ガン・・・闘病記

2012年2月 2日 (木)

天国へ・・・

夜中になると夫は
訳もなく起き上がるようになった。
話しかけても訳のわからない事を言うきりで
会話にならなかった。

長男が病院に着いて声をかけると
「○○(←長男の名前)かい?」
と、長男の事は解ったらしかった。

夫は、まるで夢遊病者のようでもあり
酔っぱらっているようでもあった。
モルヒネを使うと言うことは
こういう事なのか・・・と、思った。

ベッドの上に座り込んで
体を左右に揺らしたり
動くのもままならないのに
ベッドから降りようとする。

みんなが声をかけると
焦点の合わない目で
訳のわからないことを言うようにもなった。

やっと横にならせても
又起き上がって何かをしようとしている。

トイレに行くようなそぶりも見せるので
看護師さんが付き添って
部屋にあるトイレに行ったりもした。

あまりにも変な行動をするようになってしまい
もう、普通には戻らないのでは・・・
と、思うと悲しくなってしまって
みんな泣き始めてしまった。

すると、泥酔しているようになっていた夫は
泣いているみんなを見つめて
「どうしたん?」
と、聞いてきた。

2月2日(火)の朝方までそんな行動が続き
みんなに促されてやっと横になった夫の呼吸は
しばらくすると、いびきのような呼吸に変わった。

病院に来ていなかった次男は
電話をして様子を話すと
急いで来ると言う事なので
あせらないで良いから
気をつけてくるように伝えた。

長女は
「会社のお金を預かっているので
一回会社へ行ってきたいけど、大丈夫かな?」

と言うので会社も近い事だし
今、落ち着いているから・・・と言う事で会社へ行った。

しばらくすると、呼吸の間隔は長くなり
30秒に1回大きく呼吸するようになった。

長男が「お父さん」と呼びかけると
呼吸をするが
放っておくと呼吸が止まるようになった。

夫の目からは涙があふれた。
そして、まるで
「もういいから、もう呼ばないで
このまま休ませてくれ」
と言っているように首を左右に振った。

私は、あわてて長女に電話をした。
長女は、もう病院の近くまで戻ってきていた。

夫の姉が夫の足をさわっていて
「あっ・・・足のほうが冷たくなってきた」
と、言うので

長男が
「お父さん○○(←娘の名前)
もう来るから来るまで頑張ってよ」

と、言いながら夫の手をにぎっていた。

夫の姉は
「ステッピーちゃんに
ありがとうって言ってあげて。
いっぱい苦労させたんだからcrying

と、言って号泣していた。

本来なら、緩和以外の事はしないと言う事なのだが
長女の到着まで何とかと言う思いを汲み取って
酸素吸入をしてくれた。

呼吸が止まったようだったが
最期を看取った医師は
娘の到着を待って
「7時22分、ご臨終です」
と、頭を下げた。

夫は2年前の今日
平成22年2月2日(火)7時22分
長いガンとの闘いを終えて
天国へ旅立った。

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2012年2月 1日 (水)

恐怖

個室に移された夫は
「個室なんて高いんじやないか?」
と、声もロクに出ないのに話しかけてきた。

「そんなじゃないみたいだよ」
と、私が答えると
「そうなんだ・・・」
と、言って目をつむった。

月曜日でみんな仕事だろうけど
連絡したほうが良いかな?どうしよう・・・
そんな事を思いながら、夫の顔をみていた。
夕方になったので夫の姉に電話をして
状況を話した。

姉は危ないようなら行ってみる・・・
と、言ってくれたが
自分としては希望的観測もあって
又、持ち直すんじゃないかと思っていた。

姉には、まだ大丈夫そうだから
と、話し自宅で待機してもらった。

もう外は暗くなっていた。
部屋に戻ると電気がついているので
夫がまぶしいだろうと思い電気を消した。

夫は、寝ていたようだったのに急に目を開けて
「電気、消さないでよweep
恐いよsweat02

と、子供のように言った。

私は、夫があの世と、この世の境を
さまよっているような気がして
恐くなった。

看護師さんが
「今夜は、お泊まりになりますか?」
と聞いてきた。
一つ一つの言葉にギクッとする自分がいた。

「泊まったほうが良いんでしょうか?」
「それは、わかりませんが
お泊まりになるようでしたら
簡易ベッドを用意します」

そう答えた。

こんな時は経験者の言葉が
一番確かなような気がした。

夫は苦しそうでもなく
静かに眠ったり起きたりしているようだったが
泊まる事にした。

しかし、泊まるには私の準備がなさすぎた。
夫も苦しそうでもないので
泊まる用意をしてくる事にした。

夫にその事を話すと
「泊まってくれるん?」
と、言って笑った。

夫のもとに長くいたり泊まったりする事によって
夫は自分の命が長くない事を悟るのではないか?
と言う不安もあって自分の行動も慎重になっていた。

それでも、夫の嬉しそうな様子を見て
夫の恐怖心が少しでも薄れれば
それだけでも泊まる意味はあるのだと思った。

長女は会社が終わって病院にきた。
私は長女が来たので
一回家へ帰って
泊まる用意をしてくる事を伝えて

「お父さんの傍にいてね」
と、言うと長女は
「えっ・・・無理だよ
恐いよ・・・何かあったら恐いよsweat01

と私の後を追いかけてきた。

そう言われて無理もないと思った。
長女一人の時に何かあったらと思うと
かわいそうになった。

長女だけではなく、私だって同じだった。
一人で夫についているのは恐かった。
涙でも流しているのを見られたりしたら・・・
そんな事にも細心の注意を払った。

私が行ってくる間は看護師さんに頼んで
長女は自分のアパートで待機する事にした。

車に乗って、自宅の近くの友達に電話をした。
私よりも先に友達のほうが
電話口で泣き始めてしまった。

ずっと、ずっと我慢していたものがこみ上げてきて
私のほうも涙が止まらなかった。
親や親戚に頼れる人がいない分
甘えられて、涙を見せられるのは友達しかいなかった。

この日は運悪く雪だった。
自分はスタッドレスでもあり
自宅では雪に慣れていても
周りの車が雪に慣れていなかったり
ノーマルタイヤだったりするために
とんでもない渋滞がおきていた。

私は下道で帰って泊まる用意をしたのだが
病院へ行くには高速を選んだ。
危険かもしれないし、かえって安全かもしれない。
結果は高速を選んで正解だった。

長女と夫のベッドの下の簡易ベッドと
ソファーに泊まる事にして
用意してきた毛布をかけたりして
寒くないように準備した。

夜、10時を過ぎた頃から
夫が変な行動をするようになってきた。

点滴もしていて
モルヒネも入れているようだったので
意識もはっきりしていなかった。

看護師さんに
「他の人にも連絡したほうが良いでしょうか?」
と、聞いてみると

「それは、はっきりと判断はできませんが
まだ大丈夫だったらそれで良いんですから
後悔しないためにも呼んだほうが良いかもしれません」

と、言われて
夜遅くなってしまったが
夫の姉と長男に連絡した。

長男の車はスタッドレスを履いていなかったので
かえって心配事が増えてしまったが
長男も無事に病院に着いてホッとした。

次男は明日の朝行くからと言う返事だった。
前日に元気そうな夫をみて帰ったので
危機感がなかったのだと思った。

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2012年1月30日 (月)

急変

2010年1月31日(日)は
夫のすぐ上の姉の夫から提案があった。
他の姉妹に連絡して
会いに来るように話すと言うことだった。

私は、自分自身がいっぱいいっぱいだった。
もともと、私を責めたりなじったりしかしないような
夫の姉妹と、この状況で顔を合わせて
冷静な対応ができる自信などなかった。

夫にしてみても
例えばこんな状況になって
自分の姉妹が私に対していろいろ言ったとしたら
それだけで又気持ちを病むに違いなかった。

それに、今まで夫がガンになっても
わざわざ会いに来る事などなかったのに
急に他の3人の姉妹が夫婦で現れたら
夫は変に思うに決まっている。

そんな私の思いを義兄に伝えると
今までのいきさつがあるからこそ
ここで連絡をしておかないと
又、私が責められる事になるし

とにかく大人数で来ると夫が変に思うから
一組づつ会いに来るように自分から伝えるから・・・
と、説得された。

こんな、いっぱいいっぱいの状況で
又、重い事がのしかかってきた。

しばらくして義兄から連絡があり
1日1組づつくらいの感じで
会いに来るように話をつけたから・・・
と、言う事だった。

2月1日(月)
私は以前から高校時代の同級生の4人で
集まる計画をしていた。

夫がこんな事になってしまうとは
思ってもみなかったし
近くの友達の家に集合する予定だったので
みんなの顔をみて、午後から病院へ行く予定だった。

娘が夕方から病院に来る事になっていたので
午後から行って夜遅くまでいようと思っていた。

それでも心配だったので朝9時半頃メールをした。
「具合はどーよ?」
「具合がよくない
痒いので孫の手みたいの持ってきてちょ」

「調子悪いの?」
と、メールしたが今度は返事がなかった。

「良くないって、痛いの?
すぐ行くよう?」

と、メールしても返事がないので電話をしてみた。

夫は、しぼり出すような声で、やっと電話に出た。
「あのさぁ~・・・具合が良くないんだよ・・・sweat02
と、今にも消えそうな声だった。

私は
「今から行くからsweat01
と、言って、友達の家から病院に向かった。

途中で5軒ほどお店に寄ったのだが
孫の手は買えなかった。
夫の事が心配でもあったので
最後に寄ったお店で靴べらの長いのを買って
それで代用しようと思った。

病院に着くと夫はぐったりしていた。
「どうしたん?」
と、聞くと、夫は、声にならないような声で
「なんだか、全体的に変なんだよ」
と答えた。

看護師さんがきて
「個室に移りましょうか?」
と私に聞くので
「もう・・・そんなに危ないようなんでしょうか?」
と聞いてみると

「こんな感じで長くいる方もいますが
私がみた感じでは、お気の毒ですが
もう、それほど長くはないのでは・・・と」

と、答えた。

「個室に移したら
本人が変に思うんじゃないでしょうか?」

と、私が言うと
「うまくするから大丈夫です」
と、言って個室の用意をしてくれた。

しばらくすると看護師さんは
「お隣のおじいちゃんが騒いでいて
ゆっくり休めなかったでしょう?
個室の用意ができましたから
移りましょうね」
と、夫に話しかけて
二人がかりでベッドごと夫を移動させた。

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2012年1月28日 (土)

子供達と

しばらくすると、夫の姉がきた。
夫は私に
「連絡したんだ?・・・心配させなくても良いのに」
と、言った。

姉が帰ると長男がきた。
夫は自分のお腹を見せて
「こんなんなっちゃってるんだ」
と笑い
「早く治して仕事に行かないと・・・」
と、話していた。

長男は帰る時に
「お父さん、あんな事言ってるけど治るん?」
と、聞くので

「お父さんには話してないんだけど
もう危ないらしいんだ。
いつ連絡が行っても来られるようにしといてね」

と、言っておいた。

長男は複雑な顔をしていたが
「わかった・・・」
と、言って帰って行った。

この日は腹水を500ml抜いた。
夫は、脈が激しく息づかいが苦しい
腹部全体の痛み・・・
と、闘っていた。

夜遅く私も病院を後にした。
病院からレオパレスに着いて
夫にメールを打った。

夫が入院した
2010年1月30日(土)は
ブルームーンだった。

ブルームーンとは
同じ月に2度満月が起きるというのは
とても珍しいことで
占いの世界では幸運の兆しとされているらしいshine


その時のブログ・・・コチラ
(←良かったらクリックして読んでね)
にも書いたのだが
私は病院からの帰り道に
ブルームーンの写真を撮って
夫の携帯に送信した。

夫からは

「良く撮れてるね。
願いがかなうように
おじさんも画像でお願いしてみるよん」

と返信が来た。

結婚前に夫の事をふざけて
「おじさん」
と呼んでいた事を思い出した。

1月31日(日)は
長女と次男が夕方から来ると言うので
私は病院に午後から行って
夜遅くまでいる事にした。

午前中に具合をたずねるメールをすると

「少し血圧もあがってきたし
昨日もあれから腹水を抜いたら
腸が動き出してか、ガスが出て
その後、2回、量はたいしたことないけど
出たからちょっと安心しているところhappy01

と返信がきた。

午後私が行って、しばらくすると長女がきた。
長女は一人で病院にいて
夫の具合が急変すると恐いと言うので
私が行くまで待機していたようだった。

長女は何か話しかけると
涙ぐみそうになるのを
必死にこらえているようだった。

長女が帰ると次男がきた。
次男のほうは今まで絶縁関係にあったので
うまく話ができないらしく
夫の話を黙って聞いていた。

夫は
「就職活動はうまく行ってるか?
お前は不器用だったり話し下手だったりして
そういうの悩んでるみたいだけど
良いところは、いっぱいあるんだ。

器用で社交的で世の中うまく渡ってる・・・
会社は、そんな人材ばかり求めてる訳じゃないからな。
良いところを認めてくれるところはきっとあるから
諦めるんじゃないぞconfident

と、励ましていた。

私は子供達が小さい時から家にいて
こんな事を言ってくれる父親だったら
子供はもっと伸び伸び育ったかもしれないな
と、思いながら話を聞いていた。

それでも子供達は
元気で力強い父親を見て
それなりに安心して帰路についたようだった。

この日は腹水は100ml・・・
夫は、腹水が抜ければ楽になると思うらしく
何度となく私に
「腹水、どのくらいたまってる?」
と、聞いてきた。

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2012年1月26日 (木)

不安

私は車の中であちこちに連絡しながら
レオパレスに着き入院の準備をした。

前年の夏くらいまでは何回か入院もしたので
いつでも入院できるようになっていたのだが
ここへきて、物は揃っていても
それを集めるのには時間がかかってしまった。

それでも急いで用意をして
病院へ戻った。
夫のところへ行くと夫は案外元気だった。

「参っちゃったよ・・・
隣のじぃさんが、ずっとしゃべってるんだ」

と、言って少しうんざりした様子だった。

なんでも、緩和ケア病棟と自宅とを
行ったり来たりしているらしかった。

私が着くと又話しかけてきて
「夕べこそは死ぬかと思ったら
まだ大丈夫だった。
明日あたりは帰れるかな?」

などと言っていた。

私は、ここへ来て何をしてもらっているのだろう?
と、思ったりもしたのだが
まだ治療ができるだけの患者さんなのだろうか?
とも、思ってみた。

そんな話を聞けば夫としたら
自分も出たり入ったりするのだろうか?
と、思ったらしくて
自分は何日くらいここにいるのだろう?
と、独り言のようにつぶやいていた。

夫は会社へ連絡して
先は未定ではあるのだが
何日か休む事になる
と、連絡したようだった。

私が病院に着くと看護師さんがきて
医師からの話があるとの事だった。
夫には
「ちょっと行ってくるね」
と、言って部屋を出た。

医師の話を聞く部屋へ行くと
休みだったはずのS医師がいた。
たまたま出てくる時間だったのか
夫のために来てくれたのかはわからないが
ありがたかった。

処置をしてくれた医師から連絡を受けた話と
今の状況、これからの事を説明してくれた。
部屋から出ると看護師さんが
緩和ケア病棟を案内してくれた。

入院している人と家族が
いつでも一緒にいられたり
家族が食事を作ったりもできるような
設備も整っていた。

部屋に戻ると夫は
一層不安そうな顔をして私を見て
「遅かったけど何の話だったん?sweat02
と、聞いてきた。

「この病棟の設備を説明してもらってたんだよ」
と、言うと
「随分遅かったじゃない?
俺、良くないんじゃないのか?」

と、突っ込んできた。

「そうじゃないよhappy01
家族が泊まったりする部屋の使い方とか
台所とかもあるから
食器とか調理器具の使い方や
規則なんかの説明を受けてたんだよconfident

と、切り返したが
夫の恐怖心が手に取るように解って苦しかった。

そして、S医師は夫のところへも来てくれた。
夫に体調を質問し
「とりあえず、今は腹水を抜いて様子をみましょう」
と言うと、夫は
「いつ頃退院できますか?
会社、そんなに長くは休めないので・・・」

と、医師に聞いた。

私と医師は思わず目を合わせた。
医師は
「とにかく、今は治す事を優先しましょう」
と、言って部屋を出て行った。

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2012年1月24日 (火)

連絡

夫のもとに戻ると
夫は不安そうな顔をして待っていた。

「先生、何だって?」
と、言うので
「緩和ケア病棟に入院する事になったよconfident
と言うと夫は
「会社、又、休まなくちゃならないなぁ~shock
と、ため息をついた。

看護師さんがきて
「病棟へ移りますので、車イスに乗ってください」
と言って、車イスを持ってきた。

夫は
「歩けるんだけどなsweat01
と、言いながら車イスに移ったのだが
思いがけず体は言うことをきかないようだった。

病室は二人部屋だった。
隣は80歳くらいのおじいさんだったので挨拶をして
私は入院の用意をするために
レオパレスに戻った。

戻りながらイヤホンジャックをして
携帯であちこちに連絡した。
まずは、夫の4人いる姉妹のうち
すぐ上の姉に電話をかけた。

夫の状況を話し、余命が長くない事
緩和ケア病棟に入った事を話した。
正直、他の姉妹とは話をしたくなかった。

夫の母がいた時には
面倒な事は全て私に押しつけ
母が亡くなってからは
私がいたらなかったとなじられ
夫が病気になったのも
私の管理が悪かったせいだと言われ・・・

すぐ上の姉だけが公平な目で見て支えてくれた。
姉は、これから旦那様と一緒に
病院へ行ってみると言ってくれた。
何かの時にはいろいろ動いてくれた姉だった。

そして、長男へ電話をし状況を伝えた。
そのあとは長女・・・

長女のアパートは今度の病院の近くだったのだが
急にこんな事になるとは思っていなかったために
スキー場の前に位置する自宅に
友達を招待してしまっていた。

本当なら、私も夫も自宅へ帰り
私が長女の友達に夕飯を作る事になっていた。

長女は友達もいるし
明日にならないと帰れないと言うので
「そんなに急にどうこうならないから大丈夫だよ」
と、言っておいた。

二人とも、状況を聞いてきたが
「あまり良くない状態だよ」
としか言えなかった。
もう危ないんだ・・・とは、とても言えなかった。

次男は父親がそんな状況になっているとも知らないで
ボードに行っていて
電話に出なかったのでメールをした。

次男は小学校の高学年から
父親と10年以上絶縁関係になっていて
前の年にやっと和解したばかりなのに
もう父親を亡くそうとしていた。

そして、私の実家にも電話をした。
実家は父親が気がきかない人で、わがままなため
母親はいろいろ心配したとしても
何もできないのはわかっていた。

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2012年1月22日 (日)

緩和ケア病棟

医師は入院するにあたって
「一応、一般病棟のベッドも空いてはいますが
緩和ケア病棟とどちらにしますか?」

と、聞いた。

緩和ケア病棟は最初に診察に来た時に
見学しても良いと言うことだったので
看護師さんに案内してもらって見せてもらった。

私は、いろいろなところで調べたので
緩和ケアがどんなところだかは解っていた。
夫は、知識的に乏しかったので
初診の前日に病院のホームページを見せておいた。

ホームページには
がんをもつ患者様は身体の痛みをはじめ
不安や孤独感、仕事や収入のこと
生きる意味の問いなどさまざまな苦痛を抱えています。

緩和ケアとは、身体の痛みを取り除くとともに
心のケアも行い患者様が自分らしく生きられるように
支援することです。

最近、緩和ケアは
「がん」と診断されたときから行われるようになっています。
決して終末期のケアを意味するものではないのです。


と、書いてあった。
確かに、緩和ケア病棟と自宅を
行ったりきたりしている人もいるようだった。

夫は、見学に行った時に
「病院じゃないみたいだなぁ~happy01
と、言っていた。

確かに
全室南向きで屋上庭園に面していて
屋上庭園には季節の花々や木々が植えられ
散歩を楽しむこともできるようだった。

ただ冬だったので、庭園は寒々としていて
外へ出て散歩をするには
少し無理があるようだった。

一般病棟にするか緩和ケア病棟にするか
ここでの決断は夫の最期を左右するものだった。

一般病棟では、ガンに対する治療をする。
緩和ケア病棟では痛みに対する処置はするが
治療はしない。

場合によっては、ガンの治療をしながら
緩和ケアをすると言うケースもあるようだが
夫の場合は、もうすでに
ガンの治療はできない状態だった。

と、なると、痛みを和らげるためにモルヒネを投与し

最期も人工呼吸や心臓マッサージ等はしない方向になる。
それでも、私は
夫の最期は穏やかに過ごさせたいと思った。

もう、これだけ頑張ったのだから
お疲れ様・・・と、言って見送りたい。

30年近い結婚生活も
夫の母と同居していたせいで
本当に一緒にはいられなかった。

夫は、お酒を飲んでばかりいて
なかなか家にいた事もなかったけど
自分の母親の事では随分悩まされたと思う。

そして、住んでいた場所のせいで
除雪に追われ、通勤時間も長く
ゆっくりした生活なんてした事がなかったと思う。

せめて最期くらいは
ゆっくりとできる道を作って
家族で見送ってあげたい・・・そう思った。

「緩和ケア病棟でお願いします」
そう、医師に告げ夫のもとへ戻った。

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2012年1月20日 (金)

前向きな入院

夫は、とりあえず入院すると言うことで
私は入院の荷物を取りにいく事になった。

その前に医師からの説明があるので
しばらく夫の傍で待っていた。
看護師さんが呼びに来て
説明を受ける部屋に通された。

夫は、一人取り残されたのだが
「イヤだな・・・なんだか恐いなdespair
と、不安そうな顔で私を見送った。

私の前には夫の処置をした医師が二人座った。
ベテランと思われる医師が
自己紹介をし、最初に聞いた事は
「以前は、どこの病院で診てもらってたんですか?」
と、聞き、治療の内容を聞いた。

私が素人ながらに今までの経過を話すと
医師は、とたんに厳しい顔つきになった。

そして二言、三言発した。
そんな大病院で、そんな扱いをしたのか・・・
と、言った内容だった気はするが
公に批判する事はできなかったのだと思う。

もともと、大きな病院から
地方の病院へ転院する事は
大病院のプライドがあるので難しい
と言う話は聞いていたし

最初の病院で他にかかっていた人の話でも
地方の病院を見下したような話し方をする
と言う話も聞いた事があるので
地方の病院からすると、逆に
何かしらの感情はあるのかもしれないと思った。

医師は、静かに説明を始めた。
S医師が言うように
もうそんなに長くはないと言う事。
もっても1週間はどうか・・・と、言う事だった。

「本人にはどうしますか?」
と、聞かれたのだが
私は生きようとする思いでいっぱいの夫に
その事実を告げて乗り越えさせるのは
無理だと判断した。

医師は
「それでは、本人には前向きな入院と言うことで・・・」
と、言い
「いろいろな事は奥さんにだけ話しますが良いですね?」
と、言った。

私が
「それで、お願いします」
と、言うと、医師は入院の事について話し始めた。

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2012年1月18日 (水)

お腹に針を刺したまま・・・

夫は、8台ほどあるベッドの中で
窓際に並んでいるベッドに通され
二人の医師がカーテンを閉め
中で夫を診察していた。

二人共若い医師ではあるが
一人はベテランで
もう一人は補助をする医師のようであるらしかった。
診察が終わると私も中に呼ばれた。

医師は
「腹水はそんなにはたまっていないと思いますが
ひんぱんに針を刺して抜くと言うのも大変だと思うので
お腹に針をさしたまま
腹水はそのまま体の外に出るような処置をしましょう」

と、提案した。

私は再びカーテンの外で待つ事になり
二人の医師がカーテン越しに動いているのを
ぼんやりとみつめていたのだが
かなりの時間がかかっている事に不安を覚えていた。

今まで、2回腹水を抜いたのだが
S医師は機械を使って
針を刺して良い場所を見極め
管のついた針を刺し
その先に袋をつけて腹水を出していた。

S医師の作業はてきぱきとしていて
5分とかからなかったのだが
この日はやけに時間がかかっていた。

30分近くかかっているので
何かあったのだろうか?
と心配になり
思わずカーテンを開けたくなる衝動にかられたりもした。

やっと終わって二人の医師が出てきた。
「今日は入院したほうが良いですね」
と、言い、私だけに
「あとで、説明がありますから・・・」
と、言った。

私は、緊張で口の中が乾いて行くのを感じていた。

ベッドのところへ行くと
夫は複雑な顔をしていた。
「こんなんじゃ、会社へ行けないよなぁ?sad
と、ため息まじりに私にお腹を見せた。

私は、夫の処置は泌尿器系の手術をした人や
大腸の一部をとってしまった人が
袋をぶら下げていると言う話を想像していた。

夫のお腹には
まるで紙おむつのようなものが
巻かれていた。

夫の話だと
お腹に針は刺したままで
腹水を外に出す時には
管の先についている開閉するための部品を開き
用がない時には閉じておくらしいとの事だった。

とりあえず抜いているらしかったが
外にある袋には、ほとんど何もたまっていなかった。

夫は
「腹水、たまってる?」
と、聞いてくるのだが
「あんまり、たまってないよsweat01
と、答えるしかなかった。

夫は
「こんなにお腹に巻かれてたんじゃ
いくら痩せてたってスーツのズボンが履けないよなぁshock

と、会社に行く心配をしていた。

「これって、お風呂だって
どうやって入るんだろ?」
と、お風呂の心配までしている夫だった。

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2012年1月16日 (月)

急患

病院に行く事を渋っている夫は
再びベッドに横になったが
私は、さっさと病院に電話をした。

名前と診察券番号を言い
外科のS医師にかかっている事を伝え
昨日かかったぱかりではあるが
腸の具合が悪い事や
血圧計の最高血圧も、最低血圧も
「0」を表示してしまう事を伝えた。

S医師はいないようだったが
病院に来るように指示があった。

以前の病院だったら
来ても何もできないから・・・と
とりあってくれなかったのだと思う。

私は、夫に
「病院のほうで来るように言われたから
パジャマを着替えて用意して」

と、伝えて自分も出掛ける用意をした。

入院になるかもしれない・・・
とは、思ったが、そこまでの用意をすると
夫のほうが動揺すると思って
軽い感じで病院へ行く流れに持ち込んだ。

夫は、体調が悪いせいと
気がすすまないせいもあってか
支度をするのに手間取っていた。

私は、自分はスッピン、メガネで行くようかな?
と、思っていたのだが
夫があまりにも動作がゆっくりだったので
自分のほうの用意も全てできた。

私のほうは、二人きりの時に
私の手に負えないような事態に陥ったらどうしよう
と、言う思いがいつでもつきまとっていた。

運転するのも自分
介抱するのも自分・・・
運転しながら苦しんでいる人は介抱できない。

救急車だとしたら
今かかっている違う市の病院まで
運んでくれるのだろうか?
そんな事ばかりを考えて過ごした毎日だった。

夫の支度がなかなか進まないので
手助けをして支度をさせ
車に乗り込んだ。

今から思うと
夫は病院に行く事が恐かったのかもしれない・・・

車に乗り込むと
運転している私の横で夫は
「昨日、腹水抜いてきたばかりなのに・・・」
と、腹水の話を繰り返していた。

夫にしてみたら
腹水を抜く=体調が良くなる
と、言う事らしかった。

私のほうは、この助手席に乗せている間に
苦しみ出したり急変したりしたらどうしよう・・・
と、気が気ではなくて
夫の話を上の空で聞いていた。

病院へ着いて受け付けをして
急患の待合室でしばらく待っていた。
急患の患者も多いらしく
その場所は慌ただしい雰囲気だった。

大きな部屋にベッドが8台ほどあり
カーテンで仕切られていた。
そこには、急患で来た人が点滴をされたり
整形外科や外科的な処置を施されて寝ていた。

2~3人ほどの医師と
5人ほどの看護師さんが
その中で忙しそうに行き来していた。

6畳くらいの待合室があり
そこで、順番が来るまで待っていた。
私は、とりあえず病院に着いた事で安心したが
順番はなかなか回ってきそうもなかった。

「みんな、休日に病院に来るのだから
急患と言う事だし、無理もないね」

と、夫と話しながら待った。

やっと、順番がきて
初めて担当する医師が
カルテを見ながら、いくつか質問をし
「それじゃ、診察をしますから」
と、言われて夫は急患用のベッドに横になった。

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