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2012年9月 5日 (水)

いつか・・・

夫の口癖だった
「定年したら旅行に行こう」
と言う言葉・・・

もう二人では実現しないけれど
子供達と、そして一人で
少しづついろいろなところへ
行ってみたりしている。

夫と二人でだったら
行った先で何かあっても
一人ではないから心強いと思うし
お互い助けあったり気づかったりもできる。

それに、二人なら
思いきっていろいろなところへ
行く事もできたのだろうが

もともと臆病で
石橋を叩いても
壊してみるだけで渡らない
などと言われていたところへもってきて

一人と言うのは何かと不便なもので
宿泊も一人は高くついたり
ツアーも一人での参加は
できなかったりする事も多い。

それに、一人でどこかへ行くと言うのは
あまり歳をとってからでは難しい。
しかも飛行機や電車やバスではなくて
運転して行きたいところもある。

遠くまで運転しても
体力的にも精神的にも
そして気力的にも問題ない時に
少しでもいろいろな事がしてみたい。

それには、やはり今から10年・・・
長くても15年が限度だろうか?
そう思うと、少しあせっている。

とにかく30年もの間
友達と会う事さえもままならない
そんな軟禁生活のような事をしてきたのだ。

せっかく夫と二人になれて
これからは二人で外へ出られる
そう思った矢先に
夫に先立たれてしまった。

私にはありがたい事に
まだ両親が揃っている。
その両親も、いつかは
介護をしたりする事になるかもしれない。

そうしたら、又しばらくは
そういう生活になってしまう。

飛べる時に飛んでみなければ
飛ぶ事すらも知らないで
終わってしまう。

夫がいた時のように
いつか・・・と、言っていたら
自力でする事に限界があるのだから
その「いつか」はないのかもしれない。

そう思って
おそるおそる一歩を踏み出してみた。
まずは娘と一緒に・・・
そして、一人でも・・・

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思っている事・自分」カテゴリの記事

コメント

うちの話じゃないかと思うくらい、状況が似ています。軟禁生活という言葉が的確過ぎて笑ってしまいました。
実は今日、家を出る話を小姑さんたちにしたんです。予想通り揉めました。どうしてあんなふうに自分に都合良く物事を考えられるのでしょうね。でも、とりあえず家を出ることは決まったのでホッとしています。

投稿: はこ | 2012年9月 9日 (日) 01時07分

はじめまして。
私は昨年手術しました。
胃がんです。今は抗がん剤の治療をしています。
行けるときに思い切り楽しんでください。
私はもう両親も他界しました。
親との旅行も行かれません。

楽しみはいつかとうことはずっといつかになってしまいます。
人生楽しんでください。

人生って意外と短いです。

投稿: rupipi | 2012年9月 9日 (日) 08時54分

heartはこさん
自分に都合良く物事を考えられる小姑・・・
本当に良く似ています。
それでも良くしたもので、私があの人達の実家を出て2年半
夫が建てた夫名義の家だから
私と子供達の家である事に変わりはなく
何もあの人達の自由にはならない名ばかりの実家なんですけど
いくらか遠慮を見せるようになりました。
それでも、お盆にはみんな泊まりに来たんですけどねcoldsweats01
でも、あの家に住んでいたら
こんな風にいくらかの気遣いを見せる事もなかったと思います。
お母様、家を出られる事になったんですね。
それは何よりです。
お母様も、やっと自分として生きられる事ができるのだから
どうか協力してあげてください。
そして、ウチの子供達は私を見てきたから結婚に夢が湧かなくて
一生独身で良い・・・などと言っていますが
是非幸せな結婚をして(もうしているのかな?)
お母様を喜ばせてください。
私もそうですけど、こんな風になると
子供の幸せだけが自分にとっての幸せなんです。


heartrupipiさん
訪問&コメントありがとうございます。
ご自身がガンなのですね・・・
昨年からお母様を亡くしたり震災に巻き込まれたり
そんな中、ご自分の病気と闘って
本当に夢を見ているようだ・・・と言う気持ち
凄くわかります。
人生、以外と短いんですよね・・・
私も耐えてきた30年間・・・あの時だったら
もっと楽しい事がたくさんできただろうに・・・
と、良く思いますが
もしかしたらずっと不自由な生活で終わってしまったかもしれない。
そんな事も思ってみたりもします。
夫が自分の身体を張って私に自由をくれたのかもしれません。
医学はどんどん進歩しています。
rupipiさんの回復と転移しない事を
心からお祈りしています。
そして、人生楽しめますようにshine

投稿: ステッピー | 2012年9月 9日 (日) 11時26分

私は残念ながら独身で、2つ下の妹も独身です。ステッピーさんのお嬢さんと同じで、苦労する母を見てきたので結婚に夢なんて持てません。結婚して相手の親族と付き合うことを考えただけでゾッとします(笑)。

投稿: はこ | 2012年9月 9日 (日) 21時32分

ステッピーさん、初めまして。
私は、同じ経験を母でしました。

大学病院で、検査でなかなか結論に
至らずに、医師はゆっくり夏休みをとり、
病名がわかった時から、
慌しく、時間が流れていきました。
大学病院は、結論から判断して、好意的に
病人に対応する場所ではありません。

転院させられて、その先では治療は何も
望めませんでした。
そんな時に、知ったのがY先生でした。
母が亡くなる数日前に、Y先生に
セカンドオピニオンと言う形で会いました。
「お母さんは、病院で孤立していないかい?」
開口、Y先生が言った言葉がそれでした。
転院先の病院で、母はドクターハラスメント
を受けて、看護士の質も最低な状況で
居たのです。
大学病院の先生は、状況を伝えるも逃げ
ました。

生まれて初めて、絶対乗らないと決めた
飛行機に乗って大阪へ。
いらないと言った、紹介状を持たされ
飛行機の中で読んで、
悔しくてくしゃくしゃにした紙を
Y先生に渡した事は今でも忘れられません。

Y先生は、人間として尊敬する人です。

転院先の病院は、母が亡くなった後も、
看護士が笑いながら病室に入ってきました。
危篤もなく突然の死で、倒れた家族のいる
病室にです。
後で、抗議をしたら、
「それぞれ、看護士の心情で仕事に
あたっているので、これからの成長を
温かく見守ってください」との事でした。

最後まで、ひどい病院でした。
なかなか、立ち直るのに時間がかかり、
サポートのHさんが、気が付いたら
心をサポートしてくれていました。

私も鍼灸に母を連れて行ったり、
色々出来る限りの事はしました。
ステッピーさんの、気持ちはよくわかります。
私も、孤独で暗いトンネル中で、
一人でもがきました。

ブログに感謝します。
読ませてもらって、
ありがとうございました。

投稿: たんぽぽ | 2012年9月12日 (水) 12時12分

heartはこさん
はこさんも、ウチの娘と同じですね・・・
でも、私もそうですけど、自分がそんな人生だったからこそ
娘だけは幸せな結婚をしてもらいたいし
自分がかなわなかったから
そういう生活をしている娘をみてみたいんですよcoldsweats01


heartたんぽぽさん
訪問&コメントありがとうございます。
コメント返しが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
病院での事、まるでウチの事かと思うくらい良く似ています。
ウチも大学病院でした。
そんな医師ばかりではないと思うのですが
生きているんだから、そして先は短いかもしれないのだから
もっと、もっと思いやってほしいんですよね。
サポートのHさんは、私もメールしたりしました。
Y先生のところへも行かれたんですね。
私も連れていきたかったけど
夫が医師に遠慮していてできませんでした。
自分はできる限りの事をしてきたつもりですが
そういう部分ではとても悔いが残っています。
同じような思いをした方はたくさんいるんですよね。
それでも、亡くなったお母様が天国で心配しないように
明るく前向きに生きてください。
お母様の、ご冥福をお祈りいたします。

投稿: ステッピー | 2012年9月28日 (金) 23時00分

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