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2012年3月

2012年3月28日 (水)

七日

着物を脱いで居間へ行くと
葬儀やさんの会計も残っていた。

受け付けをしてくれた近所の人と
夫の会社の会計をしてくれた人から
香典を全て預かり、その中から会計をした。

幸い以前銀行に勤めていた私の弟が
お札を手際良く数えてくれて
細かいお札も多かったのだが
予想外に早く会計を済ます事ができた。

七日をするために公民館に着くと
近所の女の人が3人ほどで
仕出しやさんが届けてくれたものを
並べてくれていた。

私達も、あわてて並べるのを手伝っていると
4時少し過ぎた頃から
近所の人達が集まってきた。

親戚の人達は
家以外の親戚の家に待機していたのだが
その人達も集まってきた。

長男は挨拶を考えながら
家の隣に住んでいる同じ班の班長さんに
献杯の挨拶を頼んでいた。

4時半になり全員が揃ったので
長男が挨拶をした。
長男も、ここ数日、挨拶ばかりしていたので
緊張する事もなく挨拶をし、献杯になった。

夫の遺骨がある自宅には
長女と次男が他の従兄弟達と残った。
仕出しやさんには
自宅にも料理を届けてもらった。

夫の遺骨のある祭壇には
長女や次男が絶やす事なく
線香をあげてくれていた。

私達はお酒をついだり
話をしたりしながらいたのだが
長男は食事をほとんど食べもせずに
お酒をついで回っていた。

そんなところは
夫に良く似ていると思いながら
眺めていた。

2時間ほどすると帰る人も出てきた。

雪は降り続き
車の雪を落としたり
除雪をしなければ
車は出られなくなってしまった。

誰かが帰るたびに
玄関まで出て車の雪を落とし
道路までの道を除雪し
包んでおいた花とお礼を渡した。

最後の人が帰る頃には
10時頃になっていた。

親戚と近所の人達が全て帰ると
夫のすぐ上の姉夫婦は
次の日に片付けがあるからと残ってくれて
他の姉妹は公民館から帰って行った。

公民館はすごい事になっていたが
次の日に片付ける事にして
私達も自宅へ引き上げた。

夫の遺骨があるのは1階なのだが
私達の部屋は2階だったので
この日は2階に上がって寝る事にした。

部屋のドアを開けて入ると
シングルベッドが二つ並んでいた。

このベッドの片方に
夫が寝る事は、もうないのだ・・・
そう思うと、あんなに大きかった人が
いきなりいなくなってしまったと言う事が
なんだか信じられない思いでいっぱいだった。

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2012年3月25日 (日)

自宅へ着いて・・・

骨壺に入ってしまった夫を
長男がかかえ
私達は家に帰ってきた。

焼き場にいるうちに
ちらちら降り始めた雪は
車に乗って走り出した時には
本格的に降り出してきた。

まるで大変な時間に
雪が降らないように
夫が雪を止めてくれていてくれたような
タイミングだった。

家に着いたのは3時半頃になっていた。
夫を家に作られていた祭壇に安置し
線香をあげ、ほっとする間もなく
次の事をしなければならなかった。

5時から公民館を借りて
七日をする事になっていた。

実際、和尚様に拝んでいただく七日は
焼き場にいる時にしてもらっていた。

地域での七日は
お手伝いをしてもらった近所の人達に
料理やお酒をふるまって
清めをしてもらうものだった。

いつもは、近所の女の人が集まって
買い物から何から何までして
その家の人達や親戚、近所の人達の
食事を全て作っていた。

そして、男性が
葬儀の細かい事をしてくれていたので
そういう人達に対して
今度は喪主のほうからのお礼を兼ねるものだった。

ウチの場合は全て葬儀屋さんに任せて
お弁当をとったりしたので
女性を頼む事はなかったのだが
地域では七日の準備も
いつも近所の女性がしていた。

そういうのも自分がしてきて大変だったので
葬儀屋さんで仕出しを頼み
近所の女性2~3人で
公民館に並べてもらうようお願いした。

これから先は
お酒をついだり片付けをしたりして
動かなければならなかったので
とにかく喪服を脱いでしまいたかった。

慣れない着物を脱いでいると
近所の人達が玄関にきて

「ステッピーちゃん
雪が凄く降ってきちゃって
このままだと大降りになるよ。
5時から七日って言ってたけど
早く始められないかね?」

そう言っていた。

確かに前が見えないほど雪が降っていた。
自宅のあたりでは
1時間に50センチほど積もる事もある。

近所の人達は4時に始めてもらいたい
と、言っていたのだが
とにかく喪服も脱いでいないのだ・・・

4時半にしてもらって
あわてて着物を脱いだ。
髪を結ったのも慣れてないから
あちこち引っ張られて頭皮が痛くなっていた。

夫のすぐ上の姉が
「時間がないから髪はそのままで
公民館に行って用意しないと
間に言わないから・・・」

そう言って部屋へ呼びにきた。

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2012年3月21日 (水)

火葬場

火葬場は、お寺に隣接されていたが
昔のままのものだった。

ブロックとコンクリートに囲まれた
小さな建屋の中に火葬炉があり
親族や近所の人達は
その横のプレハブの中にいると言う形だった。

夫の母の時は6月だったから良かったのだが
夫の場合は2月だったから
ストーブ一つ置かれたプレハブの中は
とても寒いものだった。

火葬場に着き、最後のお別れをし
夫を乗せた棺は台車に乗せられ
火葬炉の中へ入り扉が閉められた。

夫の母の時は、喪主であった夫が
点火のスイッチを押した。
今回は、やはり喪主である長男が
裏へ回り点火のスイッチを押す事となった。

そんな役割がない私でも
とっても切ない思いなのに
まだ27歳で点火スイッチを任された長男は
どんな思いなのだろう・・・と
そのほうが、やるせなかった。

子供の頃、祖祖母の火葬に行った事があったが
高い煙突から煙があがり
空にのぼって行くのだな・・・と
思いながら見た記憶があった。

今は、そういうのも違うようで
煙突も高くはない。
煙もほとんどなく、煙突の先が
ゆらゆらと陽炎のようにゆらめいていた。

ずっと降らないで我慢していた雪が
ちらちらと降り出してきて
寒さに拍車がかかった。

待っている間は、近所の人達はプレハブの中で
お酒を飲んだり話をしたりして過ごしていた。
親族の男性は途中で七日をするから・・・と言う事で
お寺の中へ呼ばれて行った。

七日をするなら自分達も・・・と思ったのだが
残るように言われた。
夫のところにいるように
と言う事だったのだかどうかは解らないが
とにかく、ずっとプレハブの中にいた。

葬儀屋さんが、骨壺を用意したのだが
多分小さいと思うので
特別に大きいものを届けてもらっているから
・・・と、言ったのだが
間に合わないのではないかと不安だった。

それでも骨壺も無事に届き
七日も終わり、骨上げになった。

あれだけ抗ガン剤をして
ボロボロな身体になってしまっていたから
骨はもろくて形なんかないんじゃないか?
と、思っていた。

でも、夫の骨は本当に奇麗に残っていた。
脚の骨などは、すごく長くて原型のままだった。

火葬場の方が骨壺に入らないので砕きます
と、言いながら砕いて骨壺に入れていた。
なんだか痛そうで夫がかわいそうだった。

足から骨盤、肋骨、腕・・・
「これが喉仏です」
と、火葬場の方に説明されながら
順番に骨壺に入れて行った。

最後に頭を入れて
残った灰も骨壺の中に入れられ
骨壺の蓋がされた。

夫は私の腕の中に収まる大きさになってしまった。

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2012年3月18日 (日)

告別式

平成22年2月4日(木)
通夜から一夜が明け告別式の日・・・

棺に横たわっている夫に
線香をあげ朝の挨拶をし
私は朝5時頃に葬儀場から美容院へ行った。

朝は冷え込んで
道路は凍っていたが
雪は降っていなかった。

こなにも雪が降らない事って
今までにあったろうか?
そんな事を思いながら
自宅近くの美容院まで
40分ほどかけて行った。

喪服を着せてもらって
葬儀場へ戻ると
親戚は、すでに集まり始めていた。

私は周りの人に挨拶をし
式場の人と打ち合わせをした。

長男が喪主をしてくれていたので
周りの細かい事にも目をやる事ができて
ありがたかった。

私の中学・高校時代の同級生や
会社にいた当時、一緒に仕事をしていた人も
通夜に来てくれたり
告別式に仕事を休んできてくれた人も多かった。

ずっと泣かずに頑張っていても
みんなの顔を見ると崩れそうになる自分がいて
しっかりしなくちゃ・・・と
自分を立て直すのが大変だった。

夫の会社の人達も100人以上いたろうか・・・
こんなに多くの人が休んで
会社は大丈夫なのだろうか?
そんな事もぼんやり思っていた。

葬儀場に入りきれなかった人達は
他の部屋でテレビに映し出された葬儀の様子を見ていて
焼香の時にやっと部屋に入れたようで
窮屈な思いをさせて申し訳ないと言う思いと
ありがたさでいっぱいだった。

式も無事に済み
親戚と近所の人が残り
祭壇から棺が下ろされ
夫の棺にそれぞれ別れ花を入れた。

棺の中の夫は
顔を出しただけで
花に囲まれていった。

私は他の人が別れ花を入れている間
夫の胸の上で組まれた手の上に
自分の手を重ねていた。

前日の夜も何度となく
夫の手や足に触れていたせいで
身体の冷たさにも慣れてしまった自分がいた。

もう、形のある夫に触れる事ができるのは
これで最後なのだと思うと
いろいろな思いがこみ上げてきた。

そして棺の蓋が閉められ
夫の顔は棺の窓から見られるだけになった。

その後、葬儀場に併設された部屋で
親戚や近所の人とお昼を済ませた。

葬儀場の部屋には
夫の遺影が飾られていたが
その笑顔が妙に悲しかった。

時々夫のところへ行き
線香をあげてきた。
みんなが食事をしている間
夫は一人ぼっちで待っていた。

「ひとりぼっちだね・・・」
そう話しかけて
しばらく傍で顔を眺めていたりもした。

そして時間がくると
葬儀場から出棺になった。
近所の人や義兄、義弟に担がれ
夫の棺は霊柩車の中に入って行った。

そして、夫の乗った車には
長男が位牌をもって乗り込み
合掌の中クラクションを鳴らしながら出て行った。
私も合掌して車を見送った。

残された人達も
それぞれ車に分乗し
自宅の方面の菩提寺に隣接する
火葬場に移動した。

私が運転する車には
遺影を持った長女と次男が乗って行った。

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2012年3月14日 (水)

通夜

平成22年2月3日(水)
眠ったような眠らなかったような夜が明けた。
夫は、何一つ変わらず横たわっていた。

苦しそうでもなく
安らかな表情が
なんとなく、ほっとさせた。

この日は、お通夜となるので
昼間の動きはあまりなかった。
時々、線香をあげる人が来たくらいだった。

冬、まっただ中の2月上旬
子供達が小さい頃は大雪のため
1週間ほどの後期の冬休みに
なっていた時期だった。

それなのに、夫が亡くなってから
全く雪が降っていなかったので
道路は乾いていた。

前日に家の除雪機で
庭の雪をかいてもらうと
それからは快適に過ごせていた。

「こんな事もあるんだねぇ」
「○ちゃん(←夫の事)が
雪を止めててくれるんだよ」

と、近所の人達が言っていた。

午後になると
美容院に行ってくるように促され
葬儀場に出掛ける準備をした。

通夜が終わると
私達は夫と共に葬儀場に泊まり
次の日が告別式となる。

宿泊の準備もし
告別式の喪服も用意をした。

夫も家の布団から
棺に移された。
大きい棺を頼んだのに
夫の身体はいっぱいいっぱいだった。

「本当に大きいねぇ~」
と、姉や義兄達が言っていた。

私と長女、次男は私の車に乗り
長男は、夫と一緒の車に乗って
葬儀場へ向かった。

通夜は斎場の人が取り仕切ってくれるので
自宅でするようなバタバタ感もなく
やっと、落ち着いた時間を持てた気がした。

通夜も滞りなく進み
長男の喪主のあいさつには
夫がどのようにガンと闘ってきたかを
入れてもらうように文章を用意した。

長男は、自分が考えたものではないから・・・
と、ためらっていたが
私しか知らない夫のガンと闘った姿を
来ていただいた人達に聞いてもらいたかった。

通夜が終わったあと
斎場で近所の人と、親戚50人ほどで
お清めをした。

その後、私達家族と
夫のすぐ上の姉の長男とで斎場に泊まった。

家族だけでいるより
一人入ったほうが良いだろう・・・
と、言う姉の配慮だった。

家族だけとは違い
いろいろな話をし
線香をあげたり夫の様子をみたりしながら
一夜を過ごした。

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2012年3月11日 (日)

線香

平成22年2月2日(火)
夫が亡くなった長い1日が終わり
私達は、夫の寝ている布団の前に
私と子供3人の布団を敷いて寝た。

夜中に線香を絶やさないように
交代で起きて線香を上げる事にして・・・

それでも長男と長女と私は
前の日に寝ていなかったので
目覚ましをかけて起きることにした。

気がたっていて
なかなか寝付けなかったのだが
一回寝付いてしまうと
身体が思うように動かなかった。

目覚ましが鳴っても
目は覚めるのだが
なかなか起き上がれなかった。

そんな中
次男は目覚ましが鳴る前に起きて
毎回、線香をあげていた。

長い線香なのだが
30分に一度はあげないと絶やしてしまう。
そして、ろうそくも・・・

長女は疲れきって眠ったままだったが
長男と私は、目が覚めるだけで
起き上がれない時もあって
次男が線香を上げるのをぼんやり見ていた。

次の朝、長男は次男に
「線香、ありがとな。
お前がいなかったら
絶やしちゃったかもしれなかった・・・」
そう言っていた。

次男は次の日のお通夜の後も
確実に起きて線香を上げていた。

夫の死に目に間に合わなかった次男にしてみたら
線香を絶やさない事が
たった一つの
夫にしてあげられる事
だったのかもしれない。

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2012年3月 7日 (水)

近所の人達も帰り
飲んだり食べたりしたものを片付け
夫の姉妹夫婦の布団を用意し

私と長男、長女、次男の布団を
夫の寝ているすぐ前に用意したのは
夜中の1時を過ぎていた。

夫の前へ行き
やっと落ち着いて顔を眺められた。
夫は白い着物の上に紫色の羽織を着て
布団に横たわっていた。

良くガンで痩せて面影もない
と言う人もいるが
もともと痩せ型だった夫は
顔もびっくりするほど変化はしていなかった。

他の人から見たら
びっくりするほど痩せていたのかもしれないが
毎日見ていた私からしたら
生きている時のままのような気がした。

亡くなる少し前から
顔も身体も土気色になっていたのに
どこもかしこも白く奇麗な肌になっていた。

爪だって
「変色してきたなくなった」
と、随分気にしていたのに
そんな影はどこにもなく
とても奇麗な爪になっていた。

男性の手とは思えないほど
白くて細くて長い指が胸の上で組まれていた。
私は、しばらくその指の上に
自分の手を置いてじっとしていた。

そういえば・・・と思って
足の指も見てみた。

足もむくんでいたり
足の爪も変色したりしていて
夫はいつも気にしていた。

どこもかしこも、むくんだりした影もなく
肌も蝋人形のように白く奇麗なものだった。
「良かったね。奇麗な肌に戻ってるよ」
と、話かけてみた。

あの変色は血液の色だったのか?
と思えるほど
血液が巡らなくなった身体は
奇麗な色になっていた。

冷たくなった足も、しばらく触っていた。
夫に対して、もう何もしてあげられる事はく
私の体温が少しでも伝わったら・・・
そんな思いだった。

夫は、本当に安らかな顔をして眠っていた。

私はあれほど疲れて眠気が襲ってきていたのに
なかなか寝付けなかった。
次の日はお通夜で又忙しいのだから
少し寝ておかなければ・・・と、あせっていた。

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2012年3月 4日 (日)

お清め

葬儀の打ち合わせは
とにかく慌ただしかった。

自宅の周りの葬儀は
ほとんどの家が
自宅でする事が多かったのだが
家は夫の母の時も葬儀場で行った。

その時は、近所から反対され
「自宅で良いんじゃないかい?」
「お宅がそんな事をすれば
後に続く家が金がかかって大変だ」

とか言われたのだが夫は譲らなかった。

時代に乗り遅れている地域で
高齢化が進み
独身でいる人も多くなった。

隣近所で一軒につき男女二人を出して
葬儀の用意をしたり
その家の家族や親戚や
近所の人達の食事の支度をしたり・・・

そういう事をするには
もはや無理がきていると言うのが
解っていたからだった。

夫がそうしてくれたせいで
今回は当たり前のように事が進んだ。
「会社も現役だし、それなりの立場だから
もちろん葬儀場でするんだろ?」

と、言う感じで流れて行った。

又、あの時のようにいろいろ言われて
夫がいなくてどうしたら・・・と
不安だった私は
その言葉にほっとした。

夕方から、近所の人達にお清めをしてもらい
夫が寝ている布団の前には
テーブルが置かれ
食事とお酒の用意ができた。

近所の人達は
夜中の11時過ぎまで、お酒を飲んでいた。
自宅のあたりは近所の奥さん達も
この男性達の風習にあきれていた。

一人の人が9時頃に
「家族の人も疲れているし
○ちゃん(←夫)と一緒にいたいだろうから
もう引き上げようじゃないかい?sweat01

と、言ってくれた。

「何言ってるんだい。
今夜はみんなで賑わせて
淋しくないようにしてやるんだいannoy

と、言われて打ち消され
私達は線香を絶やさないように上げる時だけ
申し訳なさそうに人をかき分けて
夫の近くまで行って線香をあげてきた。

考えてみたら、夫が亡くなる前日の朝6時頃起きて
丸1日過ごし、夫が急変して病院へ泊まり
一睡もせずに夫についていて
一夜を明かし、次の日の夜中になっていた。

長男や長女には少し寝てくるように言って
自分の部屋で仮眠をとらせたが
私と夫のすぐ上の姉はそうもできなかった。

大切な人を亡くした時は
皆さん、こういう感じなのだろうが
気が張っているとは言え
40時間以上起きていた。

動きも鈍くなり疲れ顔の
私と夫のすぐ上の姉を見て
近所の人にお酒を注いだり
自分も飲んだりしながら話をしていた夫の妹は
自分ばかり動いていると又、文句を言っていた。

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