで 本当に ドラマの 世界の 中に たたずさむ 自分が 悲しかったですよ ステッピーさんの 書かれた 状況は 手に取るほど わかります

投稿: まーめど | 2012年2月 1日 (水) 19時33分

まーめどさん
夫も最初の病院にいたら
具合が悪くても何もかまってもらえなかったと思います。
家族が不安でも説明もなかったでしょう・・・
少なからず、最期の状況は同じような事が起こり
家族にとっては辛い時間を過ごしてきたんですよね。
良く急変する・・・と言いますけど
本当に、そんなに悪くなかったのに・・・
と言う思いが強くて余計に信じられないものがありました。

投稿: ステッピー | 2012年2月 5日 (日) 20時53分

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