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2012年6月

2012年6月27日 (水)

連携プレー

同級生に手伝ってもらって
自宅の荷物を積み込み
次はレオパレスに向かった。

レオパレスでは
まだしばらく生活しなくてはならないから
数日の間では使わないものや
大きくて後で運ぶのは大変なものを運んだ。

ここでも、私が中で運ぶものを選んで
Aちゃんが玄関から外まで運び出し
レオパレスの2階から男性二人が
運びおろしてトラックに積み込んでくれた。

みんな手際が良くて
私が選んでAちゃんに渡すのが
かえってもたついていて
待ちきれないほどだった。

そこでも、又
トラックに積むのに工夫をしてくれて
レオパレスの荷物も積み込み終了となり
新居となるアパートへ向かった。

アパートの鍵は
同級生の女性2人
BちゃんとCちゃんに預けてあった。

二人は、アパートで待機して
お昼の用意をしておいてくれる事になっていた。

アパートに着いて、とりあえずお昼に・・・
と、思ったのだが、男性陣から

「休むと動くのがイヤになるから
とりあえず、荷物を下ろして運んじゃおうぜhappy01

と、言う提案もあって
トラックから荷物をおろし
今度はアパートの2階の部屋へ運び上げた。

下から男性2人が運んできたものを
玄関のところで女性陣3人が受け取り
中まで運び込んで、それを私が受け取り
仕分けしてだいたいの位置に配置した。

冷蔵庫は、自宅から出す時には
1階にあったので、それなりに運べたのだが
今度はアパートの外の曲がり階段を運んで
狭いドアから運び入れる事となった。

ドアから入れるのにギリギリの大きさだったので
二人共、本当に苦労して入れてくれた。
私は、ドアから入らなかったらどうしよう
と、ドキドキしていた。

一通り運んだところで
あちこちに荷物が積まれた部屋で
適当に座ってお昼となった。

いろいろなものをテープルにして
まるでピクニックのようだった。

アパートで待っていてくれたBちゃんとCちゃんは
コンビニでいろいろなものを買って用意してくれた。

その他にも手作りの煮卵や
栗の渋皮煮とかもあって
みんなで、まるで高校時代に戻ったみたいに
いろいろな話をしながら楽しい昼食になった。

自分一人で引っ越し屋さんを頼んで
これだけの事をやったなら
手際が良くて少人数で同じ事もできたかもしれないが
こんなにも楽しく引越なんかできなかったと思う。

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2012年6月24日 (日)

引っ越し

2010年8月22日(日)
この日は、いよいよ大きい荷物の引越になった。

当初、引っ越しは引越業者を頼んで
自宅から冷蔵庫と自分が使っていたベッドを運んで
レオパレスにある細かい荷物は
少しづつステップワゴンで運ぼうと思っていた。

今まで、自宅にいた時は
いろいろな事を一人でやってきていたので
あらゆる事を調べて段取りを組んでいた。

時々電話をくれる同級生の男性から
「引越はどうするんだ?」
と、聞かれたので、予定を話した。

「そんな事しなくても
ウチの会社のトラック使えば良いよhappy01

と、言ってくれた。

その同級生はトラックを使う会社を経営しているので
自分のところのトラックを使って
自分が運転もして
運ぶのも手伝ってくれると言う事だった。

「だって、冷蔵庫とかベッドとか
運べないようなものがあるんだよsad

と、言って躊躇すると
もう一人の同級生の男性に声をかけて
二人で手伝ってくれる事になった。

そうしている間に
同級生の天然仲間の3人から
「いつ、引っ越し?
手伝うからwink
と、言う連絡があった。

今まで、人を頼りにした事がなかったので
そんな事までしてもらっ良いのかな?
と、ためらいもあったのだが
みんなの世話になる事にした。

朝早く、私とAちゃんが私の車に乗り
高速で自宅へ向かった。
同じ頃、トラックに乗った男性陣2人も
高速に乗り私の自宅に向かってくれた。

私達は先に着いて
自宅から持っていく物の中で
手頃なものを積み込みの場所まで運んだ。

そうしている間に
多少場所に迷いながらも
トラックに乗った男性2人が到着した。

冷蔵庫を二人で運び出し
2階のベッドを分解し
ベランダから下へ下ろした。

一人は、昔ボーイスカウトに入っていたとかで
ロープでマットレスを縛ったりするのも
手際よく、確実な方法でやってくれた。

冷蔵庫やベッドを移動した後には
ほこりやカビもあったのだが
Bちゃんが、その床を
テキパキと拭き掃除をしてくれた。

トラックは荷台がアルミ製で箱型の
バンボディのため
その中で荷物が動かないように
工夫する知恵も男性達は持っていた。

高校を卒業して
田舎に引っ込んで同居をしてきた私は
同級生とは、ほとんど連絡もとれないような
そんな生活をしてきていた。

同級生は、それぞれの道を歩みながら
みんな、私の知らない成長をとげて
知らない面をたくさん持ち合わせていた。

とは言っても、それなりの「おじさん」と「おばさん」だから
やれる事には限度もあるだろうと思ったのだが
若い人には負けないほどのパワーがあり
確実に上回る経験と知恵があった。

今まで、自分は自宅にいて
頼られたり面倒をみたりする事だけで
人に何かをしてもらう事など
あまりなかった。

自分が頼んだ訳でもないのに
自主的に快く手伝ってくれている同級生は
本当にありがたい存在だと
改めて思った。

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2012年6月20日 (水)

フレッツ光

2010年8月20日(金)は
アパートのフレッツ光の工事だった。
フレッツ光は
自宅のを転居と言う引越の形をとった。

レオパレスに住み始めた時
そこではレオネットと言う光回線が使えた。

だから週末にしか帰らない自宅に
光回線があるのはもったいないと思い
とりあえず止めてもらって
又使う時には復活させてもらえるか聞いてみた。

電話は光電話を使っていたが
普通の回線の電話に戻せば良いや
と、簡単に考えていた。

それが、この時から1年ほど前・・・

その時には、あとで使うかもしれなくても
家の中の光ケーブルを
全部撤去しなければならない
と、言う説明だった。

自宅は以前ホームテレホンを使っていたため
壁の中にはケーブル保護管が複雑に配置され
フレッツ光の工事の時には
慣れた業者の人がやっても、とても時間がかった。

今度は撤去をするのに
立ち会わなければならなかったが
そのために土日以外の日に自宅に帰るのは
夫の事もあり難しかった。

仕方なく、その時は
週末しか帰らない自宅で
そのまま光回線を使い続けた。

でも、ほんの少し月日がたっただけで
光ケーブルは撤去しなくても良くなっていた。

そして、引越と言う形をとる事によって
ほとんど料金もかからずに
アパートに引く事ができた。

電話回線や、プロバイダーも
夫の名義だったので
ここでも名義変更の手続きが発生した。

それでも、いろいろな書類は揃っているし
書類に記入するのも慣れてきたし
手続きは簡単だった。

アパートに光回線をひいてもらって
業者の人が帰ってから
モデムとパソコンの設定をした。

レオパレスではLANケーブルで使っていたが
自宅から持ってきた無線LANのルーターを繋いで
無線で使えるように設定して
その日も私はレオパレスへ帰った。

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2012年6月17日 (日)

アパートへ移る準備

2010年8月
16日(月)に新盆が終わり盆棚を片付け
自宅をあとにしてレオパレスに戻ってきた。
ここから本格的に新たな人生が始まる事となった。

翌日の17日(火)は
アパートの引き渡し日になっていた。

その前にいろいろな書類を書いたり
私の弟に保証人を頼んだりして
なんだかんだと、しなければならない事も多かった。

一番困ったのが、私がまだ就職していなかった事。

やはり職業や勤め先を書く欄があり
決まってはいるものの
まだ勤めていない状態で
その情報を書くには気がひけた。

それでも、その状況でかまわない
と、言ってもらえたので
そのままを記入した。

次男が就職も内定していたのだから
私のようなパートなんかよりも
次男の事を書いたほうが良いのかな?

とも思ったのだが
いずれ独立して出ていってもらわなくちゃ
と、思っていたので
自分で契約者になる事にした。

この日はガス会社の人がきて
ガスの立ち合いも済ませる事ができた。

そして新居のガスや水道・電気の
支払いの手続きをし
電話をひくために
フレッツ光の申し込みもした。

レオパレスにいた時は仮の住まいだったため
住民票は移していなかったが
今度は全て移して、この市の住民になるのだ・・・

そう思うと、長く辛かった日々から
抜け出せるんじゃないか?
そんな思いも湧いてきていた。

そして、その翌日の18日(水)は
アパートの掃除に行った。
実家の母親と、その妹も来て手伝ってくれた。

しかし、二人とも身長も低く高齢なため
できる事に限りがあり
台所や戸棚の拭き掃除や
窓拭きをしてもらった。

それでも、そのくらいの年代の人は
本当に良く働くもので
私一人でするには大変だったろうと思うような事も
朝から夕方まで、お昼を挟んだだけで動いてくれた。

私が、カーテンを下げたり
突っ張り棚をつけたり
家具を組み立てたり
照明を取り付けたりしているのをみて

「まるで男の人がいるようだねぇ~happy01
と、しきりに感心していた。
「これじゃあ、一人でも生きていけるねぇ~confident
と、言うから
「おかげさまでsmile
と、笑ってみた。

でも・・・
一人でも生きて行けるから
夫に先立たれちゃったのかな?
ふと、そんな事も思ったりした。

良く、ドラマなんかで
二人の女性の間で気持ちが揺れていた男性が
「お前は一人でも大丈夫だから・・・」
と、言って、か弱そうな女性のほうを選ぶ話があるが
夫が、そう言って笑っているような気がしてしまった。

そして、夕方には3人で近くの温泉に行った。
母親は、いつもは父親がいて
なかなか出掛ける事もなく過ごしていたので
妹と会える事や温泉に行ける事も嬉しそうだった。

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2012年6月13日 (水)

新盆

新盆の用意は7月から始まった。
葬儀屋さんと打ち合わせをして
盆棚の用意から、引き出物の用意。

夫のすぐ上の姉と相談して
来てくれた人に出す料理の事・・・
田舎だから、近所や親戚には
料理を出したり酒を出したりする。

4年前に夫の母が亡くなったので
その時の新盆の記録は
夫が全てパソコンの中に残してあった。

夫は、まるで自分がそうなった時に
家族が困らないよう
いろいろな事を細かく記録し
あらゆる事が残されていた。

来てくれた人の事
包んでくれた金額の事
その人達に持たせた引き出物の事。

そして線香だけあげて帰る人には
缶のお茶と持たせられるようにお菓子も用意し
車で来て飲まなかった人のために
缶ビールも用意した。

でも、昔のように新盆の家に長くいて
何時間も飲んだり食べたりするような人はいなかった。
そのため料理はほとんど捨てるようであった。

夫は、他の家の新盆にも
何回も行った事があったので
段取りをする段階で

「最近は、あまり食事をする風習はなくなっているから
そんなに用意しなくても良いかもしれないな」
と、言っていたのだが
やはり昔のままの事をした。

その時は、線香をあげに来てくれた人と一緒に
夫も飲んだりしていたので
近所の人や親戚の人も
数人は食事をしたり飲んで行った。

でも夫の新盆になると
私や子供達、夫の姉妹しかいなかったので
近所の人も遠慮して飲んだり食べたりは
ほとんどして行かなかった。

母の時は、夫が来た人の接待を
しなければならなかったので
お寺には夫の姉二人行ってもらった。

夫の新盆は、お寺には長男に行ってもらった。

新盆って、亡くなってから初めて
夫が帰ってきてるんだよなぁ~
・・・そんな事を思いながらバタバタしているうちに
送り盆の日になってしまった。

夫の姉妹は2家族づつくらいで
毎日誰かしらが泊まっていった。

送り盆の日がきて
これで夫は帰ってしまうんだ・・・と思ったら
なんだか急に淋しくなってしまった。

いつだって、そうだ。

何か重要な時
私は忙しさに追われて
肝心な事が何もできなかったり
考える暇もなかったり

大事な人と話をしたり
向き合ったりもできないで
今まで来てしまったような気がする。

そして結局は来てくれた人の接待や
宿泊していた姉妹の食事の支度に追われて
新盆の本当に意味を見失ったまま
新盆は終わり仏様を送って行った。

ごめんね・・・
又、忙しくて
ゆっくり向き合う事もできなかったね。

来年からは自宅じゃなくて
私が引っ越す新居に来てもらうから
きっと、いっぱい話をする時間があると思うよ。
そう夫に話しかけて手を合わせた。

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2012年6月10日 (日)

アパート

2010年7月
自分も次男も就職が決まり
自宅の修理も一段落し
新盆で忙しくなる前に
アパートを決めてしまおうと思っていた。

2010年7月
次男と二人でアパートを決めた。
それは、次男が就職をした会社の
すく近くのものだった。

配属は違う県になるかもしれない
と、思ったが、それでも
私が就職した会社にも近いし
交通の便も良いから良いんじゃないかと思って・・・

決めてしまってから
少し前からみてもらっていた
占いめいたところへ行って
その事を話した。

すると、決めてしまったところは
あんまり良くないと言われてしまった。

そんな事もあった結果
迷ったのだが決めたところは
自分でも少し違和感があったため
もう一度考え直す事にした。

そんなところに頼って左右されるなんて
と、笑う人もいるかもしれないが
今までいろいろな事が起こってきた私にとっては
もう自分で選ぶ事には疲れていた。

会社に入ればいじめられ
結婚したら夫の母や姉妹といろいろあり
パートに出たら、その先でも
そのあげくに夫にガンで先立たれ・・・

できれば、これから先の短い人生は
もうそんなに幸せでなくてもいいから
少しでも平和で
人並みの生活がしたかった。

それには、自分が選んだ道の行く手には
悪い事しか待っていないような気がして
しかたなかった。

それならば、他の人に選んでもらおう・・・
もう、そんな気持ちにしかなれなかった。

例えそこで
あまり良い事がなかったとしても
きっと自分で選んだ道よりは
少しはましな道であるのだろう
そう思えるような気がした。

そして、良いと言われた方向性で探して
Aちゃんについてきてもらって
アパートを見に行った。

天気が良かったせいもあったが
日差しがまぶしいくらい入るその部屋は
明るい未来が感じられるような気がした。

今まで、暗闇しか歩いて来なかったような自分にとっては
それだけでも憧れていた部屋だった。

確かに、最初に選んだ部屋は
どこか、重い空気が漂っていた。
私には、その原因は何かわからなかったが
みてもらった人が言うのはそういう事だと思った。

そして、私は最初に決めた部屋を断って
今住んでいるアパートを借りる事にした。
入居日は新盆が過ぎてすぐ
住むのは9月の始めと言う事になった。

入居は、新盆が終わってから
少しづつ引っ越しをしようと思っていた。
私は、少しづつ新しい人生に向かって
歩き初めていた。

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2012年6月 6日 (水)

修理

夫が亡くなったあとの事務手続きをし
次男の就職の心配をし
自分の就職をし
自分の親の病院の世話をし・・・

そんな毎日の中で
毎週自宅へ帰っていた。

留守にしているのも心配だったし
掃除もしなくちゃならないし
風も入れなくちゃならないし
草むしりもしなくちゃならないし・・・

そんなある日
親戚のおじさんから電話がかかってきた。

「住んでねぇし
余計なお世話かもしんねぇけど
屋根が錆びてきてるよ。
錆び止め塗って、ペンキ塗り直さないと
家が駄目になっちまう」


家を建ててから18年
雪下ろしをしなくても雪が落ちるように
勾配を急にした屋根は
凍った雪も落ちるため傷つく割合も多く
そろそろ、そういう時期にきていたのだった。

でもなんと言っても建坪30坪以上
3階建ての矩勾配の屋根だ。
屋根の上まで全て足場を組まないと
ペンキなど塗れないのは解っていた。

夫の姉妹で
唯一相談にのってくれていた姉と
その旦那様に相談して
あとでするのは大変だから
お金がかかっても外壁もぬってしまおう
と、言う事になった。

住んでいない事前提だったので
お金を払う以外何もする事はなかったのだが
相当な金額になり痛い出費だった。

と、思っているうちに
1階の洗面台が壊れた。
近くのホームセンターで
あまり高くないのを入れてもらった。

間もなく、照明が2つ壊れてつかなくなってしまった。
これは、随分たってから
ホームセンターで安いのを買って
電気関係の事ができる同級生につけてもらった。

そして、今度は2階の洗面台と
お風呂場の水栓が駄目になってしまった。

2階の洗面台は、それ自体も駄目だったのだが
扉の中に小さな温水器が入っていて
そこから水漏れがして
床もカビさせてしまった。

自分が就職した会社が
そういうものも扱っていたので
社員価格で洗面台と温水器と
お風呂の水栓の面倒をみてもらった。

住んでいないのだから
2階の洗面台は温水器はいらないかな?
と、思ったのだが
冬になると子供達が友達を連れて
ボードに来て泊まったりする。

お湯が出ないのもかわいそうなので
無理を言って安いものをつけてもらった。

そのあとも、次々といろいろなものが壊れた。
もう、いらない事にしよう・・・と
なくても我慢できるものはそのままにして
どうしても必要なものだけは直した。

そして、テレビの地デジ化・・・
アパートにもテレビを買わなくてはならないが
自宅はどうしようcoldsweats02

で、実家がテレビを買い換えるのに
不要になった地デジチューナーをもらったり
中古のチューナーを落札して
自分でつけてみた。

そして昨年、2階建てのプレハブの倉庫が
腐りかけて駄目になりそうだったので
それを壊して、除雪機を入れて
少し荷物も入るガレージに建て直した。

中のものは、ほとんどが
夫の母が捨てられなかったもので
母が亡くなってから
夫と片付ける事になっていた。

でも、夫は、母が亡くなって1年後には
胃ガンを発病し、手術をして体力もなくなり
倉庫の事を気にしながらも
何もできずにいた。

「やっと、片付ける事になったからねhappy01
と、夫に報告した。
今は、夫がいつも使っていた除雪機が
その中に収まっている。

「こんなに、頑張って
一人でいろいろやったんだから
褒めてぇ~happy02
と、夫の写真に向かってつぶやいてみる。

そろそろ温水器も危ないかなぁ~・・・
と、心配しつつ、誰も住んでいないのに
時々帰る時のためと、痛ませないために
3日に1回ほど湧き上げているのも
もったいないなぁ~・・・なんて
頭の痛い日々を送っています。

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2012年6月 3日 (日)

就職

2010年7月
夫のかつての上司からの話で
私は仕事を紹介され面接に行った。

自分の希望する職種は事務であったが
求人はその会社のショールームの担当だった。

夫の上司は心配して
「私の紹介だからって
無理にそこに決めなくて良いんだよ。
イヤだと思ったら断って良いんだ」

と、言ってくれた。

接客は苦手だなぁ~・・・
と、思ったが
とりあえず紹介された会社でもあるし
採用されたら、やってみようと思った。

ショールームと、言っても
若い人が案内するようなショールームではないし
そんなに人も来ないような感じだった。

それでも、暇と言うのも
違った意味で心配だった。

誰も来なくて
仕事がない時間を
どう過ごしたら良いかわからない
と、思ったからだった。

社長は、すぐにでも来てもらいたそうだったが
会長のほうから
「旦那さんの新盆もあって忙しいだろうから
それが済んでからで良いから・・・」

と、言ってもらえた。

私は、それに甘えさせてもらって
9月になってから出社する事にした。

今もその会社にパートとして行っているが
半年ほどしたところで異動になり
今は、パソコンを使った事務をしている。

過去に勤めた先での人間関係に
何度も悩まされてきたせいか
学習してきている自分がいた。

劣っている事も多いのだけど
それは全面に出し
できる事は、なるべく控えめに・・・

そして、パートなのに、どうしても
仕事にのめり込みそうになるから
ほどほどで、力を抜く・・・と言う事を
心がけるようにしている。

仕事は居心地良いのが一番だからね・・・

今いる部署は男性10人の中に
女は私一人だから
どっちかと言うと、みんなにしてみれば
お母さんみたいかな?

愚痴を聞いたり
外の仕事での出来事を聞いたり
雰囲気悪くなってると
違う話題で盛り上げたり・・・

仕事の内容は
夫がしていた仕事と通じるものがあるし
私も、もともとは夫と同じ会社だったから
今の仕事の基礎知識もある。

やっぱりショールームで
一日をもてあましていた時に比べたら
忙しいけど、楽しい。

時々、わからない事があって
「帰ってから夫に聞いてみようflair
・ ・ ・ ・ ・
「あっ、もういないんだったsweat01

「あれ?夫が言ってた事と違うじゃん
いい加減な事言って・・・って怒ってやるthink

・ ・ ・ ・ ・
「そうだ、いなかったんだっけsweat02

そういう仕事に携わったせいで
そんな事を思う事は数多くあった。

それでも、どこかで夫を感じられるのは
幸せな事なのかもね・・・
と、思っている今日この頃。

仕事もできる事が増えて
仕事の量も増えて
ここのところ、休日出勤もしたりして
少し、お疲れ気味なステッピーちゃんです。

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