過去の出来事

2013年12月29日 (日)

良いお年を・・・

今年も、残すところ
あと2日になりました。
みなさん
風邪などひいていませんか?

結婚して10年間
年末年始は民宿のお客様に加え
夫の4人の姉妹が家族で泊まりにきて

毎年、40人ほどにふくれ上がった
人数分の食事を作り
自分の子供は実家に預けながら
食事も一人キッチンで立ってすませ

あかぎれに泣きながら
家族があってないような状況に
辛くて淋しくて悲しくて・・・

そして、次の15年
民宿はやめたものの
夫の姉妹が宿泊にきて
やはり自分の居場所もなく
お風呂にも入る時間がなかった年末年始。

2006年に夫の母が亡くなって
夫の姉妹からは辛い事を言われながら
それでも、喪に服しながらの年末年始
初めて夫とお酒を飲みながらテレビを見た。

長男はその頃から
年末年始は海外だったが
長女が当時の彼を連れて泊まりにきて
次男も家に帰ってきて

初めて、家族が集う年末年始だった。

2007年は、夫がすでに
胃ガンの手術をしたあとだったので
無理もできず
それでも除雪に追われながら

これから訪れるはずだった
旅行や外食、二人きりの時間・・・
今までなかった平和な日々を夢見ながら
夫と過ごした年末年始だった。

そして2008年は
夫の体調不良に悩まされ
医師に相談しても相手にされず
夫が食べるたびに苦しむと言う
悪夢のような年末年始。

それでも夫は除雪に明け暮れていた。

2009年は夫の余命もわずかとなり
最後の年末年始と覚悟を決めて
二人で静かに過ごしていた。

2010年は夫が亡くなって
初めての年末年始。
12月30日に友達に誘われて
ディズニーランドへ。

そんな楽しい事があったから
ひとりぼっちの年越しもお正月も
全然淋しくなかった。

2011年・・・
夫が亡くなってから
私は、年越しの用意も
お正月の飾り付けもやめにした。

いつか良い事があるかもしれない
そう思って30年間やってきたのに
何も良い事なんてなかった
だから、もうしない。

そして、この年も30日には
友達に誘われてディズニーシーに行き
31日からは長男と「さんふらわぁ」に乗って
「迎春初日の出クルーズ」を楽しんできた。

なんだ、人間、楽しい事を選んで
生きる事だってできるんじゃないか
そんな事に気づき始めた頃だった。

そして2012年は
一人で京都で年越し。
除夜の鐘をついたり
初日の出を見たり、お参りしたり。

そして、今年
夫のすぐ上の姉と二人で
明日から沖縄へ行ってきます。

夫のすぐ上の姉は夫と3歳違い。
夫の母や他の3人の姉妹に
理不尽な事を言われ続けた中で
いつでも公平にものをみて
私の味方になってくれた人。

姉は私よりは旦那様と出かけた事もあったけど
それでも、旦那様が仕事が忙しく
放っておかれるうちに
旦那様も歳で疲れが見えるようになり
旅行までは手が回らない様子。

本当は旦那様も
一緒に行く予定だったのだけど
気をきかせて遠慮して下さったので
二人きりで行ってきます。

プランは全て私にお任せ。
全部手配も済ませましたぁ~
ご恩返しもかねて
義姉孝行してきます

そんな事で年末年始
今年は沖縄です

みなさんも、良いお年をお迎え下さい

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2013年11月 6日 (水)

我慢

10月から始まったNHKの
朝の連続テレビ小説
「ごちそうさん」

先週までは天真爛漫な主人公が
いっぱい食べて恋して・・・
その恋がどうなるのかなぁ~
と、楽しみに見ていた。

今週になったら
せっかく思いが通じて
相思相愛になった人の元へ
嫁いだのに

その人の家族にいじめられる
そんな展開になってしまった。

こういうテレビを見ると
自分はまだ幸せだったな
と、思わなくもない。

きっと、昔の人は
こういう思いをたくさんしてきたのに
違いないのだ。

テレビを見ながら
ふと、夫の事を思い出した。

最終的に
「おまえだけが我慢してくれれば
この家は丸くおさまる」

そんな事ばかりを言われてきたが
最初から、そうだった訳じゃない。

夫の姉が
夫の母が畑にいるところにきて
そのまま帰って行った事があった。

夫は、姉から電話がきて
母に取り次ぐ前に
「姉さん、近所の目もあるし
まるで家に寄せないみたいでイヤだから
家に寄ってください

と、言ったようだった。

しばらくして母がものすごい剣幕で
私のところへきて
「○○(←夫の姉)に何を言ったんだい
と、言った。

私は何の事だからわからずに
ぽかん・・・としていると
夫がやってきて
電話のやりとりを母に話した。

私は
「なんだ、夫は姉に対して
良い事を言ったんだ

と、思ってほっとした。

すると、母が私に
「ステッピーが、あの子に謝れ

と、言った。

私は何を言われているのか解らなかった。

「あの子は、ステッピーが言わせたんだろう
って、電話口で泣いて怒っていたから
あの子に謝ってくれ

と、言った。

夫はびっくりして
「どうして謝るんだ。
俺は何も悪い事は言ってないよ。
家に寄るなと言えば悪いかもしれないけど
寄ってくれって言ってどうして悪いんだ

と、言っても母は私に謝れの一点張りだった。

私は、自分の頭の思考回路が
どうかしてしまったのかと思うくらい混乱していた。

夫はいろいろ言っていたが
自分の言っている事が通らない事がわかると
「俺は悪い事を言ったとは思ってないけど
俺が言ったんだから俺が謝ればいいだろう

と、電話をとった。

母は
「あの子は
ステッピーが言わせたんだろう
って言ってるんだから
ステッピーに謝らせなくちゃならないんだ

と、又言う。

夫は、相当抵抗したが
母はどんどんヒステリックになって行くだけだった。

結局、電話を押しつけられ
理不尽な事に
私は姉に謝らされた。

夫は、後で一人で泣いていた。
ここの家は、常識と言うものはないのだ・・・
そう思った出来事だった。

そんなたぐいの事が
何回か繰り返され
夫は、ことある事に

「お前だけが我慢してくれれば
この家は丸くおさまる」

と、言うようになってしまった。

それから、夫に頼りたいとは
思えなくなっていた自分だった。

誰かに頼りたくて
誰かの胸で泣きたくて
誰かに助けてもらいたくて
そんな25年だった気がする。

だから、夫はいなくなってしまったけど
あの頃に比べたら
私は、今のほうがずっと幸せ

ごめんね・・・一緒に幸せになれなくて。

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2011年8月29日 (月)

家業

今更書くのだが家業は民宿だった。
きちんとしたホテルや旅館ではないから
いつでも他人が家の中を行き交っていた。

だいたい年越しには20人から30人の客がいた。
しかも、誰も雇わないで家族だけで回していた。

そして、年末年始は夫の姉妹4人が
家族を連れて泊まりにくる。
自分の家の人数と合わせると
こちらも20人ほど・・・

朝晩50人分ほどの食事を作るのだが
夫の母は娘達が来ると台所は私に任せて
話をしたり早い時間からお酒を飲んだりしていた。

夫はほとんど除雪をしていたが
終わると、夫もそこへ参加した。

娘の中には私を気遣って
手伝おうとしてくれた人もいたが
夫の母が娘はせっかくきて休みたいのに
かわいそうだと言って手伝わせなかった。

私だけがひたすら50人の食事を作っていた。
作るのはまだ良いのだが
洗い物のほうが大変だった。

お腹に子供がいる時などは
もしも、この子を流産したら
離婚して帰ろう・・・
毎回そう思っていた。

それでも子供は強く
授かった3人共生まれてきてくれた。
生まれた時に泣かなくて
丸1日母乳も飲まなくてあきらめかけた長男。

お腹にいる時にドクターストップがかかりながら
休む事に理解を得られず
私が動きすぎて胎盤がおかしくなってしまい
無事に生めないかと思った次男。

普通だったのは真ん中の長女だけだった。

嫁いでからの暮れから正月にかけては
毎年、こんな事が
暮れの30日から正月の三が日続いた。

私は部屋に座る場所もないので
台所で立って食事をする日々だった。

娘は盆も正月も
当たり前のように実家に来るのに
私は盆も正月も
実家へ帰してはもらえなかった。

年に数回実家に帰った時
子供の頃から肥満児のようだった私の
痩せこけた体をみて
母親があまりにもびっくりするので
お風呂に隠れて入るようになった。

盆と正月がなかったら
もう少し太れるのかもしれないな・・・
そんな事を思っていた。

夫の母も亡くなり
ゆっくりできる正月は
たった3回で終わりを迎えてしまうのだろうか?
悲しいとか言うよりも
なんだか、あきれて馬鹿馬鹿しくなっていた。

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2011年1月31日 (月)

脅迫

夫が自分の母親に私が出て行くと言う事を話すと
夫に責められているように感じたようで
「母ちゃんが悪いって言うんかい
と、逆に怒鳴られたらしかった。

次男は私が一人で出て行くんじゃないかと
いつも不安そうに私を目で追うようになっていた。
夏物と冬物の服を入れ替えるため
夏物の服を大量に衣類袋に詰めたある日・・・

夜から次男の学校の会議だった。
途中で抜け出して夫を駅まで迎えに行き
夫を自宅に置いて又学校まで戻った。

こんな状況になると
さすがに夫も協力体制で
次男が夫と二人で同じフロアーにいられないのも理解していて
自分は部屋に行っているから・・・と言った。

しばらくすると夫の母から携帯に電話があった。
「どこにいるんだい?
と小さく消え入りそうな声だった。
「学校だよ。何?」
と聞くと

「私が何か悪い事でもしたんかねぇ~
○○(←夫)に聞いたら
ステッピーが出て行くって言ってるって言うし
私は、あの日は焼酎飲んで酔っ払ってて
何も覚えてないんだけど・・・

もしも、出ていかれるような事になったら
実家のお父さんに顔向けできないから
今、死のうと思って見たら
家には首を吊れるところがないんだよ

倉庫には梁があるから
倉庫で首吊って死のうと思って・・・

と言ってきた。

無性に腹が立った
今度は脅しだ

私が夏物と冬物の服を入れ替えるために
大量の服をタンスの前に積み上げていて
しかも、夜、家に帰ってこないと言う事で
もしや出て行くのでは?と思ったらしい。

夫に話し聞くと、夫が一人で帰ったために
私はどうしたのか聞いたらしい。

夫が
「知らないね。あんな事まで言われて
出て行くって言ってたから
出ていったんじゃねぇの
と答えたせいでの展開らしかった。

夫の母からすると
私が必要なのではなくて
実家への面子と
家政婦兼運転手がいなくなる事の
不便を避けたいだけだった。

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2011年1月28日 (金)

実家

そんな騒動があっても
私は実家の親には話せないでいた。
結婚の時、大反対されたのに
結婚してしまった。

あの時、夫の母は
「息子が、もしも駄目なら一生結婚しない
と言うからどうしても・・・」
と私の親に頭を下げた。

そんな事で出てきて
私の母親からは
「好きで嫁に行ったのだから
と言われて
今までの辛かった事は一切話してなかった。

行く場所をなくして母の妹のところへ行った。
今まであった事をいろいろ話した。
初めて涙が枯れるほど泣いた。
悲しいと言うよりは悔しかった。

我慢をするのは涙においてもそうだった。
涙もとことん我慢する。
踏ん張るだけ踏ん張って
自分の中で頑張って涙を見せないようにする。

相手に弱みも見せたくはないのだ。
だから、夫の前で泣いた事はなかった。
こんな事くらいどうって事ない・・・と強がって
陰では良く泣いた。

夫には、そんな私が我慢をしているのではなく
気が強い・・・と写っていたのかもしれない。
「お前は、かわいくないなぁ~
と、良く言った。
「そんなに、かわいくないなら
結婚なんかしなくちゃ良かったのに

と、言い返した。

人前で泣く事がない分
一度崩れると手がつけられない。
自分自身が操縦不能に陥ってしまうのだ。

この日も、止めようと思っても
我慢しようと思っても
どうする事もできなかった。

私の母は、後日、自分の妹から
「姉ちゃん、いくら反対したのに結婚したからって
あれほどじゃあ、かわいそうだよ。
少しは話くらい聞いてやれよぉ~

と言われたそうだ。

私の母親は、その後初めて内容を知り絶句した。
「誰よりも素晴らしい娘だとは思ってはいないけど
そこまで言われるほど
他人様よりも劣ってるように育てたつもりはないけどね

と言って肩を落とした。

そして
「悲しむから、お父さんには言わないよ。
あれだけ反対したのに連れて行って
こんな仕打ちしたんじゃ・・・」

と、言った。

家を出るにあたっては
次男がネックだった。
中学3年生で転校させたくなかったので
卒業まで待つしかなかった。

中学3年の秋・・・すでに受験モードに入っていた。
志望校は姉と同じ工業高校
姉は建築科だったが機械科希望だった。
と言っても勉強したいと言うよりは
部活がしたい・・・と言う理由だったのだが・・・

どっちみち自宅から学校までは
車と電車を乗り継いで自転車にも乗って1時間半。
もしも、そこへ行けたら
二人でアパートでも借りて住もうと思った。

滑り止めを予定している学校も
似たりよったりの場所だった。
自分もパートを辞めて本気で働かなくてはならない。

考える事はたくさんあった。
でも、すぐに家を出る訳にはいかなかったので
家の事は何事もなかったようにこなした。

今までと唯一違った事は
夫の母と会話をしなくなった事だけだった。

夫の母のほうは何もなかったように話しかけてきたが
私のほうは、我慢のあげく爆発したせいで
気持ち的に口をきく事ができなくなってしまっていた。

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2011年1月26日 (水)

ピリオド

酔いが覚めた夫と
自分の人生にあきれて
冷め切った私・・・

「あれだけ言われたら
もう家を出るしかないから・・・
いくら何でも、あんな風に思われてるなんて
思ってもみなかったよ

好かれていないまでも
少しは解ってくれてて
なんだかんだ言っても
必要とされてるんだと思ってた


と、私が口火を切った。
いつも
「お前だけが我慢すれば何とかなるんだから・・・」
としか言わなかった夫が
「今回ばかりは止められないな
と小さくつぶやいた。

私は、もともと我慢強いほうだと自分でも思っている。
夫も、母親のほうの側につく事は多くても
それは見てきた訳だから
私がここまで言うのは限界であり
止める事はできないと思ったのだと思う。

怒る時もそうだ。
そんなに感情をあらわにするほうではないが
多分、怒った時には元には戻れないと思う。
だから、私が本気で怒った時には最期なのだ。

夫は姉妹の中でも
一人だけ話を解ってもらえる
すぐ上の姉に電話をした。
以前からの事も電話で話していた。

夫は自分や子供が何か悪い事をしても
全て私にとばっちりが行くことなどを話していた。
「ステッピーの事をいじめてしょうがないんだよ
と、初めて、夫の口から聞いた。

これ以上、私に我慢を強いる事はできない。
でも、自分は母親を捨てる訳にはいかないから・・・
と言いながら電話口で涙をこぼしていた。

自分達夫婦は、最初から最後まで
夫の母に邪魔をされて
きちんと夫婦になれずに終わるのだ
・・・と思った。

私のほうは
なんだか、自分の晴れない人生にあきれて
涙の一つも出てこないのが不思議だった。

辛くて苦しくて
どこかでピリオドを打ちたかった・・・
そんな結婚生活だった。

自分がアクションを起こさなくても
相手が起こしてくれて
かえって幸いだ・・・とも思っていた。

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2011年1月23日 (日)

崩れた積み木

夫の母の怒鳴り声に
びっくりして夫と次男は静かになった。
何せ自分達が勝手に取っ組み合いの喧嘩をしたのに
何も関係のない私が怒鳴られているのだ。

次男は少し前まで夫の母と一緒に寝ていたのだが
中学生になって自分の部屋に寝るようになり
反抗期になったせいもあって
夫の母に逆らったりもするようになった。

夫の母は、今まで猫かわいがりしていた次男が
自分に逆らったり
口もロクにきかなくなった事を
私のせいだと思っていた。

だから夫と次男が喧嘩をするのも私のせいだと・・・
私のほうは
それまで夫の母親に逆らった事がなかった。

儲かりもしないような家業を押しつけられて
無償で働かされても
4人いる夫の姉妹が家族で泊まりに来て
まるで家政婦のように働かされても

夫の姉妹が長期の休みに
子供達だけを預けて行って
家が保育所のようになっても

土地にも家にも家業にも慣れなくて
病気がちになって
「弱い嫁をもらって損した
と、夫の母に嫌味を言われても

働き過ぎで、お腹の子供が危険な状況になったり
結婚前まで丈夫だったのに
二人目を産んでから腎臓の病気を患うようになって
救急車で運ばれても・・・

陰でさんざん泣いても、良い嫁を演じてきた。
でも、それはどこかで解ってくれているだろうと思っていた。
と、言うより、評価してくれて
当然だと思っていたのかもしれない。

そんな我慢を詰め込んで
高く積み上げられた積み木が
目の前でガラガラ崩れていった。

悪魔が
「お前の我慢なんか何の意味もないんだ
そう言って、あざ笑っているようだった。

気がついたら、自分も怒鳴り返していた。
「ここの家は
いつだって、そうやって悪い事は全部
私に押しつけるんだよ
もう、たくさんだよ


今まで逆らった事がなかった私が
同居20年目にして初めてキレた。
夫と次男は自分達が喧嘩していたのに
全て私がかぶってしまった事で呆然としていた。

夫の母は、
おもしろくなさそうな顔をして
二階に上がって行った。

次男も二階へあがり
喧嘩の後の散らかった部屋には
すっかり酔いが覚めた夫と
人生に冷め切った私だけが残された。

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2011年1月20日 (木)

爆発

3人いる子供達だが
次男が中学3年の時には
長男も長女も就職して
すでに家を出ていた。

いつものように酔って帰ってきた夫。
次男は和室でテレビを見ていたが
夫が酔って帰ってきたのをみると
部屋の襖を閉めた。

酔っていたせいもあるが
何年か次男との間が
重い雰囲気に包まれていたせいもあり
夫がキレた。

次男のいる和室の襖を開け
次男に文句を言った。
次男も小学生のままではない。
中学3年にもなっているから
腕力にも自信があったのだと思う。

夫と次男の取っ組み合いの喧嘩が始まった。
私は夫のご飯の支度をしていたのだが
止めに入った。

でも、とても止められるものではなかった。
そのうちに夫の母が階段を駆け下りてきた。
「何の騒ぎだい
と、こちらも、鬼のような形相をしている。

しばらく夫と次男の様子をみていたが
急に私のほうを向いた。

そして
「ここの家で起こる悪い事は
みんなお前のせいなんだよ

と、大声で怒鳴った。

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2011年1月18日 (火)

確執

夫がガンになる随分以前から・・・
次男が小学校6年の時から
夫と次男は、8年ほど口をきいていなかった。

毎晩のように飲んで帰ってきた夫は
子供達に、からむ事も多かった。

長男と長女は2つ違いなのだが
次男は長女と4歳違うので
次男が小学校高学年の時には
夫が酔ってからむような状況ではなくなっていた。

今まで分散していた子供達への状況が
次男一人にのしかかるようになった。
夫は帰った時に次男が起きていれば
文句を言ったり、抱きかかえるような事をしたりした。

長男などは、小さい頃、怖がって泣いては
夫の母のところへ逃げて行ったが
それが気に入らなくて、ますますかまったりしていた。

歳をとったせいか夫も酒に弱くなっていたのだろうが
今までと同じように飲んでいたせいか
余計に酒癖も悪くなり
虐待のような事もするようになった。

次男が小学校6年の夏休み
酔って帰った夫は
寝ている次男の耳をひっぱって起こし
泣いた次男をたたいた。

そして酔っていたせいで
足下にあった絵筆を洗う水をこぼし
次男が夏休みの宿題で書いた絵を台無しにした。
それから次男は夫と口をきかなくなってしまった。

口をきかないだけでなく
夫と同じ部屋にいられない
夫と同じフロアーにいない
夫と二人だけではいられなくなってしまった。

そのために、夫と次男が二人そろっていて
次男がお風呂に入る時や
ご飯を食べる時は
必ず私が一緒にいなければならなくなった。

私は、なにごともなかったように
つとめて明るく振る舞うようにした。
夫や次男がお互いの重苦しい状況について
深く考えなくても良いように配慮したつもりだった。

夫は、男なので自分から謝らなかったが
反省はしていたのだと思う・・・
私にとっては席をはずせないのは
思ったよりも苦痛だった。

行きたい時にトイレに行けずに
良く膀胱炎にもなった。
ずっと、険悪なムードが続いていたある日
事件は起こった・・・

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カシューナッツロースト

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2008年12月 1日 (月)

年下の男の子(^_^;)

高校の時、付き合っていた一つ年下の彼が・・・
ギターを弾く人だった
デートの度に「デュエット」(←良かったらクリックして読んでね)
と言うチョコレートを持ってきた

家に遊びに来ると、私の部屋にあったギターを弾いてくれた
当時の「かぐや姫」「風」「さだまさし」・・・
で、一人ぼっちの時や車に乗っている時に聞けるように
自分でギターを弾きながら歌っているのを
カセットにふきこんでプレゼントしてくれた

その中に「かぐや姫」「置き手紙」と言う曲があった
歌詞の内容としては・・・

君はまだ たくさんの紙袋をかかえたままで
この手紙 読んでいるだろう
これで最後の男の気まぐれとして
どこか そこらの窓から捨ててくれ

ぼくの ほんのひとことが 
まだ二十歳前の君を こんなに苦しめるなんて 
だから行く先は ぼくの友達に聞いてくれ・・・

こんな感じだ・・・
ラブラブ・・・のはずの状態で
プレゼントしてくれた曲が

「置き手紙」って何だよ

今回、お友達のブログ「線香花火」の中で
FREUDEさんが、この曲についてエッセイを書いてくれた

私が卒業して間もなく
社会人になって、車であちこち飛び回るようになった私と
「期末テスト」や「中間テスト」の時なんかは
デートもできない彼

周りの同期達は、大人の男の人と一緒に出かけるようになって
なんとなく、一人、取り残され感を感じるようになって
デートの機会も、お付き合いも自然と消滅して行った

がっ・・・

この時のカセットは捨てていない
つー事は、いつかカセットの山の中から
「このカセットなんだろう?」
と聴いてみたら

「置き手紙」が流れてくるかもしんない

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