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2012年4月

2012年4月29日 (日)

実印

夫が亡くなって3ヶ月ほどは
書類を揃えたり
銀行へ行って手続きの用紙をもらってきたり

会社の事務手続きをするために
夫の会社へ行ったりして
忙しい毎日を過ごしていた。。

私は、自分と子供達の印鑑登録をするため
インターネットの開運印鑑のショップで
画数や八方位から希望の運気を選んで
画数を吉数に変えて印鑑を作った。

「開運吉相印鑑で前向きなお気持ちが
あなたの夢を叶えます」

と、言う歌い文句にひかれて・・・

前回のブログにあった
リストを作ってくれた友達には

「印鑑なんか、とりあえず
三文判でも何でも良いんだよ
それがないと先へ進まない事が結構あるから
早いほうが良いよ」

と、言われたのだが
私は、子供達の印鑑も
それなりのものを作っておきたかった。

自分の実印らしきものも
あるにはあったのだが
仕事で使うために急いで作った
一晩で作れると言う三千円程度の印鑑だった。

夫の実印は私からすると
気味の悪い字体で
変なふうに名字が彫られたものだった。

ずっと、気にはなっていたのだが
夫がガンになってから
どうしても気になって
ある時、夫に聞いた事があった。

「この実印って、自分で作ったの?
あんまり気持ちのいい字体じゃないね・・・」

と、言うと、夫は

「なんだか、俺がまだ会社の寮にいた時に
商売をしていた自宅を直すのに
何かが俺の名義になっていたんで
印鑑証明が必要になったんだ。

俺は家にいなかったんで
亡くなったおじいさんが使っていて
そこらにころがっていた印鑑を
俺が実家に帰った時にお母さんから渡されて
印鑑登録して証明をとったんだよ」

そう話してくれた。

迷信かもしれないが
亡くなった人の印鑑を使うと言う事は
あまり良くない事だと言うのを聞いた事がある。

それに、夫の家系は二代にわたって
50歳前後で亡くなっている。
夫は、その人の印鑑をずっと使っていたのだった。

私は、なんだか夫がかわいそうになって
亡くなる半年前くらいに
気休めでも・・・と思い
夫の実印と銀行印を新たに作った。

そんな事で余命を宣告された夫の
運命が変わるとは思わなかったが
そんなまま人生を終わらせなければならないのは
あまりにも不憫に思えてしかたなかった。

そんな事もあって
子供達には一生使える印鑑を
作ってあげたかった。

4人共「家族運」を入れてもらい
子供の性格などを書いて
それぞれ「成功運」「貯蓄運」
「希望運」「金運」「結婚運」「交友運」
などを配して作ってもらった。

長男は、すでに自分で車を買ったりしていたので
適当な印鑑で印鑑登録をしてあったのだが
私が長男のも作ったのを知って
印鑑登録の印鑑を変更してくれた。

そして子供3人と私の
印鑑登録を済ませ
印鑑証明をとる事もできた。

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2012年4月25日 (水)

リスト

心配して時々電話やメールをくれる同級生に
わからない事をいろいろ聞いていると
必要なものや、やる事を書いたメールが
パソコンに送られてきた。

この同級生は
夫が亡くなる少し前に
父親を、やはりガンで亡くしていた。

その時の事を思い出しながら
リストを作ってくれたらしかった。

事務的なことは
結構せわしなくして行かなければいけないので
・・・とり急ぎ・・・

と、前置きがあり
いろいろな事が書いてあった。

メールには・・・

現役だったので
会社に係る様々な手続きは
会社でしてくれると思うけど

死亡診断書とか除籍証明書
(除籍謄本・除籍抄本・
除籍記載事項証明書)

のいずれかが必要になるので
それを準備しておくと良いよ!

これはその他様々な手続きで
必要になるので複数毎用意!

思いつくまま・・・

①社会保険や厚生年金の離脱
   (会社でしてくれると思う)

②生命保険の保険請求
   (電話の様子では会社でしてくれるのかな?)

③銀行や郵便局の預貯金
   
(これは死亡診断書、若しくは除籍事項証明書と
    法定相続人全員の印鑑と印鑑証明が必要だったと思うので
    
銀行で用紙と必要なものを確認してね!)

 口座毎に手続きが必要だったと思うよ!

 キャッシュカードの返還。
   
 ※ 公共料金や携帯、その他の口座引き落としの
      
変更手続きを忘れないように!

④借入金の清算・名義変更
    (本人死亡により免除になるものと
     債権相続しないと行けない物があるので
     
それぞれの金融機関に確認すること)

⑤運転免許証の返還

⑥クレジットカードの手続き(家族カード含む)

⑦○○市は埋葬料が市から貰えるんだけど・・・
    
△△はどうかな?役所で聞いてみて
    5万くらいだったと思うけど・・・
   
 ちなみに喪主の口座へだったと思うよ!

⑧遺族年金は会社かな?
    
厚生年金の遺族年金は
    
社会保険事務所かもしれないので・・
    
これは企業年金の担当者にでも聞いてください。

まだ有るかもしれない・・・
思いつくままに書いたので見ずらいけど参考にしてね!

いつか晴れるから頑張れ^^v

と、しめくくられていた。

私は、このリストを参考に
死亡診断書とか除籍証明書を
複数枚用意した。

自宅がある場所に本籍があるので
自宅に帰った時に役場に行って書類をとったり
やらなれけばならない手続きが結構あった。

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2012年4月22日 (日)

銀行

とりあえず、一つづつ
物事を片付けて行ったのだが
現実的な事で
最大限に困った事があった。

それは、夫の給料が振り込まれていた
我が家のメインバンクの凍結だった。

前回のブログの同級生の男性から
電話をもらった時
「銀行は凍結していないかい?
大丈夫かい?」

と、聞かれていた。

夫が亡くなってすぐに
必要なお金は
私の口座から引き出して
葬儀などにあてた。

夫の給料が入る口座は
水道光熱費の引き落としや
クレジットカードの引き落としもあるため
手をつけないでそのまま置いておいた。

私は、この時はまだ
凍結の意味がわからなかった。

インターネットで調べると

人が死亡すると
その人の名義であった銀行口座は
その時点から凍結します。

つまり、配偶者や子供であっても
故人の預金を引き出すことはできません。

それは死亡により
相続がスタートするからです。
故人の財産(遺産)は
相続人全員の共有財産となりますので
遺産分割協議を終えるまでは
勝手にお金を使うことができなくなります。

たとえ引き出すことができたとしても
故人名義の預金からおろしたことがわかると
後で遺産分割協議の際のトラブルになりますので
死後の預金口座の扱いは慎重にしなければなりません。


と、書いてあった。

私は、同級生に聞かれた時
「とりあえず、郵便局も他の銀行も
普通におろせたから大丈夫だと思う。
給与口座だけは手をつけちゃうと
引き落としができなくなっちゃうから・・・」

と、答えた。

「そっか・・・それなら良いんだけど
俺の思い違いじゃなかったら
凍結したら引き落とし、できなくなるんじゃないかなぁ?」

確か、そんなふうに言われた気がするが
私は、夫の口座から引き落とされるべきものが
夫が亡くなったとたんにできなくなる
と、言う事のほうが信じられなかった。

しばらくすると
引き落とし不能の手紙が届くようになった。

銀行に行って
キャッシュカードでお金を下ろそうとすると
使えない旨のメッセージが表示された。
その事を窓口で伝えると凍結している事が判明した。

後で人から聞いた話だと
銀行のほうで
新聞のお悔やみ蘭をチェックして
凍結してしまうらしい・・・と言う事だった。

お金は下ろせないのは解ったが
引き落としができない・・・と言うのは
なんだか納得ができなかった。

それでも、そこからお金がおろせないとなると
督促状がきても、お金を払う事ができなかった。
仕方なく、督促状のもとへ電話をして事情を話した。

そういうところでも
ただの振替不能と
人が亡くなって引き落としができない
と、言うのは形が違うらしかった。

とりあえず、銀行の手続きが終わって
夫の口座を解約して
お金が手元に来てからで良い
と、言うような事を言ってもらった。

それには、送ってもらった書類に記入して
提出したりするところもあった。

そのうちに
亡くなる寸前まで会社へ行っていた夫の
最後の給料が、銀行が凍結していたため
振り込めないと言う事で
夫の会社から連絡がきた。

そういう事も起こってしまうのだ・・・
と、思った。

でも、その給料を
私の口座に入れてもらったおかげで
振替不能で督促状がきていたところへ
支払いをする事ができた。

夫が持っていた口座は
給料が振り込まれるメインバンクの他
郵便局、会社の第2口座
競馬をiモードでするための口座
以前作ったまま忘れていた口座などあったのだが
凍結したのは地方銀行であるメインバンクだけだった。

2010年2月、3月、4月頃までは
そんな事務仕事に追われていた。

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2012年4月18日 (水)

同級生

夫が亡くなってから
レオパレスのベッドの上で
ぽつんと一人で過ごす事が多くなっていた。

毎日毎日作っていた
にんじんジュースを作る事も
頭を悩ませながら考えていた
ゲルソン療法の献立を考える事もなく

腹水がたまった夫のお腹に貼っていた
里芋シップを作る事もなくなってしまった。

朝、夫を送り出すのに
夫が身につけるものをあたためる事も
夫を会社へ送迎する事も
何もなくなってしまっていた。

時々は仕事に行くが
その他はパソコンをしたり
テレビを見たりして
のんびり過ごしていた。

パソコンをしていると
他の人の闘病記を読んでいたり
自分では気づかないうちに
ガンの食事の事について調べていたり・・・

買い物に行っても
夫が食べていたものばかりを買ってきたり
夫が食べてはいけなかったものは
今も買う事がなく過ごしているものもある。

自分は、夫が治る事を信じて
そのためだけに生きていた
そんな1年弱だった。

そんな事を思いながら
過ごしていた毎日だったが
自宅を出てレオパレスにいたおかげで
高校の同級生のAちゃんの家には
良く遊びに行っていた。

時々は
「夕飯、一緒に食べていかない?」
と、言ってもらって
Aちゃんの旦那様と3人で
夕飯をいただいた事もあった。

そして、中学や高校の同級生の男性達も
何かと心配してくれていた。
私が嫁いで地元を離れている間に
同級生は本当に頼れる人達に変わっていた。

夫は会社の仕事は一生懸命だったが
家の事はあまりする人ではなかったため
私は、ほとんどの事を自分でこなしてきた。

そんなおかけで
夫がいなくなってしまったからと言って
できなくて途方に暮れる事はほとんどなかった。
それは、逆に淋しい事でもあった。

それでも、夫が亡くなったあとに
しなくてはならない手続きとかは
普段の事とは違って
もてあましてしまうようなものも度々あった。

同級生の男性達から
困っている事はないか電話をもらったり
一人ではどうして良いか解らなかった
夫の車を売却する事も面倒をみてもらった。

なにかと細かい手続きの事も
わかる範囲で教えてもらったりもした。

高校の同級生には
AちゃんとBちゃんと3人で
少し遠くまで
食事に連れて行ってもらった事もあった。

自分達では
ちょっと手が出ないような
高価なものをご馳走になり
車の中では3人で騒いで
楽しいひとときを過ごして帰ってきた。

自宅にいたなら
外出などできなかったんだろうな・・・
と、夫が残してくれた環境が
妙にありがたかった。

自宅にいたなら、近所の人が見ていて
何時に出て何時に帰ってきたとか
夕べは何回出かけた・・・とか
良くそんな事を言われたものだった。

夫が亡くなったりした時こそ
一人ぼっちでいる事が
危険なのかもしれないのに
外出したり友達と過ごしたりするのは
不謹慎としかとらえてもらえない地域だった。

私は、夫の会社の後輩や
自宅の近くの友達や
同級生に助けてもらいながら
いろいろな手続きをこなし

夫が亡くなったあとにしなければならない事を
一つ一つ片付けて行った。

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2012年4月15日 (日)

荷物整理

夫の会社で
言葉につまったまま号泣してしまった私は
結局は、きちんと挨拶などできなかった。

総務の担当の方が
見かねてフォローしてくれて
夫の荷物の整理にとりかかる事になった。

夫の机は
数列の部下の人達の机が並んでいる
突き当たりにあった。

私が挨拶もロクにできなかったので
他の方達は自分の机に戻って
仕事を始めていた。

私は、挨拶ができなかった事もあり
落ち込んでもいたし
涙も止まらなかったせいもあって
下を向いて、ひたすら片付けをしていた。

前回のブログに出てきた女性の方が
私と一緒に泣きながら
荷物の整理を手伝ってくれた。

女性の方は
「これを、いつも使っていたんですよ」

とか
「こういうの好きでいつも話をしていたんです」
とか、私が知らない夫の一面を
いろいろ説明してくれた。

私は荷物を片付けながら
その人と二人で涙を流しながら
いろいろ話をした。

片付けていると机の中から
お総菜の発泡トレーが出てきた。

「何だろ?」
と、ひっぱり出すと
白い総菜の発泡トレーがキレイに洗われて
それに魚釣りの針が、いっぱい刺さっていた。

夫が亡くなった時に
私が最初に連絡をした人が机の近くにいて
「あ~・・・これは鮎釣りの仕掛けだよ
お昼休みに、こう言うの良く作ってたんだ」

と、教えてくれた。

その人は夫と良く鮎釣りに行っていた。
夫は、お酒を飲む事と
鮎釣りをする事くらいしか
楽しみがなかったのだ。

お酒は飲むがタバコを吸う訳でもなく
ギャンブルも、携帯のiモードで
競馬をして100円単位でかけて
喜んだり悔しがったりしていた夫。

昔から家業に追われ
冬は除雪に追われ
仕事も忙しくて・・・

そんな夫がお昼休みに
会社で鮎釣りの仕掛けを
楽しそうに作っている姿が思い浮かんで
又、涙が止まらなくなってしまった。

その仕掛けは大事に持って帰って
コレクションのものとかを入れる
透明な箱に入れて
今も大事に夫の仏壇の前に飾ってある。

机の周りの片付けが終わり
夫の荷物の中で持って帰るものをもらい
ロッカーの片付けになった。

「これはどうします?」
夫の防寒着とかヘルメットとか
ロッカーの中には
夫が身につけたものがたくさんあった。

私は、それを処分する気には
とてもなれなかった。
持って帰っても使う事もないのだが
とりあえず持って帰ってきた。

会社を出ると
又一つ、何か大きなものが終わった気がした。

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2012年4月11日 (水)

夫の会社

レオパレスに帰ってきてから
1週間ほど、ぼーっとしていた。

当時、いくらかの仕事はしていたが
不定期な仕事だったため
たまたま夫が病院に入院した1月30日から
2月11日までは仕事が入っていなかった。

葬儀にきてくれた友達にメールを出したり
葬儀の収支をまとめたり
遠方から香典を送って下さった方に
手紙を書いて香典返しを送ったりして
あっと言う間に何日も過ぎて行った。

2010年2月12日(金)
この日は、しばらくぶりの仕事で
大きな会議のある日だった。

私は上の人に話をして
会議の前に挨拶をさせてもらうようにお願いした。
仕事の仲間も、忙しい中
遠くまで葬儀に多数参列してくれていたからだ。

挨拶も無事に済ませたが
当時のこの仕事は
6月までで辞める事になっていたため
新しい仕事を探さなければならなかった。

2月16日(火)
夫の職場に挨拶に行った。
会社の人達は受付から何から
いろいろしてくれていた。

現役で亡くなったせいもあるのだが
夫の葬儀の際の「御香尊帳」には
1000人以上の人の名前があった。

会社の人は
「御香尊帳」に名前が書いてあっても
葬儀に参列できなかった人もいるのだが
800人以上の名前があった。

私は夫の会社へ挨拶に行きながら
夫の荷物を取りに行く事になっていた。

総務の担当の方の後について
緊張しながら、夫の部署のドアを開けると
みんなの目が一斉に自分に向けられた。

私は、とにかく、きちんと挨拶はしよう
と、思いながら、夫の机の前まで行った。
夫の机の近くまで行くと
机の様子が目に入ってきた。

大きな花瓶に
たくさんの白い花が生けられて
夫の写真が飾られていた。

夫が会社の旅行に行った時の写真が
大きい写真立ての中で笑っていた。

夫の話の中で良く話題になっていて
部下として夫が高く評価していた女性の方が
「お花、取り替えないと
元気がなくなってきちゃってたんですけど・・・」

と、言いながら花殻をいくつか摘んでいた。

私は、ありがたくて涙が出た。
そして、涙が止まらなくなってしまった。
きちんと挨拶しなくちゃ・・・と、思ってきたのに
言葉に詰まって何も話せなくなってしまった。

夫は、会社にいる時間が長くて
寝る時くらいしか家に帰ってこなかった。
仕事をしていたのはもちろんだが
会社の人達と帰りに飲んでいる事も多かった。

夫の会社へ行ってみて初めて
夫が会社の人達に良くしてもらって
慕われてもいたのだ
と言うのが手に取るようにわかった。

通夜から葬儀から
ずっと我慢してきた涙が
堰を切ったようにあふれてきた。

一度我慢ができなくなると
まるで、たがが外れてしまったようになって
自分ではどうにもならないほど
号泣になってしまった。

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2012年4月 8日 (日)

脱出

子供達3人は、それぞれの車に乗り
自分達の住む場所へ帰って行った。

長男は
「お母さんも早くしないと
一人じゃ車を出せなくなるよ」

と、言い残して帰って行った。

私は、家の中を片付け
夫のお骨を車の助手席に乗せ
シートベルトをかけて
降りしきる雪の中、自宅をあとにした。

自宅から高速まで10キロはないが
高速の乗り口まで行くと
雪は、さほど降ってはいなかった。

高速に乗り10分も走ると
もう雪などどこにもない景色だった。
なんと言う場所に自宅はあるのだろう・・・
そんな事を思いながら、高速を走ってきた。

自宅を出て1時間もしないうちに
レオパレスに着いた。
お骨を安置して線香をあげ
荷物を片付けた。

いつもいた場所に夫の姿はない。

それでも、結婚生活の中で
ひとりぼっちにされる事のほうが多かったせいか
夫は、一人で出掛けているんじゃないか?
そんな感覚でしかなかった。

夫との生活は30年弱だったが
子供から手が離れてからは
夫の母と二人きりでいる事が多かった。

それでも、夫の母が自分の部屋へ入り
ひとりぼっちで夫の帰りを待っている数時間は
夫の母といる時間よりは、ほっとする時間であり
一人でいる時間は、それなりに貴重だった。

田舎で、どこにも出掛けるところもないまま
ほとんどパソコンをして過ごしていた。

レオパレスのベッドの上に
しばらくの間、ぼんやりと座っていたが
近くに住む高校の同級生である
Aちゃんの家に行ってみる事にした。

高校時代の同級生の3人は
亡くなった日に線香をあげにきてくれて
葬儀にも来てくれていたが
留守の間いろいろ気にかけていてくれたに違いなかった。

車で5分ほどしか離れていないAちゃんの家に着くと
Aちゃんは外にいて
大きい封筒のようなものを手に持って
出掛けるところだった。

私が
「Aちゃん、出掛けるところ?」
と、聞くと、びっくりしたように振り返り
「ステッピーちゃん、帰ってこられたんだ」
と、目を丸くした。

「うん・・・Aちゃん、どこかへ行くところ?」
と、聞くと、Aちゃんは封筒を見せた。
それは、私の自宅宛の封筒だった。

レオパレスの郵便受けに入りきらなくなって
はみ出していた数日間の郵便物を
私の自宅宛に送るために
郵便局へ行くところだった。

「もう、こっちへ帰って来れないと思って・・・」
そうAちゃんは言った。
私は、とても、ありがたかった。

「雪がすごくて、一人じゃ無理なんだ。
多分、これから先、あそこには住めないと思う。
仕事もしなくちゃだし
自宅のあたりには仕事もないから」


そう言って、Aちゃんの家にあがって
二人でいろいろ話をした。

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2012年4月 4日 (水)

決断

公民館から帰った私達と
家の庭の除雪をしていた子供達は
とりあえず家の中に入り
一休みした。

夫のすぐ上の姉夫婦は
そろそろ帰らなくては・・・
と、帰り支度を始めた。

子供達も
用事が済んだら、仕事もあるし
自宅にいても何もできないので
それぞれアパートに帰る事になっていた。

私は、しばらく自宅にいようと思っていた。

姉夫婦を見送り
子供達も帰り支度をした。

雪はまったくやむ気配がなく
子供達3人の車を出すにも
又、雪をかかなければ
出られなくなってしまっていた。

3人は又、外へ行き
車の上に積もった雪を落とし
又、除雪を始めた。

私は家の中の片付けをしていた。
時々外をみると
3人で力を合わせて除雪をしている光景が
ほほえましくもあり、頼もしくもあった。

こんなにも力強く
どんどん除雪をするようになったのだ・・・
雪遊びをしている姿しか見ていなかったのに
大人になった3人はたくましかった。

そのうち、長男が玄関に入ってくると
「お母さん、今日本当にここに泊まるん?」
と、大声でキッチンにいる私に聞いた。

あわてて玄関に走って行くと
「雪がすごくて、かいてもかいても降ってくるんだ。
今日泊まっても明日から一人じゃ出られないよ。
残して行っても心配たし・・・」

と、言った。

そんな事を言われても
まだ葬儀の翌日でもあった。
近所の人はどう思うだろうか?

私は、しばらく考えていたが
どっちみち、この先
自宅に住めるとは思っていなかった。
それなら、ここで出てしまおう・・・と思った。

亡くなった夫の母も
連れ合いを早く亡くして

所詮、他人は、夫をなくした自分の事を
好奇の目で見たり、噂したりしたって
結局は何もしてくれなかった・・・
除雪一つ手伝ってはくれなかった。

そう言っていた事も頭にあった。

子供達にしてみれば
自宅のある場所は
父親や祖母や自分達にとっては
子供の頃から住んでいた場所ではあるが

母親の私だけは長く住んでいるとは言え
雪のないところから嫁いできているので
いろいろな意味で心配だったのかもしれなかった。

私は片付けもだいたいにして
近所に挨拶に行った。

葬儀のお礼と
レオパレスに帰ると言う事を
雪が降りしきる中
一軒一軒話してきた。

それは、閉鎖的な地域の人からしたら
とんでもない事だったのだとは思う。

それでも、近年になく降り続いていた雪の事もあり
近所の人からは
「こんなに雪が降ったんじゃ
女一人じゃ、どうにもできないもんなぁ~」

と、言う言葉をかけてくれた人もいた。

きっと、夫が、ここでの生活は
一人では無理だから・・・と
レールをひいてくれたのだ
と、思わずにはいられなかった。

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2012年4月 1日 (日)

告別式の夜は
重要な事が終わった安堵感と
連日の疲れがたまっていて
それなりに眠れた記憶がある。

平成22年2月5日(金)
告別式から一夜明けると
こ2~3日降っていなかった雪は一晩降り続き
車の影も形もないほど積もっていた。

自宅に残っていたのは
私と、長男、長女、次男
夫のすぐ上の姉夫婦・・・

とりあえず朝食をとり
車の雪を落とし
道路までの道を除雪した。

子供達3人は
そのまま家の庭の除雪をする事にした。

私と姉夫婦は
スコップと、車から雪を下ろす道具を積んで
七日をした公民館の片付けに向かった。

お皿もコップも全て貸してもらってあったので
それをまとめて片付けておけば
葬儀屋さんが手配した仕出し屋さんが
取りに来てくれる事になっていた。

道路は町で除雪してあったのだか
公民館に着くと
雪が膝上まであって
車が入れるような状態ではなかった。

とりあえず、車を道路に止めて
スコップで雪をかいて
車を止めるスペースを確保した。

車を駐車場に入れるまでに
30分もかかってしまった。
そして、車を止め
公民館の鍵を開けて中に入った。

七日には50人以上がきてくれたので
中は食べ散らかしたもので凄い状態だったが
とにかく片付けて行かないと・・・と言う事で
3人で器やコップを調理場へ運び
持ってきたゴミ袋に食べ残しを入れた。

洗わなくても良い・・・と
言われていたのだが
あまりにもひどいものは
ざっと、水洗いした。

同じ皿を重ねて
料理運び盆に並べて入れ
玄関に運んだ。

1時間ほどすると
仕出し屋さんの車が器を取りに来た。

こんな時に限って
女性の方が一人で運転してきた。
私達は困惑した・・・

とにかく、雪をかいて
今度はトラックをとめなければならない。
今度は30分以上かけて雪をかいて
トラックを止めるスペースを作った。

トラックなので
だいたい雪をかいたところで
無理矢理駐車してもらった。

仕出しやさんは
雪があまりふらないところから来たので
女性の方は長靴を履いていない・・・

私達は、玄関まで運んだ料理運び盆を
玄関からトラックまで運んだ。

仕出し屋さんの方は
トラックの荷台でそれを受取り
荷台の中へ順番に詰めていった。

仕出し屋さんの車が帰ると
今度は公民館の中を片付けた。
出してあったテーブルや座布団を片付け
調理場の掃除をした。

テーブルも50人以上が座ったので
片付けるのには大変だった。
そして、掃除機をかけて公民館をあとにした。

家に帰ると、子供達は
まだ外で除雪をしていた。

家には大きな除雪機があるのだが
近所で指を切断してしまった人が多かったので
夫が子供に除雪機をさわらせなかったため
除雪機を使える人がいなかった。

スコップとスノッパーを使って
子供達は3時間ほど除雪をして
汗だくになっていた。

それなのに
除雪をしたところには
雪が又、容赦なく降り積もってきていた。

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